わしやま

実験的に楽しく、まじめに書き込んでいるブログです!以上書き込み責任者:やましたじゅんいち

タフから奏でる礼儀正しくお人よしなストラトの魔術師-地味編②-(沢尻エリカはお釈迦様!第24回)

2010-11-27 22:15:00 | 沢尻エリカはお釈迦様!
ジミ・ヘンドリックスについて。その②

ストラトの魔術師

現在ではロックギターの代名詞的なモデルとなっているフェンダー・ストラトキャスターだが、ヘンドリックスが登場した頃には使用するミュージシャンもほとんどおらず、生産中止の噂もあった。しかしヘンドリックスが使用することによってストラトキャスターの人気が一気に上昇。特にストラトキャスターのシンクロナイズド・トレモロ・ユニットによる驚異的なサウンドマジック(アーミング)は、世界中のギタリストの度肝を抜いた。 ストラトキャスターの設計者であるフレディ・タバレスは「ベンチャーズやザ・ビーチ・ボーイズのようなサウンドは予想していたが、ヘンドリックスのトレモロマジックは全くの想定外」と発言している。また、レオ・フェンダーが「あれ(トレモロ)はあんな風に使うものではない」と激怒したという逸話も残っている。

ヘンドリックスのギターサウンドというと歪みきった大音響がイメージされる場合が多いが、「Little Wing」などで知られるように、実際にはボリュームを絞ったクリーンなサウンドも多用している。ストラトの3つのピックアップを使い分け、ボリュームやトーンを頻繁に調整し、演奏中に音色を大きく変化させることも多かった。エリック・クラプトンが使って有名になったハーフトーン(ストラトのピックアップ切り替えスイッチを中間位置にすることで生じるフェイズサウンド)も、実際はヘンドリックスのほうがずっと早くから使用している(ヘンドリックスが考案したのではなく昔からある裏技だったらしい[誰?])。ボディやネックを叩いて弦を共鳴させフィードバックを起こしたり、トレモロユニットのスプリングを弾いて不思議な音を出したりと、ギターから発生するあらゆる音を演奏に利用していた。

ヘンドリックスの存命中にストラトキャスターを使用するフォロワーはほとんどいなかったが、死後にはエリック・クラプトン、ジェフ・ベック、リッチー・ブラックモアなどがストラトキャスターをトレードマークにし始めた。ヘンドリックス以降数多くのロックやブルースなどのギタリストがストラトを使用したことで、ストラトはギブソン・レスポールと並び、ソリッドボディのエレクトリックギターの代名詞的存在になった。

ストラトキャスター以外にも、ギブソンのフライングVやSG、レスポールを始め、様々なメーカーのギターを使用していた。ローディーだったエリック・バレットは「ジミがブルースを弾くときはいつもフライングアロー(フライングV)だった」と証言している。12弦アコースティックギター(トニー・ゼマイティスが、楽器製作を初めて間もない頃に製作したもの)で「Hear My Train A Comin'」を弾き語りする映像も残っているが、このギターはヘンドリックスの所有物ではなく撮影に当たって用意されたものである。

ヘンドリックスはギターの各弦を通常の音程から半音下げるチューニングを多用していた。これはギターの音程をヘンドリックスの声域(音域)に合わせる目的と、チョーキングなどの奏法をしやすくする目的と、両方の意味がある。 スタジオレコーディングの曲の中にはレギュラーチューニングも多い。ライブ音源の中には全音(1音)下げチューニングで演奏されている曲も確認できる(レコードやCDにする際、レコーディングエンジニアが音程を電気的に変化させている例もあるので注意)。


影響とエピソード

数々のヒット曲を持つヘンドリックスだが、ビルボード最高位は20位止まりである(ホット100)。とはいえ、難解な音楽でファンが少なかったなどということはなく、むしろ当時のアメリカのロックミュージシャンの中で最も集客力のあるスターだった。ウッドストックのトリを務めたのも、そのためだと言われる[誰?]。ただし、本来ヘンドリックスの出演は最終日(日曜日)の夜の予定だったのに、スケジュールが押して翌日(月曜日)の朝になってしまい、40万人とも言われた観客の大半は帰途についていた。日本人でウッドストックを観た数少ない一人であるギタリスト成毛滋も、ヘンドリックスのステージを観ずに会場を離れている。

ヘンドリックスは、様々なジャンルのミュージシャンとセッションすることを好んだが、1960年代半ばのイギリスでは、そういった習慣(文化)があまり普及しておらず、イギリスでセッションの習慣を定着させたのはヘンドリックスである、という説も存在する(ピート・タウンゼントの談話)。

