わしやま

実験的に楽しく、まじめに書き込んでいるブログです!以上書き込み責任者:やましたじゅんいち

広告

※このエリアは、60日間投稿が無い場合に表示されます。記事を投稿すると、表示されなくなります。

WBC優勝記念=さわやかにDon't think,feel! OK牧場な若大将=

2009-04-05 19:17:11 | 沢尻エリカはお釈迦様!
2009年3月24日、2009ワールドベースボールクラシック決勝戦日本VS韓国、

この大会で4度も当たり

2勝2敗の五分、

どちらが勝ってもおかしくない状況下で

どちらも譲らない接戦で

同点のまま

延長10回表

イチローのタイムリーヒットで2点入りし、

大会2連覇を果たした侍日本。

日の丸を背負い闘った侍たちの活躍は

元気のない人たちに

心理的にいいものになったと感じます。

その彼らは今MLB、日本プロ野球での公式戦でいい潜在能力を発揮できること健闘祈り、今シーズンMLB、日本プロ野球のリーグ内でどこが優勝しようがプレーオフ、頂点に達しようがこのWBCの試合を振り返りどうでもいいような気がします。

何せ、彼らは所属チームが違おうとも優勝する強い団結力を見せ付けたから。

この侍を指揮し世界一に貢献した監督原辰徳について「沢尻エリカはお釈迦様!第22回」として二部構成で触れていきます。

愛称「タツ」、「若大将」、「ヤングミスター」など言われる彼、
1950年代経済産業のエネルギーの中心的存在だった石炭の街福岡県大牟田市に生まれ、小学生の途中までそこで過ごした。父親は福岡県立三池工業高等学校野球部監督となり1965年夏の甲子園で優勝を成し遂げ、東海大学付属相模高等学校の監督になり、大牟田市から神奈川県厚木市、相模原市へと移り、野球に打ち込み、少年時代を過ごす。1974年高校は父親のいる東海大相模高校へ進学、部活は野球部、もちろん父親のもとで練習をするのだけど、すでに1年生でサードのレギュラーとなって、夏の甲子園を3年連続出場、1975年春の甲子園出場という土の感触を味わうほど学校は神奈川県内では強豪、彼は高校生で通算43本の本塁打という記録を作り、その名は全国区に知れ渡り、甲子園大会の地区予選では本拠地の川崎球場をいっぱいにするほど高校野球ファンには鮮烈な印象を与え、父親とともに活躍する姿に「親子鷹」とも言われた。1976年高校3年になり進路先が注目されるのだが、その腕でプロ野球界も注目の的になっており、彼の本当の真意が期待されたのだが、彼はプロ野球界に入らず、大学進学を決意し、マスコミ、プロ野球に衝撃を与え、そのまま1977年東海大学に進学し、さらなる飛躍を達成することになる。1980年までの4年間での大学野球では首都大学リーグ最高殊勲選手、7度のベストナイン、2度の打撃三冠王(打率、打点、本塁打で全てトップ!!!)、法政大学のエース江川卓(1978年のドラフト会議でのトラブルの対象となり大きな問題となった。以後は読売ジャイアンツで活躍、阪神タイガースの切り札同級生の掛布雅之との対戦が見ものとなり、掛布とともに1988年引退、その後は野球解説者、タレントとなり現在に至る)との対戦、1979年日米野球では早稲田大学4年の岡田彰布(その後阪神に入り、掛布、バース、岡田と345番と全ての本塁打という伝説を作り1985年チーム日本一に貢献、最近では阪神タイガース監督を務めた)と3番4番を組み逆転満塁本塁打を打ち大活躍、4年生では1試合3本塁打打ち「長嶋茂雄の再来」と期待をさらに大きなものとした。1980年ドラフト会議で4球団競合の末、1位くじを当てた監督就任したての読売ジャイアンツ藤田元司により入団を決めた。背番号は前監督の長嶋茂雄が「できることならぼくの3を譲りたい」というほど惚れ込んだほどだったが結果的にそのころ現役引退した高田繁(現東京ヤクルト監督)の背番号「8」に決定した。1981年から15年間現役で活躍、長嶋茂雄以来「サード4番」の地位、タイトル表彰として、1年目で本塁打22本を達成した功績から新人賞、MVP1回、打点王1回、最多勝利打点2回、ベストナイン5回、ゴールデングラブ賞2回、月間MVP3回、オールスター出場11回を残している。