しげじいの雑記帳

あんなことこんなこと、老いの生活を思いつくままに、、、、

また「アレコレ」

2024年09月29日 | 日常雑記

 ・一昨日は午前中は大リーグ西部地区・ドジャースの優勝したゲームを視ていました。これでオオタニサンの目標一つ達成です。この後は「ワールドシリーズ制覇」、大変な時間が待っています、優勝出来ますように祈っています。昨日の54号のホームランは大きかった、今日は55号を打って欲しい。

 

・政治の話はしたくないけど。同じ日の午後は「自民党総裁選」をじっくりNHKと民放各局を巡りながらテレビで視ていました。結果はご承知の通り、いずれ10月1日に首相に選出される石破氏。心から望むのは「嘘のない、法を守る政治」を願っています。

 

・いましきりに報道される「パレスチナ問題」、そして、まだ続く「ロシヤのウクライナ侵攻」の惨状が重なり、ここ数日は「城内康伸著・『奪還』・新潮社刊を読みながら、つくづく戦争の無かったこの国の80年と、今の「平和」の尊さを思います。戦前戦中戦後の時間を生きてきました、いまの幸せを改めて感謝しながら本を読みました。

 ・サツマイモの季節、  

  育ったところは埼玉県南部農村、父は工場勤務で「非農家」と言われた。男子4人、食糧難の時代でお袋は食料確保に苦労した。農家が親戚でも米も野菜も分けてくれなかった。小学校校庭を耕しさつま芋を作った時代。「きんとき・たいはく・農林一号」は美味いが、戦争の終わりが近づくにつれ収穫量の多い「沖縄100号・茨城一号」を作った。水っぽくって不味い芋だったが、腹が減ってたから喰った。今の「さつまいも」は美味い。米が無いという、無ければ「薩摩芋・南瓜」を食べればいい、いま飢えて死ぬことはない、あの時代を生きた家内はそう言いながら笑ってる。

・ジュズサンゴ

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読書そして、、

2024年09月25日 | 日常雑記

 『文化庁が9月17日に公表した2023年度の「国語に関する世論調査」では、月に1冊も本を読まない人が6割を超えていることが分かった。5割を超えたのは初めて。スマートフォンやSNSの普及が原因という分析がされてる』。そう言われてみれば、最近は電車の中でタブレットやスマホで何かを読んでるのかもしれない?人を男女を問わず多く見掛けます。「電子図書」というんでしょうか。私も時々「青空文庫」で古典文学を読みますが、本は紙印刷に慣れているせいか、電子書籍は馴染めません。

 ここでは「今読んでる本」の感想を時々書いています。我が家は二人共よく本を読む。暑い頃は読みながら眠くなり、昼寝を楽しんでいました。秋涼しくなり、本が読める季節になりました。大相撲も終わり、大リーグ野球もまもなく終われば楽しみはもっぱら「読書」です。

 最近「奥野克己立教大学コミュニケーション学部教授」の二冊を時間を掛けて読み終えました。家内が「ありがとうもごめんなさいもいらない森の民と暮らして人類学者が考えたこと」をこれ読まない?、と読み終えて渡してくれたのを読んでから、その後刊行された「これからの時代を生き抜くための文化人類学入門」共に辰巳出版刊を読み終えました。

 いまは韓国朝鮮から『日本人難民6万人を救った男「奪還」・城内康伸著・新潮社刊』を途中まで。終戦時の南北朝鮮の混乱、ソ連軍進駐後の北朝鮮在日本人家族の悲惨な生活が涙を誘います。そしていま、国際法を無視する国の攻撃による数万人の死者被災者の姿が連日報道されています。「無理が通れば道理が引っこむ」。ウクライナ戦争・パレスチナ問題、戦争とは破壊と悲しみを生むだけです。この国が80年間「平和」であった幸せを改めて思います。 

 話題を変え、枝葉に逸れます、

 私事ですが、義父は外語中国語科卒後当時の朝鮮釜山高等学校の教師を務め、家内は朝鮮生れ。義父が現地招集され、家族は終戦前に帰国しています。後年私がソウルのホテル勤務時に義父夫婦が来韓した折に、ソウル在住の教え子が歓迎会を開催して下さったのを忘れません。

 義父が教師、私はソウルのホテルで仕事をし、専門学校では韓国生徒に教えました。娘も高校修学旅行が韓国でした。現在も元同僚との交流があります、という事で、我が家と韓国との不思議な縁を感じています。

