父親的生活

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産婦人科に思う事 3

2004-05-29 13:09:09 | 出産・育児
 さて、怒涛の3連弾(^^ 産婦人科の事書き出すと止まらなくなってきた。論文じゃないから長くなると読みづらいし、適当に切って書きます。第何弾まで行くのだろう・・・。

 と、言うわけで「何処でも一緒」という気持ちのままで妊娠後期になっていた。 ある日曜日、父親教室なるものがあるので行って欲しいと妻に懇願された。(行きたくなかったのでふてくされると泣いてしまったので、しぶしぶ行った)
 日曜日の午後、5組くらいの同じ様な夫婦が集まってきていた。みんな同じ様に大きなおなかの奥さんと、面倒そうで恥ずかしそうな旦那さんの組み合わせで、広めの部屋に集まった。
 ニコニコと人のよさそうなおじさんが入ってきた。院長の笠松先生らしい。私は日曜日なのに大変だなぁとくらいにしか思わなかったが、実際入院中にも毎日先生はいらっしゃったから、唯一の休疹日まで父親教室では、多分あの先生は年中働いているのだろう。本当に頭が下がる。しかも殆どタダみたいな費用である。で、妊娠の話、母乳の話、出産の話等、約3時間ほどしゃべっていただいたのだが、先生の母乳や出産に対するポリシーはまっすぐ筋が通っていて感動した。たしか日本でも数少ないユニセフで表彰されている産院だとか聞いたけど、本当によいお話だった。
 で、先生の「出産が育児の第一歩」という話で、その昔、発達教育学に没頭した私は一発でノックアウト。すっかり笠松信者になった。出産に立ち会うことすら絶対にイヤだったのに(男の名折れだと思っていた)、変なこだわりは捨てて、これは絶対立ち会って見たいという気持ちになった。結局この思いの変化がこのBLOG にまで繋がっていると言っても過言ではない。
 その後もう一度父親教室があり、2回目は新生児のことを色々と聞かせていただいた。2回目は奥様で小児科の方の笠松先生であった。こちらはちゃきちゃきしていて、院長とは好対照で、いいコンビだと思った。

こうして出産準備も完了し、最初の方に書いた出産の日を迎えるわけである。(参照)
http://blog.goo.ne.jp/seurat16/d/20040524
 
 笠松医院で入院中に思った事は、10ベットくらいの余り大きくない病院なのに、看護士さんが多くって(夜中も何人もいらっしゃった)非常に安心できた事。又、看護士さんが非常に気がつくこと(夜中でも)も安心できた。母子同室を大変という人も多いが、あれだけ気を使っていただけるなら全然大丈夫だと思った。
 何より効いたのが、ある看護士さんが最初の夜に「(夜鳴きがきつくって)大変だったらいつでも預かりますからね」と笑顔で言ってくれた事。この言葉には、夫婦本当に救われた気がした。あの泣き続けの初夜を二人で乗り切れたことが(看護士さんたちのおかげですが)今でも自信になっているし、夫婦の絆が今までと違う何か別の物で結ばれた気が本当にした。本人はもちろん知らないだろうが、親子3人で初めての夜を過ごせた事は本当に良い経験になった。そういう意味では、GWに生れてくれた一成は親孝行だし、私たち夫婦は非常にラッキーだ。まず育児、子どもを大好きになれた。これから先は本当に長いけれど、あの5月2日の夜の事は一生忘れないと思う。本当に笠松医院には感謝の言葉もない。

 私たち夫婦はフリースタイル、完全母乳、母子同室しか知らないから、もっと楽なのがあっても、それを知らない。だからこのスタイルが楽だとさえ思えれば、それでどうにでもなる。
 最初はみんな無知なのだから、その時に本当に子どもや、夫婦に良い事をさせる産院が本当の良い産院だと思う。一度経験した人が、「今度はこうしたい」って思うのはそれは当然なのだから・・・。
 これから出産する人は、フレンチよりも、イタリアンよりも、寝られなくても、うるさくってでも、子どもの顔をずっと見ていられる産院を探した方が良いと思います。見ていたい気持ちになりますし、きっとその方が愛着がわくはず。清潔なのは当然ですが、”新しい”と”清潔”は違う事も書いておきます。古くても清潔な病院は探せばあると思います。



産婦人科に思う事 2

2004-05-29 12:18:58 | 出産・育児
 産婦人科選びについて、妻には妻のこだわりがあったのだろう。妻は保母をしていたので、産婦人科については耳にタコが出来るほど色々な情報を持っていた。結局何処も賛否両論で、自分で決める以外なかったのだろう。笠松先生に決めた理由は小児科が一緒にあるということが一番と、母乳育児を強烈に推進しているという事らしい。小児科併設って言うのは結構重要らしく、新生児も生れてしまえば小児科だから、同じ病院の方がもちろん処置が早いらしい。又、うちの従兄弟も少し前に生んだのだが、新生児期の悩みって、結局産院に相談してしまう。が、産院は小児科ではないから本当の意味で専門ではない。だから結構悩んだという話も聞いていたので、やっぱり併設をという事になった。和歌山市で知っている範囲では小児科併設は一つしかない。しかもそこはすごい人気で、3時間も4時間も待たなければいけないらしい。それだったら30分で行ける大阪の病院の方がまぁいいかという事で決着した。
 それでも相変わらず旦那は「何処でも一緒、どうでもいい」と心の中で思っていた。