ヘンドリックスの代表曲である「Purple Haze(邦題:紫の煙)」で使用されているE7(#9)というコードは、本来ブルースやジャズなどにおいて使用されていたものだが、ヘンドリックスの同曲の演奏によって「サイケデリックな響きのするコード」として有名となった。

モンタレーの記録映像で有名なギター燃やしだが、それが初めてではなく、イギリスで既に何度も行っていた。ヘンドリックスが初めてギターに火を放ったのは、ウォーカーブラザーズのツアーに前座として同行した際(1967年3月)。ギター燃やしを発案したのはヘンドリックス本人ではなく、知人の記者だったと言われている。「アメリカ国歌」のライブ演奏もウッドストックが初めてではない。「アメリカ国歌」には、多重録音を駆使したスタジオ録音バージョンも存在している。

音楽に「ヘビーメタル」という言葉が初めて使われたのは、ヘンドリックスの演奏に対してだという説がある。イギリスの新聞の記者が、ヘンドリックスのバンドの大音響に対し「ヘビーメタル(重金属)」という比喩を使ったのだという(チャス・チャンドラーの談話、TV番組「神になったギタリスト・ジミ・ヘンドリックス」など)。

ヘンドリックスに大きな影響を受け、ヘンドリックスそっくりの演奏をする「ヘンドリックス・フォロワー」と呼ばれるギタリストが存在する。ロビン・トロワーやランディ・ハンセン、ウリ・ジョン・ロートなどが、ヘンドリックス・フォロワーの代表例と言われる。

ヘンドリックスが、ニューヨークのチェルシー・ホテルに宿泊していた際、別の客である老婆からボーイと間違われ、荷物を運んであげたことがあるというお人よしである。。。その③に続く。


