わしやま

実験的に楽しく、まじめに書き込んでいるブログです!以上書き込み責任者:やましたじゅんいち

転んだってまた立ち上がればいい

2011-08-15 22:00:00 | わしやま音楽祭Vol.14
お届けするのは

ナオト・インティライミ「Brave」

本日はナオト・インティライミ氏の誕生日ということであっぷしました。

彼の名前の由来は

INTI(インティ)は太陽、RAYMI(ライミ)は祭りという意味のケチュア語である。


音楽祭初ということで、概要を。



中学時代から曲作りを始める。高校(中央大学附属高等学校)時代には柏市内でストリートライブを行う。

2001年、中央大学在学中、SONY RECORDSから「Growing up !!」でメジャーデビュー(「なおと」名義)。3枚のシングル、1枚のアルバムをリリース。

2003年8月から2004年末まで「世界一蹴の旅」へ出る。

帰国後の2005年4月からナオト・インティライミ名義の活動を開始。

かつて柏レイソルのジュニアユースチームにも所属していたこともあり、2007年から「Webサッカーマガジン」にブログを掲載していた。サッカーを通じたミュージシャンとの交流もあり、桜井和寿と一緒にプレイした際に自作のCDを渡したことから、2008年、ap bank fes '08にMr.Childrenのコーラスとして參加。2009年にもMr.Childrenのライブツアーに帯同していた。

2010年4月、ユニバーサルシグマからナオト・インティライミとしてはメジャーレーベル初のシングル「カーニバる?」をリリース。カップリング曲の「風になれ」は、仙台カップ国際ユースサッカー大会の公式応援ソング。

2010年9月-10月のナオト・インティライミ初の全国ツアー「ナオト・インティライミ TOUR 2010 Shall we トラベる??〜旅は道連れ、世は騒げ!〜」(全公演6会場)、 2010年12月13日の日本武道館、2011年6月-7月のナオト・インティライミ全国ツアー「ナオト・インティライミ TOUR 2011 ADVENTURE~時はナオト大公開時代~final in 両国国技館「ナオトの日」スペシャルワンマンライブ(全公演8会場)までのすべてのワンマンライブのチケットを完売している。


この曲は2011年4月に5枚目のシングルとしてリリースしたナンバーで、

(kirei40.infoより抜粋)
リリース直後、言うまでもなく、3/11に起きた東日本大震災直後で暗い日本に、多くの人たちが勇気付けられ反響を呼び、その後、「2011FIFA女子ワールドカップ」にて、日本代表(なでしこJAPAN)が快進撃の呼び水として闘いの間、ウォーミングアップのために聴いていたことで話題になりましたが、

なでしこが決勝進出を決めた時の記事を紹介。


Brave

ナオト・インティライミは、サッカー好きとしても知られ
ジュニアユースチームにも所属した実績を持つ腕前。
「世界中を旅しよう」と28カ国をまわりジャマイカでは レゲエを
スペインではフラメンコを 帰国後 音楽の才能を開花させた ナオトの
楽曲は、どことなく 多国籍音楽と言う言葉 ピッタリきます。

決勝ゴールを決めた 沢穂希選手とナオトは、
一緒にサッカーをしたことがある蹴り仲間 
スエーデン戦を前に「チームのみんなが BRAVE 聴いているよ」
とメールで 知らされたらしい。

「BRAVE」は〈キミはキミのままでいいんだよ〉という意味。
「なでしこジャパン」(日本女子代表)は
オリンピックには4大会中3回、FIFA女子ワールドカップには
6回とも出場しているベテラン・・しかし苦節30年
一時は、低迷 存亡の危機も 乗り越えてきた女子サッカー。

今回の なでしこジャパンの活躍は 東日本大震災で 沈んだ
日本人の心を 元気づけています。
サッカー評論家のセルジオ越後氏は、スエーデン戦を見て
「澤はミスを取り返したね。本当にすごい選手だ」
川澄奈穂美には「スーパーゴールだ。素晴らしい!」Twitterで絶賛しました。
7月18日 深夜(というより早朝)世界ランキング1位の女王
アメリカと 戦う日本。勝てば 世界一!!という盛り上がりを
見せる中 世界中を回った ナオトの 音楽が サッカーを通じ
なでしこジャパンの快進撃の呼び水になっている・・
世界最速のストライカー アビー・ワンバック選手が率いる
世界の壁に屈することなく このまま 突き進んでほしいものですね。
ちなみに アメリカの弱点(アビー選手)は、大柄なので
近寄って攻撃される接近戦が苦手でウィークポイント。

