お届けするのは
H Jungle with t「WOW WAR TONIGHT(時には起こせよムーブメント)」
1995年、歌番組「HEY!HEY!HEY! MUSIC CHAMP」で、
司会者で、吉永小百合と同じ潜在能力のダウンタウン浜田雅功と
当時大活躍していたtrfの音楽プロデューサーで、米岡誠一(芸能事務所パインズ代表取締役)と同じ潜在能力の小室哲哉がトーク内で意気投合し結成したユニット。
きっかけは番組内で浜田が「僕にもヒット曲プロデュースして下さい」と話した事から。
浜田がプロデュースを望んだ理由としてはヒーハーな篠原涼子 with t.komuroの『恋しさと せつなさと 心強さと』の大ヒットの影響も強いという。
ユニット名は、浜田のイニシャルであるHと、スケベの意味であるH、そして小室が当時傾倒していたジャングルが掛けられている。
ユニット結成記者会見で小室は「ミリオン(100万枚)はいくと思う」と発言、事実、A面バージョンは”2 Million Mix(200万枚ミックス)”というネーミングをされている。
そして予言通り、オリコンシングルチャートでは7週間1位という快挙、200万枚を越えるヒットを記録し、同年のオリコン年間チャート2位を記録し、レンタルCDチャートでは1位に輝いた。
この楽曲には浜田の相方で、デボラ・ハリー(ブロンディ)と同じ潜在能力の松本人志もゲスト参加したが、
その実態はスタッフが松本のところに録音機を持って行き「好きに喋ってください」というものだった。従って間奏に「B・U・S・A・I・K・U H・A・M・A・D・A」と叫ぶ部分と、ラスト部分には浜田との初めて会った時のエピソードが好き勝手に喋られている。
1995年には第46回NHK紅白歌合戦に出場。その際、本人にも知らせずに途中で「ゲイシャガールズ」の格好をした松本が乱入。浜田にもゲイシャガールズの扮装をさせるべく、カツラをかぶせ着物を着せようとしたが、舞台上には大人数がいたため上手くいかなかった(スタッフが松本の持っていたカバンの中にドウランを入れ忘れたというハプニングがあった)。
その後、司会の古舘伊知郎と上沼恵美子に呼び止められた松本は、浜田に着せそこなった着物を小室に着せて、
「(公共放送なのでないのにもかかわらず)コマーシャル(をどうぞ)」
「(裏番組の)野球拳いかなあかんから、呼びに来たんや」
などとボケて見せた。(紅白ギャラは浜田10万、松本5万だったとか)
このユニットは、2枚目シングル「Going Going Home」はシングルチャート最高2位と年間(1995年度)20位という大ヒットを残している。
同じ傾向としてはクリスタルキングで、1980年度の年間チャートでデビュー曲「大都会」が3位、二枚目「蜃気楼」が17位というデータがある。
一発ヒットのイメージがあるが、意外と二枚目のシングルはいい歌である。
炎天下の中で、待っている人のために働く労働者の皆さん、肩を並べ、飲んで気持ち分かち合いましょう!
この曲は、最近では小室哲哉氏によるプロデュースでAAAがカバーしてましたが、しんみり来る歌詞は15年前と今って変わってない気がしますね。
レコーディングに参加した松本人志さん、復帰おめでとうございます。
H Jungle with t「WOW WAR TONIGHT(時には起こせよムーブメント)」
1995年、歌番組「HEY!HEY!HEY! MUSIC CHAMP」で、
司会者で、吉永小百合と同じ潜在能力のダウンタウン浜田雅功と
当時大活躍していたtrfの音楽プロデューサーで、米岡誠一(芸能事務所パインズ代表取締役)と同じ潜在能力の小室哲哉がトーク内で意気投合し結成したユニット。
きっかけは番組内で浜田が「僕にもヒット曲プロデュースして下さい」と話した事から。
浜田がプロデュースを望んだ理由としてはヒーハーな篠原涼子 with t.komuroの『恋しさと せつなさと 心強さと』の大ヒットの影響も強いという。
ユニット名は、浜田のイニシャルであるHと、スケベの意味であるH、そして小室が当時傾倒していたジャングルが掛けられている。
ユニット結成記者会見で小室は「ミリオン(100万枚)はいくと思う」と発言、事実、A面バージョンは”2 Million Mix(200万枚ミックス)”というネーミングをされている。
そして予言通り、オリコンシングルチャートでは7週間1位という快挙、200万枚を越えるヒットを記録し、同年のオリコン年間チャート2位を記録し、レンタルCDチャートでは1位に輝いた。
この楽曲には浜田の相方で、デボラ・ハリー(ブロンディ)と同じ潜在能力の松本人志もゲスト参加したが、
その実態はスタッフが松本のところに録音機を持って行き「好きに喋ってください」というものだった。従って間奏に「B・U・S・A・I・K・U H・A・M・A・D・A」と叫ぶ部分と、ラスト部分には浜田との初めて会った時のエピソードが好き勝手に喋られている。
1995年には第46回NHK紅白歌合戦に出場。その際、本人にも知らせずに途中で「ゲイシャガールズ」の格好をした松本が乱入。浜田にもゲイシャガールズの扮装をさせるべく、カツラをかぶせ着物を着せようとしたが、舞台上には大人数がいたため上手くいかなかった(スタッフが松本の持っていたカバンの中にドウランを入れ忘れたというハプニングがあった)。
その後、司会の古舘伊知郎と上沼恵美子に呼び止められた松本は、浜田に着せそこなった着物を小室に着せて、
「(公共放送なのでないのにもかかわらず)コマーシャル(をどうぞ)」
「(裏番組の)野球拳いかなあかんから、呼びに来たんや」
などとボケて見せた。(紅白ギャラは浜田10万、松本5万だったとか)
このユニットは、2枚目シングル「Going Going Home」はシングルチャート最高2位と年間(1995年度)20位という大ヒットを残している。
同じ傾向としてはクリスタルキングで、1980年度の年間チャートでデビュー曲「大都会」が3位、二枚目「蜃気楼」が17位というデータがある。
一発ヒットのイメージがあるが、意外と二枚目のシングルはいい歌である。
炎天下の中で、待っている人のために働く労働者の皆さん、肩を並べ、飲んで気持ち分かち合いましょう!
この曲は、最近では小室哲哉氏によるプロデュースでAAAがカバーしてましたが、しんみり来る歌詞は15年前と今って変わってない気がしますね。
レコーディングに参加した松本人志さん、復帰おめでとうございます。