ジミヘンと同じ潜在能力仲間の有名人②(潜在能力についてはその①を参照)。

緒沢凛(元タレントで加藤浩次夫人:2001年7月に結婚した。加藤との間には1男2女をもうけている。結婚から長女の出産までを描いたドキュメンタリーが『めちゃ×2イケてるッ!』にて放送された。同番組内では結婚から出産の間ナインティナインの岡村隆史が夫妻宅に同居していた。2003年以降は出産や育児などもあり、芸能活動は行っていないが、『めちゃイケ』には現在の本名である「加藤香織」または「加藤カオリ」名義で出演することもある。『愛のエプロン2』で「マーボーなす」に挑戦し、上エプランキング12位に入るほどの料理の腕前を持っている。しかし加藤曰くカレーライスはイマイチらしく、2008年のお台場冒険王ファイナルにて、ココイチをもじった「イマイチカレー」として販売されることになった。2009年のお台場合衆国では、「料理教室で習った茶碗蒸しの腕前を応用した」とされるプリンを披露したが、「ビミョー」な味であるとして、「ビミョープリン」として販売されることになった。)、菅山かおる(WINDS所属のビーチバレー選手;元々はJTに移籍し、女子バレー日本代表選手。1999年は、JTマーヴェラスが第1回V1リーグで優勝した年だったことから、同年入社の菅山が「優勝のユウ」、同期入社の朝倉香苗は「優勝のショウ」がニックネームになった。全日本に選出される以前から、Vリーグのオールスターゲームにファン選出されるなど、バレーボールファンからの人気は高かった。「かおる姫」と呼ばれているが、ジャージ姿で近くに買物に行ったり、好きな芸能人に哀川翔、好きなアーティストに浜田省吾、好きなスポーツ選手に清原和博、亀田三兄弟その他、好物に馬刺し・ラーメンを挙げるなど、性格的には男っぽいらしい。JTのチームメイトである竹下佳江とは仲が良く、チームの写真撮影や全日本合宿での食事風景、プライベート時でも菅山の隣に竹下がいることが多い。JTのCMには竹下、宝来麻紀子と出演していた。現役時代はコーチから「もう練習を終わりにしよう」と言われても納得いくまで練習し続ける、かなりの練習の虫であった。)、マニー・パッキャオ(フィリピンのプロボクサー、政治家;現WBC世界スーパーウェルター級王者、WBO世界ウェルター級スーパー王者。体重差を乗り越えて各階級の人気選手を片っ端から倒し続け、ボクシング史上最多タイ記録のメジャー団体6階級制覇を達成したプロボクサーであり、また「事実上の8階級制覇王者」「史上最高のパウンド・フォー・パウンド王者」という評価の呼び声も高く、「2000年代最優秀選手賞」にも選出されている。苗字を捩って「パックマン」、「ザ・デストロイヤー、破壊者」「フィリピンの戦う誇り」、「人民の王者、庶民の王」の愛称で知られる。母国フィリピンでは絶対的な英雄であり、貧しく治安も悪い祖国を改善するために昔から政界を視野に入れた活動を積極的に行っており、2度目の出馬となった2010年の下院選挙では有力候補を抑えて当選し、プロボクサーと国会議員の二束の草鞋を履きながら活躍している。)、寺島よしき(超人気英語講師:わかりやすさNo.1のその授業は、綺麗で丁寧な板書と共に有名で「寺島よしき先生のようになりたい」と英語講師を目指す生徒が毎年続出する。どのレベルの生徒からも絶賛される寺島よしき先生の授業は業界でも有名。最上位の東大向けクラスから、一番下の基礎クラスまで、どの授業でもおおきな評判をとれる英語教育のスペシャリスト。新人講師の「見本」として塾、予備校の研修会で指導することもある。また、全国各地で「英語勉強法」の講演会も行う。新聞雑誌など、マスコミでも活躍。CMのエキストラや、織田裕二主演の映画「TRY」の船員役で出演。)、四宮洋平(ジャパンラグビートップリーグの近鉄ライナーズ所属のラグビー選手。ポジションはウィング・フルバック。)、今村康成(JRA・栗東トレーニングセンターの飯田明弘厩舎に所属する騎手。近年は障害競走への騎乗が中心である。)、瀬川亮(体脂肪率7%の元ラグビー選手の俳優;学生時代にラグビーで活躍するものの引退。その後は試行錯誤して劇団に入団。2003年に『超星神グランセイザー』でデビュー。2005年のNHK朝の連続テレビ小説『ファイト』に出演、
実際の彼も気さくな性格で、共演した本仮屋ユイカは再び共演したいとコメントしている。しかし、一方で下ネタ好きでもあり、朝ドラ特有の過酷スケジュールで正常でいられなくなる程疲労が限界に達すると、下ネタを連発してしまい、共演した女性たちを引かせてしまったというエピソードが残っている。2007年NHK大河ドラマ『風林火山』に主役山本勘助の親類に当たる庵原之政役で登場した際のセリフ「それがし、城攻めは初めてじゃ…武者震いがするのぉ!!!!」「名だたる武田の騎馬武者か…ますます身震いがするのぉ」が一部の視聴者の間で話題となった。第12回「勘助仕官」で一旦姿を消すことになったが、第22回「三国激突」にて再登場。さらに第45回「謀略!桶狭間」にて、「御屋形様、いよいよ尾張ご出陣。…武者震いがいたしまする」が一部の視聴者の間で話題となった。