 和歌山でもそうだが最近の人気はペンションみたいな建物の産院で、「生んだ後フレンチかイタリアンのフルコースを別室で夫婦で食べる」というやつらしい。確かにおしゃれな風体で、退院の時にそんなサービスがあれば、妊娠で溜まったストレスや疲れを癒す効果はあると思う。生む前ならそう思える。「腹のへっこんだ嫁さんと、ディナーなんていいなあ」と思わず旦那も納得しそうだ。ところが生んでわかったが、それどころじゃない。ゆっくり食べる時間なんて当然ないし、二人でフレンチよりは、生れた子どもの寝顔を見ながらおにぎりでもかじってるほうが私はまだいいと思った。忙しいですよ。おむつも、ミルクも。旦那でもそう思うのだから、本人なんて絶対それ所ではないと言い切れます。やっぱりご飯よりも子どもですよね。母乳じゃないならフレンチでも焼肉でも何でも良いと思うけど・・・・。

 生れると親も気持ちって大きく変わります。特に初産は。だから経産婦の人って、あんまりフレンチ、イタリアンなんて言わないですね。まぁ、経験だからフルコース食べるのも良いと思うけど。3年もすれば預かってもらって二人でディナーくらいは全然OKですよね。きっと。だから、今は1秒でも多く子どもの顔を見ていたと思います。

 後は無痛分娩も人気ですよね。私は男だから勝手に書きますが、いいんですかそんなので。妊娠の苦痛で死んだ人は聞いた事はないから、これは無駄だと思います。すみません、男なので痛さは判りませんからね。随分大変なのは妻を見て良くわかりました。あんなに取り乱したのは初めて見ましたから。でも、どうしても人間を冒涜しているようにしか思えないのです。痛くなくって、簡単に子どもが生れるのなら、きっと日本の出生率はうなぎのぼりでしょう。で、年金も安泰でしょう(^^、そういう意味で出産の負担をやわらげたいのは判ります。が、どうもねぇ・・・・。



産婦人科に思う事 1

2004-05-29 11:42:43 | 出産・育児
 妻が出産したのは大阪府南部にある笠松産婦人科である。「和歌山県に住むのにどうして?」と良く聞かれた。笠松先生に行き着くまでにはそれなりの道のりがあったが、良い先生に出会えたと思っている。

 産婦人科選びって、結構大変である。何事でもそうだが、何かを選択するときにはそれなりの判断基準がある。産婦人科選びもそうである。だが、最初はみんな無知である。だから最初って余り考えずに入る。そのときの判断基準は「近いから」「遅くまでやっていて、仕事の帰りに行けるから」「遠くから見て綺麗そうだったから」くらいのもので、”便利さ”がおそらく第一だろう。”清潔さ”は当然なので省くが・・・。で、診察してもらってから、人に話す。これが厄介で、色々な人からたくさんのアドバイスを頂く「○○病院ねぇ~」と言われると、こちらは「何、何?」と聞きたくなるのは当然で、そこから聞いた話、体験談、ウワサ、憶測が入り乱れた話になる。聞いてる方は不安になるばかりだ。「あの先生はもう高齢で、最近は自分では何も処置しないらしい」とか「医療事故の裁判が多くある」とか。実際はどうなのだかわからないが、その手のウワサはどこの病院にもある。で、みんな一通り悩んで、誰かのアドバイスで決めるか、自分でいくつか回って決めるか、が殆どであろう。

 我が家もご多分に漏れず同じ手順を踏んだ。子どもが欲しかった妻は近所の産婦人科に相談に行っていた。もちろん理由は「近いから、仕事の後でも診てくれるから」である。で、今思えば別に見てもらわなくっても良かったと思うのだが、とりあえず妊娠した。で、一回目の妊娠は、何週か経っても心音が出なくって結果は死産だったのだが、せっかく出来た子どもだから何とかしたいと思う心は誰でもあると思う。妻もそう思ったようだ。その産院はあまり患者も多くなく、老人の先生がいる、いわゆる「老舗」で、親世代には有名らしい。が、先生が高齢なので、決定力に欠くというか、今ひとつはっきりしない所があったようだ。そこで、何とかならないものかと妻は友達に聞いたりして、笠松先生を教えてもらうのだが、結局何処に行っても心音は聞こえない。結構こういう人って多いらしく、残念だったけど笠松先生で処置をしていただいた。それ以来、笠松先生という事になったのだが、まさか大阪まで毎週通うわけでもないだろうと思っていたら、二度目の妊娠の時も大阪まで行くという。旦那には何処の病院も一緒だから「近い方がいいのに」と思ってあまり嬉しくなかった。で、何度も文句を言ったが、いつもは素直な妻がこれだけは譲らなかった。それで、そのまま生む事になった。


