父親的生活

写真付きで日記や趣味を書くならgooブログ

殺人事件に思う事2

2004-06-02 13:37:38 | 出産・育児
 さて、長くなりそうなので、一旦切った。その2に続けよう。

 今回の殺人事件は、昔も今も危害を加えるであろう可能性のある人が居たということは、別の何かによって少し差が出たという事なのだろう。

 私は2つの大きな理由を考えた。
 一つは命が軽くなった事。ゲームではボタン一つで簡単に人が殺せるし、テレビや映画でも同様の物が簡単に、しかもたくさん流れ出ている。ついこの間も、「バトルロワイヤル」を見て感動した中学生が、同じ様な事をしたくなって放送室を占拠し起訴されるというニュースがあったが、人間、心に響けばそういう事はあると思う。大人だってある。仁侠映画を見た後の人は肩で風を切っているし、ラブロマンスを見た後は、半日くらい目がハートでぼぉ~っとしている。大人でもそうなのに、感受性の強い思春期の子どもなんてもっと影響を受けやすいはずだ。夢に見ることと現実との境目がまだ良くはっきりしないのだ。それは当たり前。で、子どもは理想と現実の違いを知る度に自分の限界、社会の本当の姿を知り、そこに置かれている自分を知って、やがて大人になるのだ。そんな「精神未発達」な子どもたちに軽々と人を殺させるゲームや、テレビや映画があって良いはずが無い。大人にとっては刺激的で良いのかもしれないけれど。刺激を求めすぎてエスカレートしている感はある。
 
 二つ目は経験不足。私の師匠である藤本敏夫は(藤本先生との事はまたいずれ書きます)著書の中で、子どもの頃の遊びから、子どもは命の尊さを知るという事を書いてあった。確かに子どもは残酷である。私も昔は残酷だった。蟻の巣に水を流し込んで全滅させたり、トンボやバッタを殺したり。ところが、そういう事を繰り返しているうちに「可愛そうだな」と思えてきたのだ。ある日、捕まえたカミキリムシが私の指を噛んだ。赤い血がぱっと出て、もちろん私は泣き出した。一つ上の兄が「懲らしめてやる」といって、そのカミキリムシの首をむしり取って土に埋めた。兄は、兄で弟のために必至だったのだろう。今でも弟思いの優しい兄だ。私は何だか可愛そうになった。それから私は虫を捕まえる事を止めた。
 友達とケンカして殴っても、殴られても痛みが伴う。ケンカも繰り返しているうちに、このくらい殴ったらこのくらい痛いなんて調整しながら殴るようになる。そういう”実体験”が少なくなったのだろう。ゲームの世界も進歩しているなら、例えば殴られると実際に痛みを感じるゲームが出来たって良いと思う。いや、そんなゲームは作っても売れないか・・・。
 とにかく、ケンカにしても、遊びにしても、体を実際に使った時間が足りないのだろう。友達と遊ぶ時間なんて激減しているはずだ。真っ暗になるまで駆け巡った思い出なんて今の子どもは持てないのだろう。


最新の画像もっと見る

コメントを投稿