なでしこジャパンは、小柄で小回りが利く・・アメリカにとって
技術が勝つか 体格が勝るか?という この対戦 目が離せません・・・


で、

「2011FIFA女子ワールドカップ・決勝」


初の決勝進出を決めたなでしこ。

決勝相手は、

FIFAランク1位のアメリカ合衆国。


決勝に駒を進めたアメリカ合衆国は、第1回大会を制して以来女子サッカー界の強豪チームであり続け、第3回大会でも優勝を遂げた。

一方の日本はアメリカ合衆国から勝利を挙げた事が無く、また国際大会において決勝戦に進出した経験も持っていなかった。

どちらも6大会連続6回目の出場だが、当時のFIFA女子ランキングは日本4位に対しアメリカは1位。

また過去の戦歴も2度の優勝経験を持つアメリカに対し日本の最高位はベスト8。

通算対戦成績は日本の0勝21敗3分と、すべての直接対決で日本が勝利を挙げたことは無かった。

過去、アメリカと日本はワールドカップで2度対戦した。1991年には予選で3-0、1995年には準々決勝で4-0と、ともにアメリカの勝利で終わった。

試合の5時間前、日本チームは宿泊するホテルの会議室で、日本女子サッカーの歴史を纏めたビデオを見た。

過去の歴代代表が経験した努力と苦難を見て、阪口夢穂は彼女たちのためにも頑張る動機づけを得たと言った。


前半



日本は準決勝と同じ布陣で臨んだ。

アメリカのエースストライカー・アビー・ワンバックへのインタビューによると、アメリカは早い段階で勝利を確定づけようと猛攻を仕掛ける方針を決めていた。

それは、キックオフ直前のホイッスルが鳴った直後にワンバックがセンターサークル内に駆け込んだ事からも伺え、安藤梢は敵の意図に気づいた。立ち上がりは、アメリカの思惑通り進んだ。

開始後1分でアメリカはチェニーがドリブルで持ち込んでシュートを放ち、その後も8、9、11分さらに12、16、18分と立て続けにシュートを打つがいずれも枠を捉えられなかった。しかしそれでも焦りは無く、ワンバックも得点は時間の問題だと考えていた。

日本のキープレイヤー澤穂希は守備に追われて攻撃に転じられず、チーム全体も慌ててロングパスを多用しては相手に取られる場面が続いた。

この悪いリズムに日本の監督・佐々木則夫は、15分頃に落ち着いてボールを味方内で廻すよう指示を出した。

これをいち早くGKの海堀あゆみが汲み取り、間を取るためにロングフィードからDFへのパスへ切り替え出した。

DFの岩清水梓も同様に周囲に声を掛けながら自陣でパスを回す時間を取り、攻撃を促す観客のブーイングに惑わされず自分たちのペースを次第に掴み始めた。

それでもアメリカの猛攻は止まなかった。前半29分にはワンバックが左足で強烈なミドルシュートを放ったが、クロスバーに助けられた。

それでもMFの宮間あやはパスを繋げる自分たちのスタイルを少しずつ取り戻したことで視野が広がり、冷静さを持って攻撃への展開を作ることができるようになってきた。

この日本が自信を取り戻しつつあることはワンバックも感じ取っていた。

前半は両者無得点で終わった。(日0-米0)

日本は悪夢のような劣勢に立たされつつも、幸運も味方につけ、ボール支配率は上回っていた。



ハーフタイム


ワンバックはいらだちを感じていた。チームは数多いシュートを放ちながら得点を獲られなかった。日本は眼に見えて自信を回復してきた。彼女の思惑は全く外れてしまった。

一方の日本は、予定通りの展開になったと話し合っていた。

前半を0-0で乗り切ることは当初からの狙いであったし、チームの雰囲気も良く、ラッキーにも助けらていた。

グループリーグで唯一の黒星となったイングランド戦の反省から、体格で劣る日本人が勝つには細かなパス回しを主軸とする自分たちのスタイル堅持が必要と話し合っていた彼女たちは、苦しい前半戦の中でそれを取り戻せたことに自信を深めていた。

そして後半にこそ何とか先制点をと、日本はピッチに向かった。


後半


アメリカは後半を迎えるにあたり、戦略を修正した。

日本のボールポゼッションに慌てて攻め急がず、日本が攻撃で前がかりになったところでボールを奪い、素早いカウンター狙いに切り替えた。

そのために前線に突破力に優れるモーガンを投入した。

早速後半1分にはクロスに合わせたモーガンがシュートを放つが、ゴールポストに阻まれた。

後半18分には日本の攻め、大野忍がDFの裏を取る飛び出しを見せたがオフサイドの旗が上がった。

これにはアメリカで中継放送をしたESPNさえミスジャッジとコメントした。

途中まで五分の展開が続いたが、やがてアメリカの戦略が当たる。

後半21分に日本がメンバー2人を入れ替えた直後の24分、前線でFW・永里優季の判断が遅れDF3人に囲まれボールを奪われると、素早いカウンターからラビノーがロングフィードを放ち、俊足のモーガンがDF陣を破り、熊谷紗希が必死で飛び込むも届かず先制点を奪った!

