わしやま

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ブルドッグ早!

2011-08-16 22:00:00 | わしやま音楽祭Vol.14
お届けするのは

Elvis Presley「Blue Hawaii」

本日は「King Of ROCK」エルヴィス・プレスリーの命日とお盆休みどころか疲れを癒されればと思い、青に染めて落ち着いた感じでお届けできたらということで曲を選びました。

黒人のリズム・アンド・ブルースと白人のカントリー&ウェスタンを融合することによって、今までにない新しい音〈ロック〉を誕生させ、広めた人物として知られる。初期はアメリカ、そして世界中の若者にロックンロールによって人気を博し、後期になるとラスベガスの舞台でカントリーやゴスペル、バラードなどを歌い、万人に愛される人物となった。

エルヴィスは最初、「The Hillbilly Cat(田舎者の猫)」という名前で歌手活動を始め、その後すぐに歌いながらヒップを揺らすその歌唱スタイルから「Elvis the Pelvis(骨盤のエルヴィス)」の愛称で呼ばれるが、アメリカのバラエティー番組『エド・サリヴァン・ショー』の3度目の出演の際には、保守的な視聴者の抗議を配慮した番組関係者が意図的にエルヴィスの上半身だけを放送したというエピソードが伝えられている。

その際にサリヴァンが「このエルヴィス・プレスリーはすばらしい青年です」と紹介したことからサリヴァンにも罵声が飛んだ。

しかしこのおかげでエルヴィスへの批判は少なくなった。また、フロリダの演奏では下半身を動かすなとPTAやYMCAに言われ、小指を動かして歌った。この時には警官がショーを撮影し、下半身を動かすと逮捕されることになっていた。ステージでの華やかさに反して緊張しやすい性格で、レコード会社の門を叩けずに、入り口付近でウロウロ、ソワソワしていたこともあったようだ。

「初舞台の時には死ぬほど緊張した。観客の声が怖かったんだ。」との言葉も残っている。

KWKラジオではエルヴィスのレコード(「ハウンドドッグ」)を叩き割り、「ロックンロールとは絶縁だ」と放送。

ロックンロールが青少年の非行の原因だと中傷され、PTAはテレビ放送の禁止を要求など、様々な中傷の標的になった。

エルヴィスは友達だと思った人間には尽くすタイプだった。反対に「エルヴィスのお金や贈り物を求めて近付いてくる人間には、その姿勢に気付き距離を置いていたようである」とバンド・メンバーは回想している。

エルヴィスの記録は多数あり、

ギネス・ワールド・レコーズ編世界で最も成功したソロ・アーティスト

全米No.1シングル18曲(歴代2位)/全英18曲(歴代1位)

最多ゴールド、プラチナ、マルチ・プラチナレコード獲得数:140タイトル

全米No.1アルバム9作/全英6作

全米チャート入りレコード149作/全英98作

シングル発売133枚

最も長時間No.1にエントリーしたアーティスト(80週)

最も長期に渡ってNo.1アルバムをチャートに送り込んだアーティスト(1956~2002年)初のNo.1アルバム「エルヴィス・プレスリー登場!(1956)」から「ELVIS(2002年)」まで。

最多ヒットシングル記録(151曲)ビルボードtop100へのエントリー回数151回は最多。

1日で最もレコードを売ったアーティスト(エルヴィス・プレスリー/死の翌日、1977年8月17日) 2,000万枚以上の売り上げ。彼の死の衝撃が物語れる。

世界に最もファンクラブが多いアーティスト(エルヴィス・プレスリー)世界で(死後にもかかわらず)625のファンクラブが現在活動中である。

世界で最も訪問される墓(グレイスランド) エルヴィスの墓であるグレイスランドは、年間約70万人が訪れる墓。死後18年にあたる1995年には、歴代最多の753,965人が訪れた。アメリカの国定史跡。

統計、評論家などによる投票ロックの殿堂(エルヴィス・プレスリー/米1986年)

1986年、アメリカで始まったロックの殿堂は、ロック史上優れたアーティストやプロデューサーを登録している。エルヴィスは第1回目で選ばれた。

UKミュージック・ホール・オブ・フェイム(エルヴィス・プレスリー/英2004年)

