つまり、《見ることの永遠の明証》である。
見るとは何か、見えるとは何かを問うている。
既知の事実、十分知り得ているのだという潜在意識は、見えてない物(隠れた領域)をも見えていると錯覚する。錯覚というより確信に満ちた眼差しであり、『永遠の明証』という作品を見れば、すぐさま描かれていない部分をも想起し一人の裸婦の全体像を脳内に作り上げる。
手を描いたフレームは無くても、手のない人だと認識する人はまず居ないと思う。
裸婦(肉体)が描いてあれば、その肉感を感知する。陰部(陰毛)に至っては凝視を続けることが難しいなどと感じるのは、虚像でない実像を知っているからである。
断言できるのは、人はすべて母親から生まれるので女体を見たことのない人は皆無だからである。
絶対、永遠の明証と言い切れる所以である。
(写真は新国立美術館『マグリット』展/図録より)
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