引退後は1995年紅白歌合戦審査員、NHKプロ野球解説者、イチロー(そのころはオリックス)とのCM共演、CMで大沢啓二率いる「モルツ」メンバーとして爽やかさとは裏腹にロッカーを蹴飛ばすシーンを披露し、読売ジャイアンツヘッドコーチで当時監督だった長嶋茂雄と比較されることが多く指導も本塁打打った選手の出迎えもそっくりでマスコミから「長嶋が2人いる」とか言われ、久米宏(はいCMです)から「マイナス×マイナス=プラスだからなぁ」と評し、2001年監督長嶋茂雄の勇退に伴い後を継いで監督に就任、2002年1年目でリーグ優勝、日本一に大きく貢献した。2003年は星野仙一率いる阪神タイガースが勢いを増しリーグ首位を独走し優勝、「タイガースフィーバー」が巻き起こる中、優勝を逃したジャイアンツは彼と球団関係者の確執が起こり、監督解任へとなっていった。そのことが報道され大きな話題となり、発覚後の甲子園球場の「VS阪神」で原監督に最後の花道を作ろうと中心に立ったのはあの星野仙一である。星野さんとは親交があり野球に対しての相談のやりとりがあるほどの関係で、星野監督から花束受け取ったとき、涙を流し、観客は両ファン一同に「原コール」と大きく叫んで最後の花道を踏み入れて行った。2006年3年間チーム不調の結果で解任した堀内恒夫監督に代わり再び監督に就任、2007年はリーグ優勝を果たすもクライマックスシリーズでリーグ2位の中日に敗退しシーズンは終了、2008年はいきなり開幕戦から5連敗という衝撃的なもので前半戦は阪神タイガースの独走態勢でゲーム差13.5ゲーム突き放された状態で、後半戦は北京五輪の野球で一時抜ける選手が出てくる球団が出てシーズンの結果に左右する可能性が出てくる中、チームはそれをばねに「メークレジェンド」で連勝を重ね、終盤の9月には13.5ゲームから0になり、北京五輪で主力選手が抜けて大きく影響を受けた阪神と並び、ついに首位となりそのままリーグ優勝を果たした。その後はクライマックス通過し、パ・リーグ覇者西武ライオンズに敗れはしたもの大きく突き放されても逆転はあることを示したものだった。その北京五輪でプロ野球選手に統一し監督星野仙一率いる最強軍団で金メダル目標に世界の舞台へ足を踏み入れたもの、結果は3位決定戦で敗退、世間、マスコミからバッシングされてまもなくし次の世界の舞台2009年ワールドベースボールクラシックが控えていて、監督を誰にするかで野球界の首脳で話し合いがされ、話がまとまらなく、枠が空いた中、手を上げたのは彼で「名誉ある日本代表監督の座がたらいまわしされることがあってはならない」という意思で日本代表監督に就任するも、選手決めることでも難航を示し、一部球団が首脳陣や監督の意向で選手全員辞退させるなどの苦しい中、イチロー、松坂大輔などの大リーグで活躍している選手、岩隈久志、ダルビッシュ有などシーズン好調投手、中島裕之、村田修一などシーズン好調選手が集まり、「侍JAPAN」として、2006年WBC世界一に続き、連覇をかけ、世界の舞台に足を踏み入れるのだった。2009年公式戦に備えての球団一斉の練習(キャンプ)が始まり、それぞれの球団で力つけた選手がキャンプ途中、WBCへ切り替えをし、宮崎県で練習が始まった。公開ということで駆けつけた人は初日で40000人!!!、世界一への期待が大きいものだった。さらに力をつけ、東京ドームで1次ラウンドが始まり、台湾、中国を圧勝、もっともの宿敵韓国を10点以上の大差で勝ち、韓国とともに2次ラウンドへと突き進み、合衆国の西海岸へと足を踏み入れ、これまた宿敵キューバとの戦いがある中、侍たちはそのキューバを倒し、予選落ちへと陥って、またも韓国とともに決勝ラウンドと突き進み、Mr.ベースボール合衆国を倒し、韓国も北京五輪で五輪最強といわれたキューバを倒し金メダルを獲得した意地があり、決勝戦は「日本VS韓国」となった。そして、延長戦の末、勝利し連覇を成し遂げ、世界に知らしめたわけであるが、これからの彼の功績はいかなることかきになるものである。