2004年、イギリスで始まった、UKミュージック・ホール・オブ・フェイム(音楽の殿堂)は、音楽史上優れたアーティストやプロデューサーを登録している。エルヴィスは第1回目で選ばれた。2007年、この殿堂は資金不足のため、
廃止された。

カントリーの殿堂(エルヴィス・プレスリー/米1998年)

1998年、カントリー・ミュージック教会により、カントリーの殿堂入りを果たした。伝統的な同教会が認めたことは、エルヴィスの音楽の真価を証明するものだった。9月23日、テネシー州、ナッシュビルのグランド・オール・オー
プリー・ハウスで授賞式が行なわれた。

ゴスペルの殿堂(エルヴィス・プレスリー/米2001年)
2001年、ゴスペル・ミュージック教会により、ゴスペルの殿堂入りを果たした。11月27日に、テネシー州、フランクリンのピープルズ・チャーチで授賞式が行われた。ちなみにロックとカントリー、ゴスペルの3つの殿堂入りを果たしたのは、歴史上エルヴィスただ1人である。

世界の音楽を最も変えた曲(エルヴィス・プレスリー/That's All Right)

英国の雑誌『Q』によって発表。 音楽のジャーナリスト達の投票により決定。エルヴィスの音楽の始まりであり、ロックの原点とも言われる曲「ザッツ・オール・ライト」が、「音楽と世界を永遠に変えた革新的な100曲」の第1位に選ばれた。2位はビートルズの「I Wanna Hold Your Hand」。

死後、最も売り上げが多いアーティスト(エルヴィス・プレスリー)

経済誌「Forbes」により毎年(10月下旬)発表。 死んだ著名人の1年度の売り上げを順位付けしたものである。2001年から発表が始まり、エルヴィスは2005年まで5年連続1位に輝いた。2006年は、カート・コバーンの著作権が売却されたことにより2位になったが、翌2007年には4900万ドル(約56億円)で再び首位を奪回し、2008年度も5200万ドル(約51億円)で1位になった。毎年大体50億~60億あたりの売り上げを誇っている。

イギリスで最もヒットしたアーティスト(エルヴィス・プレスリー)
「The Book Of British Hit Singles & Albums」が発表。エルヴィスが「英国で1番売れたアーティスト・トップ100リスト」の第1位になった。1952年からのチャート・イン週間数の総計を基準としたものである。毎年発表される。上位にはクイーンやクリフ・リチャードらがいる。

雑誌や一般による投票ロック史上最高の服装(エルヴィス・プレスリー/白いジャンプ・スーツ)

約1万2千人の音楽ファンによって投票。 「最高のロック・アウトフィットtop10」での投票で、エルヴィスの「白いジャンプ・スーツ」が、ロック史上最高の服装として歴代第1位に選ばれた。2位は、カイリー・ミノーグの「ゴールドのホット・パンツ」。

最もサインに価値があるロック・ミュージシャン(エルヴィス・プレスリー)
カリフォルニア州のサイン専門誌「Autograph Magazine」により発表。最もサインに価値のあるロック・ミュージシャン第1位に、エルヴィスが選ばれた。2位はビートルズのポール・マッカートニー。


この曲は1961年本人主演映画「Blue Hawaii」のサウンドトラックからの一曲でアルバムは全米1位、トリプルプラチナを獲得している。

性格・ルックスとして

衣装関係は1970年代のエルヴィスは真っ白なジャンプスーツが思い出されるが、それ以外にも紺や青、水色、赤などのジャンプスーツも着ている。1970年初期のジャンプスーツは動きやすさを念頭に置いたシンプルな衣装であった。それがどんどん派手になっていき、ケープまで登場した。金やダイヤモンドやルビーなどを施したジャンプスーツは25kg以上にもなっていた。

飲食等酒も煙草もやらない。たまに葉巻を吸う程度である。「オン・ステージ」で観客から酒を渡された時も、口を付けるだけでほとんど飲んでいない。ステージ上で飲んでいるものは水かゲータレードである。

コーヒーや炭酸飲料、ピーナッツバターとバナナのサンドイッチが大好きで、毎日の様に食していた。ただし、このサンドイッチはさらに多量のバターをひいたフライパンで焼いた物であり、当然ながら高カロリーな食べ物で、エルヴィスが三十代以降体調を崩し、肥満化していった一因になったのではないかという指摘もある。


青く涼しく・・・


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