この1点でワンバックはチームの勝利を確信したという。(日1-米0)

そして日本には動揺が走った。攻めていたはずが速攻で反転されて中央を突破され、DF陣の隙を突き最も得意のスタイルでゴールを決められ、やはりアメリカには勝てないのかと意気消沈しかかった。(日1-米1)

その時、キャプテンの澤が周囲にかけた「あきらめるな、行こう」という声に、日本はまだやれると意気を奮い立たせた。

そして残り20分頃、それまで左右に並んでいたボランチの澤が攻撃重視のトップ下に出て、中盤の守備は阪口が専念するようポジションを縦に並ぶように変えた。

まずは同点に追いつかなければならないと、阪口は点にからめる澤を送り出した。

これが日本に攻撃の形を作り出し、波状攻撃を仕掛けて何度もチャンスを作り出せるようになった。そして後半36分、高い位置で永里が前線で寄せ、ボールを奪った川澄が右サイドへ深く切り込んだ永里へパスを通し、上げたセンタリングをFWの丸山桂里奈がからんだ。

混乱の中アメリカのDFがクリアしようとした時、自陣から約50mを一気に駆け上がって来たMFの宮間が飛び込み、体でワントラップを挟んで左足でゴールを決めた。

シュートの瞬間、宮間はインステップで向かって右に蹴ろうとしたが、名GK・ソロに読まれたと感じて刹那にアウトサイドで左狙いに切り替えていた。

その後両チームは互角に戦い、終盤にはアメリカがパワープレーを仕掛けるも得点は入らず、1-1のまま試合は決着がつかず、延長戦に持ち込まれた。



延長前半


延長戦でも攻めるアメリカと守る日本の図式は続き、コーナーキックやロングパスなどから積極的なシュートへ繋げていた。

そして14分、澤のクリアミスをアメリカが拾い、センタリングをバイタルエリアでフリーになったワンバックが決めた。

彼女はこれで雌雄は決したと思った。

しかし日本の心は折れず、川澄奈穂美は永里と「このくらいの方が楽しい」と話し合っていた。

宮間もまた、大事なのはその後だと考えていた。



延長後半


延長でリードされると追いつく事は難しく、何より心がくじけてしまう。しかし日本にその影は見られず、逆に結束力を高めてアメリカに迫った。

前半終了後のわずかな時間、FW・川澄は監督の佐々木に進言し、丸山とポジションを入れ替えて右のウイングに入った。

運動量豊富な自分がこのポジションにいれば、アメリカのボールを奪い攻撃へ転じやすいと考えていた。

彼女は3、4分の攻撃の起点となったがゴールには結びつかなかった。

後が無い日本は両SBの近賀ゆかりと鮫島彩もポジションを上げ、攻撃の厚みを増やした。

この勢いの中、近賀がオーバーラップを仕掛け、澤のパスを受けてゴール前に迫ったが得点には至らなかった。

しかしこれで日本は左サイドからのコーナーキックを得た。その直前のプレーでアメリカGKのソロが負傷し治療を受けて中断された際、宮間、阪口、澤の3人が集まった。

阪口の示唆に宮間が「ニアに蹴る」と言い、それに澤が「一番に飛び込む」と答えた。

12分、宮間のキックに飛び出した澤はニアサイドで右足を伸ばし、触れたボールはワンバックの体に当たってアメリカのゴールに突き刺さった。(日2-米1)

残り3分で掴めた勝利が手からこぼれ、アメリカの選手たちは立ちすくんだ。(日2-米2)

しかし最後の攻撃を仕掛け、アディショナルタイムの16分に縦のパスからモーガンが抜け出した。

これを岩清水は身を挺して阻止したが相手と接触し、FKを与えた上に彼女自身はレッドカードを受けてしまった。

人生初の退場処分を受けた岩清水がピッチを去った後、ロイドが放つFKを日本は懸命に守った。そしてタイムアウトとなり、試合はPK戦に持ち込まれた。(日2-米2)



PK戦

PKの順番を決める中、日本側ではエースの澤がキックを嫌がった。

川澄はめったにないチャンスだからと勧めたが固辞し、GKの後に決まった。

一方で4番目に指名されたDFの熊谷は、佐々木の説明「背番号が4だから」に苦笑した。

組んだ円陣の中、佐々木は笑顔で「楽しんでこい」と選手を送り出した。

その輪の中、GKの海堀あゆみの表情は厳しかった。

2失点を喫したが攻撃陣が取り返しPK戦に至った中、自分の頑張りどころはこれからと気合を入れていた。

コイントスでPKはアメリカが先攻となった。

1人目のボックスは中央寄りのシュートを放ち左に跳んだ海堀の裏をかいたように見えたが、反応して出された右足に弾かれた。続くロイドは枠を外し、3人目のヒースは狙った左側を阻まれた。

日本側は宮間が遠藤保仁(サッカー日本代表:♂)をほうふつさせる落ち着きで決め、永里は阻まれたが阪口が続き、2-0となった。

アメリカ4人目のワンバックはゴールしたが、次を決めれば日本が勝利する状態になっていた。

それまでの3本を味方を信じて集中するためキックをあえて見なかった海堀と、退場後は通路のモニターから視線を外さず祈り続けていた岩清水が見つめる先で、狙いを読まれたくないと一度夜空を見上げた熊谷のシュートはゴールの左上に突き刺ささり、サッカー女子日本代表はワールドカップ初優勝を遂げた。(PK:日3-米1)


その後、夢と希望を与えたなでしこは、団体としては初めて国民栄誉賞を受賞、2012年ロンドン五輪に向け、また闘うのだった・・・

目指すは初の「金メダル」。


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