人物像としてさわやかでお人よしな一面もあるが、野球指導に対し鉄拳制裁を課さない一面もある。

若手選手に野村克也(現楽天監督)著「巨人軍論」を読ませ、感想文を提出させたことがある。二軍選手のために寮ではこの本があるらしい。

大変の電話好きでFA宣言した選手、ドラフトで選ばれた選手に「ラブコール」をするらしく「愛のテレフォン」と言われている。

1982年ファン感謝祭で「オレたちひょうきん族」の名物キャラタケちゃんマンを扮し、ブラックデビル扮する江川卓で「たっちゃんマン」と「ブラックスグル」と称したことがある。

ヘビースモーカーだったが今は禁煙している。

冗談で野球よりゴルフが好きらしく、引退後は50歳で全米ゴルフ出場をするというビジョンがあったとか

全日本プロレス、プロレスリングノアとのつながりが深く、ノアの三沢光晴社長、1995年現役引退試合の翌日、東京ドーム「新日本プロレスVSUWFインターナショナル全面戦争」観戦し、メインの「UWF高田延彦VS新日本武藤敬司」で高田(出てこいやぁ~男の中の男!)を倒した武藤敬司(当時新日本プロレスで闘魂三銃士のひとり;現全日本プロレス社長:プロレスLOVE)との交流がある。

ジェスチャーのひとつひとつに特徴があり、味方選手が本塁打を打った後の出迎えの際、両こぶしを突き出し選手とあわせるしぐさは定番で「グータッチ」として親しまれ、巨人、彼のファンであるSMAP中居正広(オォ~ダァ~)はこのものまねをよくしている。

巨人アンチ最強の阪神ファンからは現役時代サインを求められるほど好意的で巨人OBでは数少ない個人的に好まれているひとりである

原辰徳さんと同じ潜在能力とラッキーカラーはパートⅡで明らかにするのでまずは原さんと同じ結果の有名人の一部を紹介します;仲間です!