子供と子ども

2004-05-28 12:39:51 | 出産・育児
 こんなに文章がヘタクソだが、これでも学生時代は文学部だった。
文学部と言いながら、なぜか小学校教員免許を取得している。
しかも学生時代は教育学専攻であった。当時のゼミは、みんなそれぞれにテーマを持って研究をしていた。「シュタイナーの教育理論」・「学校5日制について」・「日本の芸術教育について」・「山村の学校教育について」等。お互いの研究を発表しあう機会が何度もあり、結構楽しいゼミであった。
 そんな中、私一人だけがあまり学校教育には興味がなく、「左利きと右利き」とか、「脳からみた男女の能力差」等、全然畑違いの事ばかりテーマにしていた。それがかえって今となっては本当に良い勉強をしたと思える。しかし、当時はただの興味でしかなかったし、女の子を口説く時の小ネタくらいのつもりだった。
 卒論のテーマーは「子どもの発達と環境について」であったと思う。詳しくは又時間のある時にでも書きたいが。
 さて、さて、そのゼミでの思い出なのだが、ある時のゼミで「子供」と表現したことについて「供え物ではないので”ども”を漢字で書くのは良くない」と同級生から指摘されたのを覚えている。一瞬戸惑ったが、私は他のゼミ生には知識でも理論でも、論争でも勝てる事がない「肉体派ゼミ生」「バーベキュー要員」であったので、何ら反論もすることなく従った。以来、私は”子ども”と努めて書くようにしているので、それがすっかり癖になっている。が、その事について考えた事はなかった。
 子どもを語る教育の現場では、その呼び方ひとつまで議論の対象に成りえるのだと、当時少し驚いた。今となってはあまり気にならないが、私が今の仕事をしていなくて、教育の現場に居たならば、今も十分気にしているのだろう。子どもが出来て、自分の子どもを供えられたら、そりゃ困るわな。実に困る。字面でもやめてもらいと思う。桃太郎のお供でもないんだし。父親になって初めてそう思った。

 後になって判る事は本当に多い。
若者は年寄りの気持ちは判らないが、年寄りには若者の気持ちが本当に良くわかるってのと一緒だ。
こんな些細な事すら、気がつくまでに30年もかかっているのだから。そして気がついていない同年代もたくさん居る。
 
 そして全てわかるのは死んだ後だもんね。人間ってムツカシイ!



ストイックな生活

2004-05-28 09:02:46 | 出産・育児
 妻が母乳のために非常に食事に気を使っている事は前々回に書いたが、今一人暮らしをしている私も非常にストイックな食生活を送っている。
 妻が出産ために実家に帰って早1ヶ月。最初は料理等もしてみたが、仕事でついつい家に帰るのが遅くなると、面倒になり作らなくなった。GW頃に食べた皿が今だ乾燥機の中にある。
 よく考えたら結婚前も晩御飯なんて外食以外はしなかったし、面倒な日は何も食べずにいた。昨日はお昼にりんごを2個食べたので、夜はたこ焼きを買って食べた。ストイックというか、情けないと言うか・・・本人は結構満足してますが。
 
 人間の欲望を抑える事は難しい。特に食欲、性欲はいかんともしがたいようで、これが原因の犯罪は古今東西問わず多い。これらの欲望に勝ち得る人間が居たらやっぱり「すごいなぁ」と思う。だからお坊さんはすごいと子どもの頃から思っていた。断食をし、結婚もせず、生涯童貞なのだと信じていたからだ。実は高校生になるくらいまでそうだと思っていて、高校の時の社会の先生がお坊さんで(多分兼業?)結婚もしてるし、修学旅行で肉を食ってるのも確認したし、結構ショックだったのを覚えている。
 話は飛んだが、そういうわけでストイックな生活を今は送っている。そういえば、妊娠してからは夫婦の生活も皆無だし、今ももちろんそうだから、男としても十分ストイックである・・・。そう考えると、実は今は憧れの(いやいや、別にあこがれているわけではない)お坊さん以上の生活なのではないだろうか(^^;

 さて、ある日の妻の夕食。その日は私もお邪魔していて一緒に食べた。
 ○ 白身魚のムニエル? 一寸豆のノンオイルソース(薄い塩味)がけ
 ○ 温野菜サラダ アスパラ、ニンジン、ジャガイモ(薄い塩味)
 ○ 貝のおすまし
 ○ ごはん
 こんな感じだった。結構薄味の料理って、素材の味がして良いですよ。アスパラの味、ニンジンの味、特に野菜は美味しくてはまってしまった。

この生活がこれから1年続くのを考えると、子どもを作る事自体が悟りを開くような気分になってきた。