昨日ミスターと松井の国民栄誉賞の授与式観ました。
ええ、感慨深かったですね。
ミスターは私より11歳年上の77歳。
北海道生まれの私が初めてテレビ放送を見たのは中学二年の頃でした。
それまではもっぱらラジオ放送です。
私が小学生の頃でしょうね。
その頃の記憶は定かではありませんが、父が野球ファンだったんでしょう、午後の7時を過ぎるとラジオからプロ野球放送が流れていました。
それが私が野球というスポーツを知り、長嶋茂雄という稀代大スターを知ったきっかけです。
私がミスターの名前を耳にしたのは、ミスターが立教大学で頭角を現した頃ですから、私が十歳の時です。
立教大学にいい選手が現れたと父から聞き関心を持ちました。
私が関心を持ったことが父もうれしかったとみえて、何処から手に入れたのか、立教大学のユニホーム姿のミスターの写真くれました。
多分それは数少ない父との幸せな時間だったのでしょう、その写真は自分のアルバムに大事に貼られていました。
私がミスターの映像を初めて見たのは、父が連れて行ってくれた映画館でした。本編の合間に、スポーツニュースが流れるんです。そこで大学四年生のミスターが当時の大学新記録の8号ホーマーを打ったシーンが流れたんです。
そのベース一周のダイナミックな事、幼い私の眼には塁間を飛んでいる様でした。
それから1~2年たった昭和33年にミスターは巨人に入団しました。
それからのラジオから流れる巨人戦の中継放送の中でのミスターの活躍が私の想像力をかきたてました。
中学に入学して私はサッカーをしていました。
その頃、テレビがやっと家に来たんです。
そして巨人戦の中継。
初めてオンタイムで観たミスターは、私の過剰な期待以上にカッコ良かったですね、光り輝いてました。
私の長嶋信仰はここから始まりました。
ええ、私は生粋の長嶋信者です。
中学でサッカー部のキャプテンをやっていた私ですが、高校に入るとどうしても野球がやりたくなり野球部に入りました、キャッチボールも満足にできなかったくせにです。
以来53年。
ミスターの全盛時に私は芝居の道に足を踏み入れました。
ミスターの最後の首位打者の時に結婚しました。
ミスターの引退の時に長女が生まれました。
ミスターの第一次監督時代の晩年に次女が生まれました。
ミスターが巨人を追われた年に長年所属していた転形劇場をいう劇団から離れました。
ミスターの浪人時代も2次、3次政権時も、倒れた時もいろんな影響をもらったもんです。
最近セコムでミスターのCMが復活しました。
相変わらずカッコ良いです。
私もあんな背筋の伸びた年寄りになりたいと心底思いましたね。
ミスター、有難う。
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