城田優(父が日本人、母がルーマニア人の俳優;イケメンと言われチヤホヤされているが自分の顔がそんなに好きではなかったとか・・・;花さかりイケメンパラダイス、ROOKIES;現在やっさんと付き合っているとか・・・)、緒方龍一(w-inds)、ドワード・ハワード(NBAオーランド・マジック;身長211cm、体重120kgの体格を活かし現在最強のダンク製造機、スーパーマンの名を持つ;2008年北京五輪バスケットボール金メダル、クリスチャンで慈善活動に取り組んでいる)、アリソン・フェリックス(陸上競技;短距離100m、200mが主;2005年、2007年世界陸上金メダル、2004年アテネ、2008年北京五輪ともに銀メダル)、三宅宏実(女子48キロ級重量挙げ選手;父は1968年メキシコ五輪フェザー級銅メダリスト三宅義行、名前の由来は三「宅」「宏」「実」とうかんむりのある漢字が3つあり三冠王を意識して名づけた、2008年北京五輪6位)、斉藤祥太、斉藤慶太、椿原慶子(フジテレビ)、RYO(ORANGE RENGEのV)、ダニエル・ペドロサ(スペイン出身のMotoGPライダー;ロードレース世界選手権GP125cc1回、250cc2回の優勝、ルーキー・オブ・ザ・イヤー2回の成績がある)、山崎真実(2002年高知国体新体操大阪府代表選手、その後はデルモ経てミスマガジンをきっかけに芸能界入りしたグラビアアイドル、所属事務所社長は矢部美幸、彼には弟が二人いて、一人目はナインティナインの矢部浩之で相方岡村隆史とともに彼女を推している、もう一人は同じ大阪府出身で同級生である;一度も恋愛したこともなく、性格は消極的でいやな過去を引きずるようである、初代マネージャーはジャリズムの山下しげのり)、安田善紀(りあるキッズのボケ;1996年小学5年生の時、オーディション番組で未来の松本人志として未来の浜田雅功の長田融季ともにコンビ結成し吉本興業入り;同期として品川庄司、笑い飯西田幸治がいるが同期の飲み会は20歳まで法律上酒が飲めず飲み物はウーロン茶、コーラで乾杯していた、コンビは関西では十分だが全国的にいまいちの為彼らより知名度を上げている後輩芸人だが年齢が上の麒麟、南海キャンディーズからため口で言われる、中学生の時、新入りの後輩芸人だが5歳上のキングコング梶原、西野にお年玉をあげた事がある;「やりすぎコージー」で男性癖があることをカミングアウトされてしまい現在のところ8:2で男好き、好みのタイプ陣内智則、2008年M-1覇者ノンスタ石田明、飲み会では後輩芸人ノンスタ石田の体を触り、2009年R-1ぐらんぷり覇者中山功太にディープキスをしたエピソードがある、消極的な性格で極度の怖がりですぐ泣いてしまう)、石原優子(サンフラワー)、福田萌(お天気キャスター)、鈴木凛(第14代いいとも青年隊のひとり;趣味映画、音楽鑑賞、ピアノ、サックス演奏、写真撮影、ゴルフ、ゲーム、高校の同級生に相武紗季がいる)、クリス・ポール(NBAニューオリンズ・ホーネッツ;現役NO.1ポイントガード、2008年北京五輪バスケットボールアメリカ代表金メダル)、安倍麻美(姉は元モーニング娘。の安倍なつみでモー娘。が絶頂期、姉の人気に伴い同様な可愛い顔をしているという理由で芸能界入りし歌手デビュー曲は作詞326、作曲筒美京平によるもの、以後辻希美の後任としてギャル曽根、時東ぁみと「ギャルル」メンバー、舞台俳優、地方番組出演など地道に活動をしている、元々北海道室蘭のヤンキーだったとか・・・)、宮間あや(なでしこJAPANのメンバーで大会に出たことがある日本女子サッカーリーグ岡山湯郷BelleMF)、内田もも香(元宝塚歌劇団の中堅俳優)、石川梨華(元モーニング娘。元美勇伝;体格はムチムチボディでグラビア撮影がある;あごが出ているためアントニオ猪木のマネをすることが多い)、栃東大裕(元大相撲大関;温厚な性格で取り口については丁寧に説明できる理論派であり、趣味音楽鑑賞、2009年9月玉の井部屋継承することが確実視されている)、マイケル・ヤング(MLBテキサス・レンジャーズ)、財前宣之(モンテディオ山形のMF)、金子賢(俳優、一時期総合格闘家でアマチュア経験なしにPRIDEやHERO’Sに出場したもの一勝もできず引退)、一青窈(デビュー曲「もらい泣き」で新人賞、音楽賞を獲得し「ハナミズキ」のヒット、映画『珈琲時光』で主演デビューし2004年日本アカデミー賞新人俳優賞した作詞家、歌手、俳優;尊敬する人井上陽水、阿久悠、谷川俊太郎、小中高バスケット部所属、学校の同級生にフリーアナウンサー大橋マキがいて親友だったとか、中森明菜のファンでカラオケではよく歌う、ラーメン好きで家でカップめんをよく食べる;特に好きなのは「カップヌードルシーフード味」、座右の銘『来る者拒まず、去る者追わず』、スキューバダイビングライセンス持ち、インターネット、漫画好き、日本語、英語:小林克也「アメリ缶」で覚えたとか、台湾語が達者、自他共に認める雨女、夢は病院に野外音楽堂作ること、歌の再生速度を7割8割落とすと平井堅の歌声になり、その逆で平井の歌声を速くすると彼女の声に聞こえる、慶応大学入学時論文試験で音楽療法について書いて、合格し環境についての勉強をしたことから環境問題について取り組んでいて桜井和寿、小林武史らを中心にした環境問題に取り組む「ap