後日、某番組[要出典]にて「武者震いがするのう」のシーンは瀬川自身「力み過ぎました」とコメントしている)、中島卓偉(zetima所属の福岡県古賀市出身のシンガーソングライター:尊敬する人は父親、影響受けたミュージシャンはビートルズ、ZIGGY。で、一番会いたい人物はジョン・レノン。ZIGGYのVだった森重樹一は「自慢の後輩」というほどセッションを行っている。自身で自負するほどの努力家。好きな人間のタイプも「努力する人」で、努力する人は必ずどこか輝いているというのが持論。喉の事を考えて酒も煙草もやらない。インディーズ期の曲に「煙草をすわない僕は」という曲があるほどである。また手洗いうがいも欠かさない。四六時中音楽のことを考え、「それのせいで女性にフラれ続けてきた」とは本人の弁。歌と声のために体調管理にはストイックであり、体力作りのためにマラソンをしている(走るのは学生時代より得意であったとのこと)。そのためか足が非常に細く引き締まっており、本人も自画自賛するほど。酒に関しては体質的に本当に飲めない。飲むとじんましんが出たり、救急車を呼ぶ羽目になる。また「ギャンブルーレット」というシングルも出しているが本人は賭け事の類も全くやらない。仲の良い友人の西川貴教は「僕のライバル」と呼ぶ事がある。また、オールナイトニッポンの二部パーソナリティを務めた時、直前の一部の時間のパーソナリティだったaikoが「めっさ歌が上手いです」と紹介した事もあるほど。他にも「NUCLEAR SONIC PUNK」のレコーディングでL.A.に行った時、現地のスタッフに「何故英語で歌わないんだ?英語で歌えばすぐにフー・ファイターズの前座くらい出来るのに」と言われたらしい。)、オーノキヨフミ(北海道出身のりぼん所属のシンガーソングライター;高校生の時桑田佳祐に影響を受けギターをやり始めたとのこと。学生時代によく聴いていた歌手としてビートルズ、サイモン&ガーファンクル、サザンオールスターズなどを挙げている。自称、「ラーメン、カレー、日本史(特に幕末)をこよなく愛する男」で、桂小五郎のファンでもある。そのため、『ショッキングエクスプレス』のPVは本人の希望で、侍に扮した姿で登場している。上京後に住み始めた練馬区への愛着も深く、tvkの「saku saku」という番組で、MCの白井ヴィンセントと『練馬のうた 第二章』を製作したほどである。この曲はシングル『新宿西口摩天楼』にボーナストラックとして収録された。北海道に住んでいたころはSTVラジオ「アタックヤング」をよく聴いていたようであり、2004年度に「アタヤンPUSH!」木曜日(オーノキヨフミのアタヤンPUSH!)を担当し、最終回のタイトルコールで「オーノキヨフミのアタックヤング」と言った。本人は大満足だったようである。 現在はレコード会社の売り出し方だったポップなフォトイメージでは無く、より等身大の方向に変わってきている。それに伴い歌詞、歌も人間味溢れる方向になっている。自身のアーティスト活動、2010年消費者金融「プロミス」,中部地区不動産会社ニッショー,中部電力(歌唱のみ),ハウス生ローヤルゼリー1000ドリンクなどCMソングも手がける)、若林正恭(オードリーのツッコミ;27歳までボケを担当していた。ステージの際、ネクタイを結ぶのが苦手で、一日に何度も同じネクタイを着けるとこを嫌っており、常に複数ものネクタイを所持している。芸は多才であり、藤岡弘、や窪塚洋介、立川談志、長州小力、矢沢永吉、郷ひろみ、IKKOなどの物真似をすることができる。2008年のR-1ぐらんぷりでは、野球のスイングを山手線で説明するというピン芸で準決勝にまで進出した。お笑いをやりたいと父に告白したところ大反対され、縁を切るまでになったが2009年正月には実家に帰り、父とも打ち解けた。圧倒的なキャラクターを持つ春日俊彰を相方に持つため、『アメトーーク!』においては、「じゃない方芸人」として出演し、自身の目立たないエピソードを披露した。 また、同じく『アメトーーク!』において、「人見知り芸人」をプレゼンし採用され、様々なエピソードを披露した。自身はエピソードトークにおける多少の嘘は問題ないと考えている。クイズや勉強は少々苦手である。一見インテリに思われることもあるが、実は春日の方が勉強の成績や学力が高く、『オレたち!クイズMAN』や『ネプリーグ』などのクイズ番組で、しばしば自分はポンコツだと話している。また、一緒に仕事をさせて貰っている先輩は、全て他事務所であるにも関わらず優しく接してくれるが、1人だけ、キャイ~ンの天野ひろゆきが、若林のクイズの出来を憂いて、本気で叱ってくれたという。「『キャイ~ン』というコンビとしては、ウド鈴木の芸風を考慮し、天野自身は『ツッコミ』であるという自覚から、常にウドを上回る知識や学力を得ようと努力している。なぜならば、ツッコミはボケを『是正する』役割であるため(また、お互いの相方の共通項として、いわゆる"モンスター"である、という点も加味して)、ツッコミに説得力がなくなってしまう。だから勉強するという努力も怠らないことが大切だ」という趣旨のアドバイスを受けた。ただし、春日をけなして笑いを取るスタイルは変わっていない。だが一方、大喜利は得意であり、『IPPONグランプリ』では最終決戦進出、『ダイナマイト関西2010 first』は優勝、『言語遊戯王』では2連覇達成など好成績を残している。