続・浜田節子の記録

書いておくべきことをひたすら書いていく小さなわたしの記録。

風に吹かれて。

2014-04-12 06:25:50 | 日常
 風に吹かれるままの生活である。何と言って抵抗する術もない。

 親が存命のころは何があっても(家族を)守るべきと、肝に銘じて内職にも精を出し、一日はまるで突風に吹き飛ばされているような目まぐるしさで過ぎて行った。
《人生とはこんなもの》という諦念というか達観があり、なるようにしかならない、こうせざるを得ない人生と決め付けていたのかもしれない。

 宿命・・・出口が見つからず、迷子のような気持で彷徨した日々も、今は遠景として眺めつくすことが出来るけれど、時間は戻ってこない。今頃になって(ああ、あれもこれも興味はあったのに)と、疲れきった眼差しで恨めしげに見る世界。

 
 これらすべては愚痴にすぎない。つまりは鬱積の山にため息をついているだけの現象である。精神的な鬱積は物理的なゴミの山とは違う、強い信念を持って整理することが可能であれば、今こそ躊躇しないで、年齢の壁など一笑に伏して進むべきだと自分の背中を押してみる。
 現に痛む膝を引きずり老眼のためによく見えない文字を背中を丸めて読んでいる姿を想像しただけでも、お気の毒な状況にあるわたしだけれど、吹かれるままの風を切り、前に進み出ることは不可能でないかもしれない。

(風に吹かれる葦)ではなく、(風を切って進む脚)でありたい。

『ポラーノの広場』295。

2014-04-12 06:07:16 | 宮沢賢治
うちへ帰るとわたくしは持ってゐたレコードをみんな町の古時計屋に売ってしま日増した。そして大きなへりのついたパナバの帽子と卵いろのリンネルの服を買ひました。


☆記(書き留める)字は、張(意見を展開する)。
 己(わたくし)は、字で計(もくろみ)や憶(思い)を媒(仲介)させ、題(テーマ)を防(備える)。
 詞(ことば)を、覧(見渡す)と、複(二つ)の媒(仲立ち)がある。

『城』1592。

2014-04-12 05:48:47 | カフカ覚書
しかし、使いの手紙をもっていくだけのことなら、きみにもできることで、おれが頼んでいるのも、そのことなんだ。ごく簡単な用件だ。


☆しかしながら、小舟を持っていくだけのことなら、きみにもできることで、わたしがきみに頼んでいるのも、そのことなんだ。
 先祖はみな監禁の小舟である。