・戦争に負けてから77年過ぎた。きょうは正式には「終戦記念日」。でも戦中戦後苦労して生きて来た人にとっては、その人の「○○の日」でもある。わたしの「敗戦の日」の記憶は、やっと家に帰れると喜んだ、貴様らは日本が負けて嬉しいのか!と、配属将校に往復ビンタを食らった、痛かったのだろうけど忘れた。お袋の顔をみた嬉しかった。
新聞・ラジオの戦況報道が「うそ」だったことが日毎に分かってきた。社会党党員で工場の労働組合員だった親父が、暗い灯火管制下の薄暗い中で、アメリカと始めてしまったかと、ぼつりとつぶやいたあの日を思い出す。
昨今、8月15日の前後、過去の戦争を連日マスメディアは報道する。どんな思いで、どんな人が見るのだろう、若い人に見て欲しい、どのくらいの若い人がこの暗い実写フイルムを視ているだろう。
今朝の朝日朝刊『折々の言葉・「起こった出来事は、形こそ違うかもしれないが再び起こり得る・ウンベルト・エーコ」』歴史を見れば明らか、いまロシヤのウクライナ侵攻で苦しむ市民の姿が過去の自分に重なる。これからも必ず戦争は起きる。この国にも永久に平和は無いだろう、そして、効率よく万物を破壊し人を殺す兵器は進歩し続ける。
・きのうは娘が昼ごはん何か作りましょうかと来てくれたが、そとへ飯を食いに行こうときめ、大和駅ビル上の和食堂へ行ってきた。台風一過の暑いよる、ひとり、静かな時間本を読んでたら眠くなった、8時過ぎに寝てしまった。今朝は4時まえに起きシャワーを浴び、新聞を読んでいる、老人の77年目の敗戦の日。
きょうは家内が退院してくる、、