ライバルとして、ナイツの土屋伸之の名を挙げている。交友関係としてマシンガンズのファンであり、滝沢秀一とは親交がある。 また、U字工事とは、マシンガンズと共に、オーディションを受けている時期から親交がある。他に親交のある芸人仲間は、佐藤満春(どきどきキャンプ)と浜谷健司(ハマカーン)、くじら、ガンバレイ・シウバ(ダブルネーム・城 且智)、塙宣之(ナイツ)、HEY!たくちゃん、ちゅうえい(流れ星)、山里亮太(南海キャンディーズ)。親しい先輩芸人は、原口あきまさと前田健、はなわ、TAIGA、じゅんご、大輪教授。いきものがかりの水野良樹がオードリー、特に若林のファンであり、Music Loversで共演した際、メールアドレスを交換した。趣味は、散歩とランニング、バッティングセンター通い、裁判傍聴、人間観察、映画鑑賞、書籍の帯収集、サービスエリア巡り。 韓国のアイドルグループKARAが最近お気に入り。村上龍の熱烈なファン。また、岡本太郎に深く傾倒している。音楽ではチャットモンチー、アナログフィッシュ、エレファントカシマシ、中島みゆきのファン。音楽では、チャットモンチーやアナログフィッシュ、エレファントカシマシ、中島みゆきなどの大ファンである。また、グランジ・オルタナティヴ・ムーヴメントの頃には、カート・コバーンの影響を受け、ボロボロのネルシャツにダメージデニム、そしてVANSのスニーカーと眼鏡でキメるのがお気に入りだった。だが、カートのように長髪にもしようと思ったが、くせ毛のため、みうらじゅんのようになってしまい、断念したという。車内に常時サングラスを置いてある。大学生時代は、毎日スケボーとナンパ三昧だった。中高一貫校だったこともあり、仲の良い友人や部活の仲間に囲まれていたため、周りの友人に変化がなく、人見知りを覚えることはなかったが、大学に入ってから、環境の変化に馴染めず、人見知りも昂じて、大学ではほぼ一言も話すことが出来ず、サークル活動などにも積極的に参加できなかったという。天然な部分も持ち、思い出し笑いを30分間1人でするなどの行為がみられる。右利きであるが、バット・ゴルフなどは左打ちである。歌うのがオンチである。三十路を迎える前から加齢臭を気にしているとネタにしている。痔持ちのため、TOTOの携帯ウォシュレットを携帯している。幼少期に犬に噛まれたことがトラウマになっており、動物や猛獣に触るのが苦手。動物番組のロケでは、ビビる若林を弄るのが定番となっている。高所恐怖症でスピード恐怖症でもあり、絶叫マシンが嫌い。2004年に失恋をしたのが原因で、過呼吸に陥ったことがある。携帯電話で春日に助けを求めた所、春日は話の内容から過呼吸とすぐ分かり、さらにビニール袋に口を当てて呼吸するという対処法を聞いて治まった。春日がこの対処法を知っていた理由は、医療を題材にした漫画「スーパードクターK」を読んで覚えていたからであった。好きな女性のタイプは「バンドエイドを常に持っているような子」、「白いブラウスにパステルカラーのカーディガンが似合う子」「セントフォース系」。 相方春日は、若林の性格を『インサイド・クズ』と形容している。また、自身の内面を洞察した上で、『性根が腐っている』ということを公言している。 「人見知り」などのイメージで「ネガティヴ」な性格だと思われているが、本人の主張によると「『ネガティヴ』というのは一周して『ポジティヴ』の異名である。なぜならば、最悪の状況を常に想定して、それをいかにして避けるかをきちんと考える。これこそが真の『ポジティヴ』であると主張している。また、世間的に言うところの『楽観主義』というのは、「実は現実から目を背けている」という解釈も出来る。だが、どうあがいても「今」よりは良くならなければならない。強くならなければいけない。足りない部分は直視して、次の打開策を考えるのは、『ネガティヴ』を超越した、『超ポジティヴ』である」と主張している。占い師の島田秀平には「人前に立つ仕事をしているのが奇跡的なぐらい、ガラスのハートの持ち主。一見、春日が破天荒、若林が常識人というイメージだが、実際は正反対で、春日が常識人、若林が破天荒」と言われ天野ひろゆきに、「お前の願望を具現化したのが春日だろ」また、「春日は若林のスタンド」とまで言わしめた。お金がなかった頃の芸人時代に、春日の自宅でお客10人限定でライブを行ったことを2010年9月7日「コレってアリですか」内にて春日から公言されているが、その時話の流れで春日が買い物に行くことになり、帰ってくると客がニヤニヤしていたという。無事ライブも終了し、お客は帰ったが、その理由は春日が買い物に行ってる間に、春日の500円玉貯金の全てを、来ているお客10人に配ったということであった。同番組内で若林は「マジでごめん」と笑いながら謝罪していた。コンビでメインMCを務めた『そらを見なきゃ困るよ!』では蒼井そらが他の仕事で番組を休んだ際の穴を埋めるためのトークテーマとして、どちらが蒼井が好きかについてあくまでもテーマとは言え春日と共に熱く語り、若林のキャラらしい結実な方法で蒼井を落とそうとしており、今度、『アメトーク』のテーマで「蒼井そら芸人」を行おうとまで発言した。高校生くらいから家に帰ってきて本気で壁に靴下を投げることが習慣になっている。)、・・・その③へつづく


最新の画像もっと見る