BANK」に参加したりしている、その小林との不倫が週刊誌で取り上げられたことがある、人と犬以外動物が嫌い)、堀江由衣(声優、歌手:田村ゆかりとのユニット「やまとなでしこ」、「黒薔薇保存会」としても活躍、好きなアーティスト;B'z、GLAY、ケツメイシ、ジャニーズ系歌手、Tommy february6,「HEY!HEY!HEY!」出演した時司会のダウンタウンの顔が見れるということでうれしがったものプレッシャーでまともにしゃべることができず落ち込んで帰ったとか・・・)、倉橋ヨエコ(音楽家;2008年をもって廃業)、西川葉月(声優)、花岡麻帆(女子三段跳び日本人保持者:14m04、趣味はドライブ、太鼓を叩く)、山根厳(柏レイソルMF)、KOKIA(シンガーソングライターで日本より海外で多大に評価されている)、内藤裕子(NHK:身長174.2の長身)、盛田剛平(サンフレッチェ広島DF;大のラーメン好きで全国旅行で食べ歩きするほど)、伊澤一葉(東京事変ピアノ、Key、ギター、あっぱKey)、加藤大治郎(オートバイロードレースレーサー;2001年ロードレース世界選手権GP250チャンピオンで文部科学省スポーツ功労者顕彰、2003年事故が元で死去、その後日本人初史上16人目MotoGP殿堂入りした)、吉田恵(アロマテラピーの資格を持っている「めざましテレビ」のお天気キャスターで「恵ちゃん」のあだ名で人気を博し、政治家が絡む報道番組のキャスターを務めつつその名で言われるフリーキャスター)、水原恵理(テレビ東京:高校の同級生に森山直太朗がいて、大学時代のアナウンサー養成時の友人に大橋マキ、内田恭子、豊田綾乃がいる)、鈴木隆行(2002年サッカー日韓ワールドカップでフィジカルの強さ、献身力プレーが持ち味で日本代表FWとして活躍し現在は米国ユナイテッドサッカーリーグポートランド・テインバースFWとして活躍している)、塚原愛(NHK)、白鳥雪之丞(氣志團のD:グループは2009年4月より再始動)、渡辺和洋(フジテレビ;浪人、大学留年経て苦労の末入社、バラエティ番組で活躍し好感度が持てるアナウンサーとして頭角出し一般女性との結婚でコブクロ「永遠にともに」をピアノで弾き場を盛り上げたもの、デルモとの不倫で戒告処分をしイメージが下がった)、ティム・ダンカン(NBAサンアントニオ・スパーズ;NBA優勝4回、ファイナルMVP3回、シーズンMVP2回、2004年アテネ五輪アメリカ代表銅メダル)、アルバロ・レコバ(ウルグアイ出身のサッカー選手;パスオニオスFCのMF,FW)、セルゲイ・セマク(ロシア代表のサッカー選手;FCルゼン・カザンのMF;憧れの選手元フランス代表ジネディーク・ジダン、趣味はテレホンカード集め)、田村ゆかり(声優、歌手;声優として3人目で日本武道館ライブ成功を収め堀江由衣とのユニット「やまとなでしこ」などで活躍中;商業高校出身ということもあり珠算、簿記、情報処理など資格持っている、高校卒業後福岡で一般企業勤務、代々木アニメーション学院、KBCラジオ「中島浩二アワーTHE3P」のアシスタントという3つはしごし、上京し声優養成所に入りいじめと長い下積み時代を経て人気声優のひとりになった。好きなアーティスト:松田聖子、スガシカオ)、LYOKI(TRIOLのV,G、デルモ、ファッションデザイナー)、高須洋介(楽天ゴールデンイーグルス;2007,8年チーム選手会長、1997年第26回日米大学野球MVP)、高橋茂雄(サバンナのボケ;浜田省吾風のサングラス、尾崎豊風のルックスと雄叫び、ギブソン社エバリー・ブラザーズ・シグネイチャーモデルのギターを持ち『自由だぁ~』と叫ぶ「犬井ヒロシ」のキャラで知られるがこの場面は「エンタの神様」ぐらいで東京ではイマイチと先輩芸人陣内智則にバッシングされた;2007年陣内と藤原さんの結婚式の出し物で最初に目を向けたのが彼の熱唱であまり自信がなく陣内に土下座して断ったことがある。