天王寺口での開戦により岡山口でも銃撃戦が始まった。西軍からドォーっと鉄砲の音が聞こえると、先頭の小者が竹束を少し斜めにして地面に置き竹束の陰に隠れる。その竹束の横に密着して他の竹束を同じように少し斜めにして置き、陰に隠れるのである。
最初はみんなが隠れて暫くしてザーッという音と共にカンカンと竹束に鉄砲玉が当たる音がしていたが、敵との距離が縮まるにつれて、その間隔は短くなっていた。竹束に当たる音も、カンカンと跳ね返るような音ではなく、ビシビシと竹を割るような音に代わってくる。勘兵衛の廻りの小者にも、傷を負う者が出始めた。
「ヒューと鳥の鳴くような音は気にするな、シューと風を切るような音がしたらその場に伏せろ、風切る音の鉄砲弾は自分に向かってくるぞ」
間断なくなり続ける鉄砲の音の中でも、勘兵衛の声は聞こえた。敵兵の顔が確認できるような距離になり勘兵衛は、槍を高々と上げて号令した。
「声だせぇ」
その声に呼応して長槍隊が「オウ」声を出した。
「エイエイオウ、エイエイオウ」の掛け声をかけて槍を上下に動かして進み出した。
先頭には、竹束を抱えた小者がいて、鉄砲玉を弾きながらの前進である。
勘兵衛の耳元には、シュー、シュー、と風切る音がひっきりなしに響いていた。
西軍の大野治房も白地に蛇の目の旗印を掲げてエイエイオーと声を上げて前田利常隊を迎え撃ちに出てきた。
槍を上下に動かして両軍が激突した。振り下ろされた槍に額を割られて崩れる者や、槍を引かれるとき足や太股を切られた者がその場に崩れ倒れる。
両軍が激突すると大野治房に属していた浪人衆が、身の危険も顧みず、前田の長槍隊に突っ込んできた。
エイの声で槍が上がると自らの槍を捨てて抜刀して突っ込んでくるのである。
前田方は足軽であるため、槍の手元に飛び込まれると為す術が無く散々に切り立てられて、先陣が乱れた。
「槍先を整えて、突けぇ」勘兵衛の声が響いた。勘兵衛の声に逢わせて、槍先を揃えて突っ込んでくる者に槍を突き出した。
「深く刺すな、一寸毎に槍を突き出せ」
前田隊が槍先を揃えて大野治房の軍勢に突っかかるとジリジリと大野の軍勢は退いた。
大野軍が一塊となって前田方の前に立ちふさがろうとしたとき、前田の一隊が横やりを入れた。ここにきて、兵力差が歴然としてきた。横やりに対処しようとすると前面の備えが薄くなり、前面に備えようとすると横やりに突かれる者が多くなった。
ジリジリと大野隊が退いてゆく。
大野の軍が退き始めたとき、大野軍の槍襖の隙間をついて勘兵衛が、大野軍の長槍隊に突っ込んだ。三間半の長槍は手元に飛び込まれると、抗ずる術が無く隊列が崩れる。この飛び込みに対して、やはり半間槍の勇士が相手するのであったが、勘兵衛の槍を受けることが出来なかった。忽ち勘兵衛の廻りにぽっかりと隊列の空間ができて、そこに次々と前田方の兵士が雪崩れ込むようにして、切り崩していった。
戦闘は最初の一撃で組織的な抵抗を終了した。命令系統に乱れのあった西軍は各所で英雄的な抵抗を試みたが、組織的な抵抗は出来なかった。
敵味方入り交じっての乱戦になってきた。
「敵は白き顔に色鮮やかな具足なり、味方は顔色黒く汚れた具足なり。構えて同士討ちするな」勘兵衛は周りの者に声をかけると、城めがけて走り出した。
前田軍は掛け声を上げ足早に、大坂城を目指した。このため後詰めとして配置されていた藤堂・細川・井伊の各隊も足早に進んだため、本陣の徳川秀忠軍との間に距離が開いてしまった。
天王寺口方面でも本多・小笠原の後詰めの浅野・秋田・保科隊が混乱を起こし、右翼が手薄になって大御所徳川家康の本陣が茶臼山の真田隊から望観されてしまった。
家康本陣まで、風吹く原野が広がっていたのみであった。真田軍は松平軍を脇に見てすり抜けるようにして家康の前に現れた。
この真田の攻撃に、松平康長が立ち向かったが、兵の密度が足りないため松平軍を通り抜けるようにして、真田隊は家康本陣に攻め入った。いずれも野戦においては、すり抜ける敵を補足できずに、本陣にまで攻め入られることになったのであった。
大軍を擁しても、真一文字に突き進められると、独りが独りを押さえる為脇をすり抜けるような敵を留めるのが困難であった。
密集体型で押し進めれば本陣を攻められることはなかったのであろうが、東軍にも明確な統帥権があるわけではなく、各大名家が自分の本陣を警護してバラバラに突き進んだ結果、どうしても各部隊の間に隙間が生じるのでる。
その隙間に西軍の大半が攻め込んできた。組織的な集団ではなかったがその数に押されて、家康本陣の前備えは手薄となり、一時期家康の廻りには近従一人のこともあったという危険な状況になったという。
前田家御軍陣之定には、武者押並陣取次第一組充先繰々々に不入込様に可申付、備を離れ、私として陣所ちりぢりに有之族、可為曲言事の定めがあり、いわば抜け駆け、単独行動を厳に戒めていたところであったが、前後入り乱れての戦闘になるとどうしても戦闘は散り散りに戦い始めてしまい、いわばこれからが勘兵衛の戦であった
