夕焼け金魚 

不思議な話
小説もどきや日々の出来事
ネタ控えです

言うは勘兵衛 18

2013-07-19 | 創作
「杢兵衛、遅れるな」と声を掛けると勘兵衛は一目散に駆けだした。抜け駆けは御法度であるが、抜け駆けしなければ手柄は立てられない。勘兵衛の後ろから長槍隊が掛け声を掛けながら続く。 第一撃で組織的な反撃が出来なくなった大坂方に前田家の密集軍団を止める抵抗勢力は存在しなくなったが、その速度は歩くようなもので、したたかに遅かった。  あのような速度では、天王寺口のいくさが終わってしまう。勘兵衛の考えでは、万 . . . 本文を読む
コメント

参議院選挙2 

2013-07-18 | 日記
今度の日曜日は参議院選挙です。 6年前の決められない国会を作ったのは、私達だと言うことを忘れてはいけません。 あの日から、不景気の道を歩き出したのです。 6年前ってどんな年だったのでしょう。 国会議員で元大阪府知事の横山ノックさん、ピアニストの羽田健太郎さん(ニュースティーションでビアの引いていた人)がなくなった年なのですね。 10大ニュースとして、中越沖地震で新潟刈羽原発でトラブル続発した年なの . . . 本文を読む
コメント

言うは勘兵衛 17

2013-07-17 | 創作
 天王寺口での開戦により岡山口でも銃撃戦が始まった。西軍からドォーっと鉄砲の音が聞こえると、先頭の小者が竹束を少し斜めにして地面に置き竹束の陰に隠れる。その竹束の横に密着して他の竹束を同じように少し斜めにして置き、陰に隠れるのである。 最初はみんなが隠れて暫くしてザーッという音と共にカンカンと竹束に鉄砲玉が当たる音がしていたが、敵との距離が縮まるにつれて、その間隔は短くなっていた。竹束に当たる音も . . . 本文を読む
コメント

言うは勘兵衛 16

2013-07-15 | 創作
 前田家大坂両陣日記によれば、慶長十九年十二月二十日、大坂御城御扱御相談、大形相極申筈。翌二十一日大坂御城御扱にて相済申候と記載されている。  冬の陣の講和条件は、大坂城は本丸のみを残し二の丸・三の丸及び惣構えの毀脚であった。 大坂城の毀却は、講和の翌日から城を包囲した徳川軍により行われた。 越前・加賀・近江・伊勢・奥州の諸勢が雲霞の如く集まって、えいえい声を出し夕暮れに及んでは提灯を灯して徹夜で . . . 本文を読む
コメント

言うは勘兵衛 15

2013-07-12 | 創作
いくさも知らぬ若者達が、出丸の堀近くまで見つからずに近寄れたと言うことと、一日中の銃撃戦と言うことに勘兵衛は疑問を呈した。銃撃戦としては、異例に長いのである。しかも、午前中に兵の大半が堀付近から、退散して鉄盾や竹束の陰にかくれているのに、なおも銃撃を続けたのであった。まるで、弾薬が豊富であると誇示するように。  その夜、一方的な敗戦に対して家康に前田の宿老横山大膳が詫びに訪れていた。 「城方も指揮 . . . 本文を読む
コメント

言うは勘兵衛 14

2013-07-10 | 創作
前田家の冬の陣での配置については色々な説があるが城より南側の右翼であったことは間違いない。 十一月十九日より城攻めが始まった。 木津川口の砦への攻撃、大和川方面での柵攻め等、各地でいくさの戦果が報告されてくると、前田の陣でも速やかに攻撃すべきであるという声が挙がってきた。 「勘兵衛殿、我等も速やかに城攻めを行うべきでは」 「いやいや、城攻めは下策であれば、そのように急いては遅れを取りますぞ」 「な . . . 本文を読む
コメント

言うは勘兵衛 13

2013-07-08 | 創作
 大聖寺城落城後、越前金津付近まで来たとき、利長は急遽反転して、金沢へと引き返している。 反転の理由は、敦賀の大谷吉継が利家の二女の夫、中川光重に大谷軍が海路金沢に攻め込むという偽書を書かして、それに利長が騙されたとも、また越後において一揆が発生したと言う情報が入って、引き返したとも言われている。 しかも浅井畷において小松の丹羽長重と前田軍のしんがり長連龍とが合戦になり、前田側に大きな被害がでた。 . . . 本文を読む
コメント

言うは勘兵衛 12

2013-07-05 | 創作
徳川家康は、加賀の前田を恭順させるという成果を得て、天下人第一に躍り出た。 次に家康が目を付けたのは、上杉景勝であった。当時上杉家は百萬石を越え、何より天下の名将と言われた直江山城守がいた。 家康との相性も悪く上杉家の動向を確認しなければ、石田方との一戦は難しいと考えられていた。 上杉方の家臣を徳川方に寝返らせ上杉家の謀反として、城や堀の改築を証拠として謀反を企てているのではと詰問状を出した。 上 . . . 本文を読む
コメント

参議院選挙 公示

2013-07-04 | 日記
本日参議院選挙が公示されます。 6年前にねじれが始まって、日本経済の停滞が始まったのです。 この結果から、政治家は誰が成っても同じだと言うことはありません。 嘘つきや、耳あたりの良いできないことを言う政党に政党交付金をやる必要はないと思います。 民主党は今回もマニュフェストを掲げるみたいですけど、あんなの信用する人がいるのでしょうか。 辞めたとはいえ、国益に反することを平気で言う人を党首にした責任 . . . 本文を読む
コメント

言うは勘兵衛 11

2013-07-03 | 創作
 慶長四年前田利家が亡くなった。 利家死亡と同時に僅かに残っていた豊臣家と徳川家の均衡が、一気に徳川に傾いた。 前田は長男利長が家を継いだが父利家とはその力量に置いて天下を狙うには徳川氏より見劣りした。 しかし、加賀という要地にあって九十万石の前田の動向は、徳川・豊臣いずれにおいても重要な地位にあった。 勘兵衛の周辺においても、色々の噂が飛び交うようになった頃、一人の男が勘兵衛を尋ねてきた。その者 . . . 本文を読む
コメント