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2024年09月21日 | 日常雑記

 ・「天と地」につづいてきょうは「人・ひと」。

 ドジャース・大谷翔平さんの米大リーグの歴史に確実に残る記録の達成、昨日は家内と二人でテレビ観戦、思わずスゴイコトやったぁ!、声を上げた。この偉業、他に言うべき言葉もない。彼の人柄のすばらしさ、更にその上を目指す真摯な姿に頭が下がる思い。

 午後は大相撲テレビ観戦。大の里関に注目、勝敗はともかくも、彼の落ちついた品格ある所作に感じいる老夫婦。使用した小タオルをきっちり畳んで返す姿は何とも言えず美しい。ご両親の教えか、親方の教えかそれとも、、

 バットボーイに対する大谷選手の、呼び出しに対する大の里関の、ちょっとした心遣いに「ひとがら」が現れる。その姿がなんともいえない、暖かい気持ちになる。

 ・「ひとがら」といえば「兵庫県知事」。「パワハラ」問題で県議会は全会一致で知事の不信任を決議した。がかれは『議会側の重い選択で、私にとっても重いものなのでしっかり考えたい』と言い、今後の行動をはっきりしなかった。これもひとつの「人の姿」。

 なんといっても「ひと」ほど不可思議な生物はいない。[人]を理解することなんて到底不可能だと思う、だから「ひと」は面白い。

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天と地

2024年09月20日 | 日常雑記

 女心か、男心かどっちか知らない、秋の天気は「ころころ変わる」。明日からからやっと寒冷前線が南下してきて「秋」を持ってきてくれるらしい。今朝も早寝の老人は5時に目覚める。東の空は朝焼けしていた、今朝の日の出は5時半過ぎ。やっと来てくださった、、、

     「はづかしやおれが心と秋の空  ・小林一茶」 

     

       ・「天」の話から「地」の話へ、

連日公共放送テレビも民放も「自民党総裁選」を流してる。行く先々で「ころころ変える」耳に優しくも空しく響く言葉の羅列、作り笑いの顔。これから先の事はどうなるか分からない。だが「言った言葉」を忘れてはならない、

 心底からの「ことばか否か」誰にも分からないが、「天知る地知る我知る人知る」すべての言葉は今の時代デジタルで記録される。

 そして、やっと出て来た、朝日新聞に載った「論より証拠」となるだろうか「安倍氏と統一教会幹部の会合画像」、今後の動きに興味津々。老いの頭を刺激してくれて、すこしはボケ防止になるカモシレナイ。

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ふるさと

2024年09月19日 | 日常雑記

 「ふるさと」と聞くと、犀星の「ふるさとは遠きにありて思うもの そして悲しく歌うもの」が浮かぶ。私の生まれ育った「ふるさと」、いま親類縁者は絶えていない、父母の墓もなし、小学校の友の動静も聞こえてこない。

 厳密にいえば「故郷」は無くなった。いまの「ふるさとは?」この街かもしれない。教育・ごみ収集、医療・病院・警察・上下水道などなど、何かと生活全般におよび市のお世話なっている。年金から幾許かの「何かの税」を収める、これは市民としての義務。その上、歳を取っただけで市長からお祝いのお言葉。お世話になっているこの市へならともかく、誰も居ないあの故郷の町へ「寄付」する気にはなれない。そう、

 賢明な皆さんならお分かりでしょう、「ふるさと納税」のことです。

 朝日新聞8月4日・社説の切り抜き、『08年から始まった、個人が自治体を選んで寄付すると、住民税などの減税により、実質2千円の負担で特産品などをもらえる仕組み、(中略)23年度の寄付総額は1・1兆円に達した』、税収増の自治体もあれば、税収減で嘆く大都市の自治体もある。東京世田谷区は「平成25年度からの累計減収額: 約460億円」という。

 『寄付は、人気の特産品を持つ自治体に集中し、利用者の多い大都市は多額の税収を失っている』寄付する金に余裕のある人も、住む自治体から公共サービスを受けている。その自治体は税は減る、だが公共サービスは継続しなければならない。なんだか変な制度と言うのは可笑しいですか。かたちは寄付ですが、「官製通販」という人もいる。仲介サイトを運営する某会社はテレビ宣伝まで流している。