その後は「チャラチャチャ~」のムーディ勝山に回り披露したが・・・:小学生の時中学校試験対策模擬試験で全国1位になり立命館大学付属中学校に合格した、高校の時初セックスした時、相手の女から「妊娠した」と出産費用5万円払い、そのことがウソだったため騙されたことがある;先輩芸人をよいしょするのが上手で陣内、たむらけんじ、黒田有、宮迫博之に好まれている)、レミー・ボンヤスキー(2003年、2004年、2008年K-1ワールドGP王者;国立大学出身で数学を専攻、元銀行員、愛読書はビジネス書というほどのK-1きってのインテリファイター)、庄司智春(品川庄司のツッコミ;だが天然ボケでボケ担当の相方に突っ込まれることが多い。交際し続けた彼との交際でモーニング娘。を脱退した藤本美貴と婚約をしたマッチョで脱ぎたがりでナルシスト、TVでは人懐っこい笑顔見せるも相方品川祐の話では人見知りな性格な下半身がいやらしくなく東京都出身だが阪神ファン、長渕剛ファン、カレー好きだが辛いのが苦手、レーズンと酒が苦手、下着はビキニ、Tバック、タンクトップ70着:東京NSC1期で入る前はサラリーマン、清掃バイト、ホストをしていたとか)、石野卓球(電気GROOVEのV、DJ、音楽プロデューサー;小学生時代祖母が出店で買ったYMO「ソリッド・ステイト・サバイバー」に影響受け聴きまくりすぎて母から「イエローマジック禁止令」発令され、カセットテープ隠されたほどで、その後中学生になりクラフトワーク、ニューオーダーを聴き、母親を当時の静岡県の同年代で最もYMO、クラフトワーク中毒にさせエスカレートする内に電気鋸、ドラム缶の音を鳴らすようになり、妹がその音の騒音問題の内容の作文でコンクールで入賞、学校ではテクノカットを敢行、学級委員に何だかんだ言われつつ音楽三昧に日々を過ごし、サッカー王国静岡県ではサッカー選手を輩出している名門静岡学園高校に入学、1つ先輩に後にサッカー日本代表になるキングカズ三浦知良が通っていたがサッカー修行でブラジルに渡ったため退学で既にいなく無論面識なしで自身運動音痴でサッカーに興味なく、パジャマで登校する日があったりし「懲役3年」で無事卒業、そして同級生のピエール瀧と結成、上京、1989年デビューし、ホンジャマカ恵俊彰と似ている言われ本家と顔合わせた時彼も似ていると言われた事があることから意気投合したり、失踪癖があり「プチYOSHIKI」の異名持ったり、オカマバーに毎晩通ったり、「オールナイトニッポン」生放送中の音楽が流れている間トイレでにーおなしたり、小室哲哉のフェラーリに自身の世紀なるけいほーに擦り付けたりするほどの破天荒ぶりだが他人の細かいところや非常識な行動には鋭くツッコミ、一発ギャグを言わないと気が済まない自称ギャグピューターでダウンタウン、野性爆弾、ダンディ坂野、劇団ひとりが好きなお笑い通で音楽面ではコーネリアス、スチャダラパーなどのコラボレーション、篠原ともえ、木村カエラなどのプロデュースをしている。)、馬渡松子(宮崎県出身のシンガーソングライター;デビュー前はドリカムのバックバンド経てデビュー後アニメ「幽☆遊☆白書」のOP、EDを担当、ドリカム中村正人のラジオ番組にレギュラー出演したりし現在はインディーズで活躍している)、三石琴乃(声優;美少女戦士セーラームーンの月野うさぎ、新世紀エヴァンゲリオンの葛城ミサト、ドラえもんの2代目野比玉子、クレヨンしんちゃんの上尾先生、GTOの神崎麗美;朝の番組で「セーラームーン」のモノマネつきセリフが言えるほどのファンである中川翔子にサプライズ誕生日祝いとして本家からコメントとうさぎセリフの入った目覚まし時計をプレゼントに協力した)、大竹一樹(さまぁーずのボケ;女子アナウンサーとの結婚報道されたことがあるが親交のあるホンジャマカ恵俊彰の電話対談で否定、いまだ独身で消極的で心配性のため人生の目標は「死ぬまで無事」、潔癖症で警戒心が強く、神経質で無神経な人の態度を見るといちゃもんをつけるほど、かなりの暑がり、かなりの寒がりで体温が熱く摂取カロリーを消費しやすく体脂肪率が低くやせの大食いの素養を持っている。猫舌で熱々なものが嫌い、かに味噌が嫌い;ネタは彼が作っていて「関東一のツッコミ王」相方三村マサカズ「~かよ~」は彼が書いたもの。「ぐるナイ」の「ゴチバトル」では支払い史上最高記録546200円払ったことがある。「Qさま」の「芸能界チキンNo.1決定戦!」では心配性が災いを呼びチキンNO.1の称号を得た。眼鏡は事務所の方針と相方と似ているため伊達である。)

パートⅡへつづく
ジャンル:
スポーツ
コメント   この記事についてブログを書く
« 即興川柳62 | トップ | 即興川柳63 »
最近の画像もっと見る

コメントを投稿

沢尻エリカはお釈迦様!」カテゴリの最新記事