最初はみんなが隠れて暫くしてザーッという音と共にカンカンと竹束に鉄砲玉が当たる音がしていたが、敵との距離が縮まるにつれて、その間隔は短くなっていた。竹束に当たる音も、カンカンと跳ね返るような音ではなく、ビシビシと竹を割るような音に代わってくる。勘兵衛の廻りの小者にも、傷を負う者が出始めた。
「ヒューと鳥の鳴くような音は気にするな、シューと風を切るような音がしたらその場に伏せろ、風切る音の鉄砲弾は自分に向かってくるぞ」
間断なくなり続ける鉄砲の音の中でも、勘兵衛の声は聞こえた。敵兵の顔が確認できるような距離になり勘兵衛は、槍を高々と上げて号令した。
「声だせぇ」
その声に呼応して長槍隊が「オウ」声を出した。
「エイエイオウ、エイエイオウ」の掛け声をかけて槍を上下に動かして進み出した。
先頭には、竹束を抱えた小者がいて、鉄砲玉を弾きながらの前進である。
勘兵衛の耳元には、シュー、シュー、と風切る音がひっきりなしに響いていた。
西軍の大野治房も白地に蛇の目の旗印を掲げてエイエイオーと声を上げて前田利常隊を迎え撃ちに出てきた。
槍を上下に動かして両軍が激突した。振り下ろされた槍に額を割られて崩れる者や、槍を引かれるとき足や太股を切られた者がその場に崩れ倒れる。
両軍が激突すると大野治房に属していた浪人衆が、身の危険も顧みず、前田の長槍隊に突っ込んできた。
エイの声で槍が上がると自らの槍を捨てて抜刀して突っ込んでくるのである。
前田方は足軽であるため、槍の手元に飛び込まれると為す術が無く散々に切り立てられて、先陣が乱れた。
「槍先を整えて、突けぇ」勘兵衛の声が響いた。勘兵衛の声に逢わせて、槍先を揃えて突っ込んでくる者に槍を突き出した。
「深く刺すな、一寸毎に槍を突き出せ」
前田隊が槍先を揃えて大野治房の軍勢に突っかかるとジリジリと大野の軍勢は退いた。
大野軍が一塊となって前田方の前に立ちふさがろうとしたとき、前田の一隊が横やりを入れた。ここにきて、兵力差が歴然としてきた。横やりに対処しようとすると前面の備えが薄くなり、前面に備えようとすると横やりに突かれる者が多くなった。
ジリジリと大野隊が退いてゆく。
大野の軍が退き始めたとき、大野軍の槍襖の隙間をついて勘兵衛が、大野軍の長槍隊に突っ込んだ。三間半の長槍は手元に飛び込まれると、抗ずる術が無く隊列が崩れる。この飛び込みに対して、やはり半間槍の勇士が相手するのであったが、勘兵衛の槍を受けることが出来なかった。忽ち勘兵衛の廻りにぽっかりと隊列の空間ができて、そこに次々と前田方の兵士が雪崩れ込むようにして、切り崩していった。
戦闘は最初の一撃で組織的な抵抗を終了した。命令系統に乱れのあった西軍は各所で英雄的な抵抗を試みたが、組織的な抵抗は出来なかった。
敵味方入り交じっての乱戦になってきた。
「敵は白き顔に色鮮やかな具足なり、味方は顔色黒く汚れた具足なり。構えて同士討ちするな」勘兵衛は周りの者に声をかけると、城めがけて走り出した。
前田軍は掛け声を上げ足早に、大坂城を目指した。このため後詰めとして配置されていた藤堂・細川・井伊の各隊も足早に進んだため、本陣の徳川秀忠軍との間に距離が開いてしまった。
天王寺口方面でも本多・小笠原の後詰めの浅野・秋田・保科隊が混乱を起こし、右翼が手薄になって大御所徳川家康の本陣が茶臼山の真田隊から望観されてしまった。
家康本陣まで、風吹く原野が広がっていたのみであった。真田軍は松平軍を脇に見てすり抜けるようにして家康の前に現れた。
この真田の攻撃に、松平康長が立ち向かったが、兵の密度が足りないため松平軍を通り抜けるようにして、真田隊は家康本陣に攻め入った。いずれも野戦においては、すり抜ける敵を補足できずに、本陣にまで攻め入られることになったのであった。
大軍を擁しても、真一文字に突き進められると、独りが独りを押さえる為脇をすり抜けるような敵を留めるのが困難であった。
密集体型で押し進めれば本陣を攻められることはなかったのであろうが、東軍にも明確な統帥権があるわけではなく、各大名家が自分の本陣を警護してバラバラに突き進んだ結果、どうしても各部隊の間に隙間が生じるのでる。
その隙間に西軍の大半が攻め込んできた。組織的な集団ではなかったがその数に押されて、家康本陣の前備えは手薄となり、一時期家康の廻りには近従一人のこともあったという危険な状況になったという。
前田家御軍陣之定には、武者押並陣取次第一組充先繰々々に不入込様に可申付、備を離れ、私として陣所ちりぢりに有之族、可為曲言事の定めがあり、いわば抜け駆け、単独行動を厳に戒めていたところであったが、前後入り乱れての戦闘になるとどうしても戦闘は散り散りに戦い始めてしまい、いわばこれからが勘兵衛の戦であった