 政府は「返礼品目当てではなく、寄付の使い道や目的に着目して行われることが制度の意義」と言ってるが、なら制度を見直したらどうか言いたい。「ふるさとを愛する寄付行為」、これはまことに美しい行為だと思う。私も余裕があれば、お世話になってるこの市に寄付したい、と、思ってはいるけど、なかなか、、。

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続「老い」

2024年09月17日 | 日常雑記

 ・上野千鶴子氏の言葉「老いとは、ものが分かるようになること、すなわち、進歩することである」がメモにある。思うに「進歩」とは分かったつもりでいるけど、本当に分かってるのか気になる、そのことを言ってるのかもしれない。落語に出てくる、八さん熊さんの問いになんとか苦し紛れに答えを出す「長屋の大家さん」の姿を思い浮かべる。

 何度も言う、パソコン・スマホに聞けば何か「答え」が出てくる時代。正しいと思うか、ホントにそうなのか、分かったつもりでいるのか、それが分からない、考えるとますます分からなくなる。何と言っても「ひと」の気持が一番分からない。

 ・朝日新聞・毎月第3日曜。朝刊・文化面「詩人・谷川俊太郎・どこからが言葉が」載る。氏は31年生、同じ時間を生きた。15日題は「和室」、全ての言葉の引用はむり。終わりのことば『伯父が死に叔母が死に 母が死に父が死んだ 過去は減塩未来はレシピ 今日を噛まずに丸呑みにする』。

 ー思うに、親しいひとが皆世を去ってしまった孤独になった、過去は甘くなく、さりとて苦くしょっぱくも無かった、ちょっぴり塩辛かったというべきか、未来は食べてみなければ分からない、今は、今をありのままに生きるー、ことばを今の我が身に重ねる、ボケ頭でそう理解した、つもり。

 何方の言葉か分からない「寿命は延びたが、それだけ人間が賢くなったわけではない、身体はしゃんとしているのに頭が疲れてしまった」がメモにある。納得できる。

      駄作一句「たまねぎはいくら剥いても皮ばかり」

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敬老の日

2024年09月15日 | 日常雑記

 「敬老の日」は明日だけど、、

 ・チャップリンのことば「 人生は恐れなければ、とても素晴らしいものなんだよ。人生に必要なもの。それは勇気と想像力、そして少しのお金だ」を想います。納得できるような歳になった。もう先がない、嫌味に聞こえかもしれないけど、言いたいことを言って置かないといつ死んじゃうか分からない、心残りの無いように、口に出し、ここにも書いてる。

 頭のボケ防止の読書と運動とパソコンで遊び。幸い年金と蓄えた金で今の生活を病気にならない限り維持できる。それも身体がまだ動いているからだと思ってる。66年一緒にいる同居人は今日も動きが良い、明るい表情で朝飯を作ってくれた。幸せだと言わないと罰が当たる。

 ・長く住んでるこの街には何かとお世話になった。現役時代は少しは税金を納めることが出来たが、いまはお世話になるばかり。そのうえ歳を取ったといいうそれだけで、市長さんから「お祝い」のお手紙が届いた。財政豊かでない中に幾ばくかの金額の「イオカード」が同封されている。これで本を買える、有難いことだ。

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またあれこれ

2024年09月14日 | 日常雑記

 ・敬老連休です、今日も最高気温34℃になるという報道、連休初日の今日から「秋」を期待してお出かけの車で高速は混んでいるでしょうか?、

 ・自民党総裁「選挙」のために「占拠」されたテレビの様な。各局同じ9人の顔が勢揃いで同じような質問に答えてる。数人の人を除き「裏金問題議員推薦」を受けてる人が大部分の候補者ばかり。見慣れた苦虫を食いつぶしたような顔がガラリと変わり、作り笑いのお世辞笑い、なんだか気味が悪いカンジ。言ってることは、まことにご立派な政策ばかり、ならなぜ今までやらなかったのと聞いて観たい。裏金問題・統一教会問題はぼかす、絶対にあの人とこの人だけは総理になって欲しくない、どうなりますか。、

 ・兵庫県知事の姿は「官僚」そのもの。道義責任とはなんだかわからないと答える天下の最高学府出身知事。県会議員全会一致で辞職を迫られても、自分は「法」の下では違反していないと言い辞任拒否。岡目八目面白いと言っては、兵庫県民には申し訳ない。ここまでくると結果は予想はつくが、それにしても、このタイプの官僚はいるけど、これほどの人は珍しい。

