わしやま

実験的に楽しく、まじめに書き込んでいるブログです!以上書き込み責任者:やましたじゅんいち

ゴールなんてなくていいのさ

2010-07-24 00:45:00 | わしやま音楽祭Vol9~.10
お届けするのは

久保田利伸 「流星のサドル」

わしやま音楽祭では初登場です。

まずは、久保田さん、

「お誕生日おめでとうございます」


彼は48歳になられ、年男(トラ)ということと、潜在能力点火法から生年月日から潜在能力とラッキーカラーを出したら、ラッキーカラーは「黄」で、黄は動物ではライオンにたとえられるということで、干支のトラとライオンの二重は今年は当たり年と予想しているので、このような方々は、今年は大いに活動したり目立ち目が離せない状態であります。

久保田さんと点火法での潜在能力とラッキーカラーが同じ結果で、久保田さんと同じ1962年年男年女の音楽系だと、シェリル・クロウ、真島昌利(ザ・クロマニオンズ)、松田聖子がいる。

久保田さんは、静岡県出身で、実家は青果店を営んでおり、父親はスイカを叩くだけで、良し悪しが分かるほどであったという。

また、笑っていいとも!に初登場した際に久保田が語ったところによれば、一家揃ってファンキーなキャラクターで、青果店の店主である父親は客が来ると、フィンガーチップスを鳴らしながら「らっしゃい」と言っていたという。

少年時代は野球少年で、元日本ハムファイターズの広瀬哲朗は地元・中学時代の2年先輩・チームメイトだった(後年、久保田と広瀬は日本ハムのCMで共演している。高校時代迄野球に勤しみ、所謂球児だった。

静岡県立静岡商業高等学校卒業。受験勉強を経て高校卒業後は駒澤大学に入学。

2004年、ノルウェーの外資系企業に勤める11歳年下の日本人女性と入籍。2004年12月には、第一子となる男児が誕生。

頻繁に髪型を変える事で有名。

久保田はもともと1985年にキティミュージックとの作家契約で音楽業界に入ってきており、1980年代には20代前半と言う若さにして多くのシンガー、アイドルに楽曲提供をしていた。主なものとしては、田原俊彦、中山美穂、小泉今日子、鈴木雅之、GWINKO、荻野目洋子、芳本美代子、小山水城、とんねるず、バブルガムブラザーズ。特に田原俊彦には1985年から1993年までの間に多くの楽曲を提供している。1990年代に入ってからも、清水美恵、西田ひかる、森高千里、TOKIO、高橋真梨子などに楽曲を提供。最近では、CHEMISTRY、MISIA、ISSA、山田優などに提供している。

デビュー当時、歌っているときの英語の発音が流暢だったので、よく「英語が喋れるんですか?」と質問されたが、当時の久保田は英語を喋ることが出来ず、「全く喋れません。」と答えていた。

3枚目のアルバムを出すまでは、女性ファンにはビジュアル面ばかり好まれていたため、彼自身は「自分は決していい顔ではないのに、音楽ではなく何故顔が好かれるのか?」と相当悩んでいた。

好きな食べ物はエビフライ、担々麺以外のラーメン、シャウエッセン。特にラーメンは久保田の実家の近所に有る食堂「蒲原館」のラーメンを大変気に入っている。嫌いな食べ物は柿で、本人曰く「柿は柔らかくても硬くても食えない」との事。

又、10年以上に亘り体重は59kgを維持しており、出前は好きなものを食べているが、玄米を主食としている事でこの体重を維持している。

コネが大嫌いで、コネを使う事無く音楽業界に入った。

久保田の作品はテレビドラマへの起用が多く、特にフジテレビ系列への起用が目立っている。なお、テレビ東京系列の番組に久保田の楽曲が起用された事は今の所無い。

1987年Live Tomatoより

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