わしやま

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大きくなったら何になる?

2010-09-20 22:50:00 | わしやま音楽祭VOL.11
お届けするのは

わらべ「めだかの兄妹」

このグループは、萩本欽一の担当番組『欽ちゃんのどこまでやるの!?』で結成された企画ユニット。

1982年のリニューアルにあわせて、これまで人形、あるいは子役タレントが担当してきた萩本家の3人の娘たち(のぞみ、かなえ、たまえ)が高校生として成長することになったのをきっかけに、オーディションで選ばれた3人の若手女優によって結成された。

当時はアイドル全盛期で華やかなアイドルが多くいた中で、素朴な雰囲気を醸し出し、注目を集めた。

萩本のぞみ 高部知子
萩本かなえ 倉沢淳美
萩本たまえ 高橋真美

そのひとりであったたまえ役の高橋さん(所属事務所は浅井企画でタレント活動を行っている)のお誕生日ということでアップしました。

『のぞみ・かなえ・たまえ』のメンバー名は、『希望(のぞみ)・叶え・給え』という語呂遊びになっていたが、萩本のぞみ役の高部知子の「ニャンニャン」事件で語呂遊びが崩れ、高部脱退で、倉沢、高橋の二人になる。

この曲は、1982年12月、

作詞はデビュー作が「四季の歌」(芹洋子が歌ったのは有名で、今は文部科学省認定の音楽の教科書に掲載している)で、「ラブ・ラブ・ミンキーモモ」、テレサ・テン、堀内孝雄に楽譜を提供する荒木とよひさ、

作曲は元々は演歌歌手になるために北島三郎を育てた作曲家船村徹に弟子入りするも、作曲家になるように薦められ作曲家となり、石川さゆり「津軽海峡冬景色」、坂本冬美「夜桜お七」、ドリーミン「アンパンマンのマーチ」、「勇気りんりん」など手がけ日本作曲家協会理事長を務めた三木たかし、

編曲は、YMOメンバーとして一世を風靡し、忌野清志郎とのコラボで話題になり、ちょっとYMO休止中な状態でも、クランクアップする映画「戦場のメリークリスマス」で音楽監督、俳優出演で大忙しだった坂本龍一

による凄い編成で、最初のシングル『めだかの兄妹』がフォーライフ・レコードよりリリースされた(レコード会社はその頃はイモ欽トリオ、シュガー、あみんで活きのいい状態だった)。

もともと番組のエンディングで、就寝するシーンの中で使われていた曲をリリースしたもので、番組の企画物であったこと等もあり、オリコンチャート1983年の年間シングルチャート第3位。88万枚以上を売り上げるヒットとなり、番組を放送していたテレビ朝日以外の局の音楽番組にも多数出演した。曲の内容は、『すずめ、こねこ、めだか』が成長したら何になりたいかを歌ったもので、パジャマにちゃんちゃんこの衣装で歌っていた。

ただ、このシングルがあまりにも売れすぎたため、これが当時の物品税の課税対象となる歌謡曲扱いか、または非課税となる童謡扱いかで論争となり、法廷で争われることとなってしまった。

その後、テレサ・テンの楽曲を提供し3年連続日本有線放送大賞グランプリに至ることになる作詞荒木、作曲三木コンビで、

Charのサポートメンバー、おニャン子クラブなど編曲を担当する佐藤準編曲「もしも明日が」、4人目のYMOとしてプログラミングを行った松武秀樹編曲「時計を止めて」をリリースすることになる。

のちに坂本龍一が『欽ちゃんのどこまでやるの!?』にゲストとして出演した際、『めだかの兄妹』の編曲の仕事について、「どうしてこれが自分のところに来たのかと思った」と率直な感想を語っている。




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