・自然は人間社会に関係ない、カレンダー通りに季節は変わらない。とはいえなんとなく辺りに密かな「秋」を感じます。箱根ではススキの穂をいたるところで見ました。北の高地からは秋の便りも。北海道苫小牧在の友人は「北海道苫小牧、今の気温は12℃です、もう寒いです!」という。

 古歌の「あききぬとめにはさやかにみえねども かぜのおとにぞおどろかれぬる」を想います。今よりも自然に囲まれて生活していた昔の人も、暑い夏を過ごすのに何かと苦労したんだろうか。

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箱根

2024年09月11日 | 日常雑記

 日の出

 日曜日から昨日まで、二泊三日箱根へプチ旅行。一時に三水さんと藤沢駅で合流、東海道線~箱根登山鉄道で強羅へ出て、クラブの送迎バスを待たず、タクシーでいつもの宿へ、3時半過ぎてた。

 何度目の箱根か忘れてしまった、行きたい処、観たい景色も、喰いたい料理も無いわけではないが、くの字に曲がった膝、前かがみで杖を頼りでのろのろ歩きの身、家内も友人の三水さんも出ないでゆっくりしますという。

 晴れた

 数日前の天気予報では両日ともに「雨模様」だったが、雲はあっても晴れた箱根の大きな空。どこへ行っても人・人・人だろう、紅葉にはまだ早い、観たい処も行きたい処もないので出なかった二日間。

 風呂に入って、旨い夕食を楽しむ、二日間内容を変えて下る気遣い、老いの身に丁度いい量、残すと罪悪感を感じる老人には有難い。朝ご飯はブッフェスタイル、サービス係りの方が老人のために、希望の食事を取り分け、テーブルまで運んできてくださる、その心遣いに感謝感謝ありがたい。

 二日間、風呂に入って、喰って昼寝して、本を読んで、お喋りして、夜もぐっすり寝て、定刻10時チェックアウト、少し待ってクラブ送迎バスで強羅駅まで。登山電車で湯本~小田原へ、駅で娘へお土産を買い、東海道線・小田急線を経て一時過ぎに無事帰宅できた。

 ・今度は家内の誕生月の11月に、希望の部屋を予約出来た。

 残念な事が一つ、過去17年義母もお世話になった、ホテル社員K田さんが、家庭の事情で故郷山形へ帰るというご挨拶、人生「一期一会」会えば別れはあるもの、そうは思っていても、驚きと悲しみの気持は家内も同じ。

 リゾートであろうと都市ホテルであろうと「ホテルは人なり」、お客様は「ひと」に付く「建物が素晴らしい」ではない。「あの人がいるから、あのホテルへ行く、あの人がいるから、あのレストランへ行く」、そんな仕事をしなければならない。

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聴く

2024年09月07日 | 日常雑記

                酔芙蓉

 ・価値観が同じような?老夫婦です、共通の話題でよく話もしますが、音楽も二人共「クラシック」が好き。結婚した頃はよく上野や日比谷の劇場へ行きました。余りTVを視ない夫婦、お互いにしずかな時間を邪魔しないようにしてます、家内は新聞・読書の間、食事の支度中、ラジオの音を流しておくときもありますが、BGMの様にユーキャン通販で購入した三個のキューブ型音楽プレーヤー(モーツァルト・クラシック・他100曲聴ける)聴いてます。

 ・アインシュタインのことばに「死とは、モーツアルトが聴けなくなること」を思い出します。私も家内もモーツァルトが好きです、一緒によくオペラや器楽曲のテレビ放送を聞いています。私はパソコンで遊んでるときはYouTubeで「音楽」を聴いて楽しんでます。「オペラ名曲集」や「器楽曲」「カンツォーネ」「シャンソン」なんでもいい。

 「日曜はだめよ」の「ナナ・ムスクリ」や「こころ遥かに」の「イヴァ・ザニッキ」、「私の孤独」の「ジョルジュ・ムスタキ」も好きな歌手です、何枚かCDがあります。海外で生活していたころは日本の歌謡曲をよく聞きましたが、いまはさっぱり、どうしてでしょうか分かりません。

 歳を取っても子供の頃覚えた美しい日本語歌詞の「文部省唱歌」や「童謡」を覚えています。いまも「ふるさと」を聴くと不思議に子供の頃のシーンがつぎつぎ浮かんできて、涙腺が弱くなった目から水が流れる。あの村も開発が進んで、すっかり景色も変わりました、知っている人は居なくなってしまいました。

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