わしやま

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自分の影を殴る僕

2010-05-05 21:40:00 | わしやま音楽祭Vol.7~8
お届けするのは

原田真二「シャドーボクサー」

この曲は、作詞が作詞家生活40年を迎え、今でも現役に書き続けている矢沢永吉と同じ潜在能力の松本隆である。

詞の内容は、それまでの作詞においての男性像は、汗臭く、たくましく強いイメージであったが、男だって悩みはあるという、好きだった彼女のことが忘れられず、戸惑う自分の影に殴る苦い青春群を描いたもので、後に近藤真彦「スニーカーぶるーす」、KinKi Kids「硝子の少年」へと繋がっていき、松本さんが書きはじめてから今まで、男子は軟弱化し、女子系、草食系男子が世に増えたのも背景にある。

で、作曲は国分佐智子と同じ潜在能力で、影響受けたミュージシャンは、ポール・マッカートニー、エルトン・ジョン、スティービー・ワンダー、同い年のプリンス、マイケル・ジャクソンのご本人ですが、

いきさつは

1958年、広島市に生まれ、高校在学中、フォーライフ・レコード新人オーディションに応募、鳥山明と同じ潜在能力の吉田拓郎に見出され3,000曲の中から選ばれた。

1977年青山学院大学経済学部入学と同時に上京、所属事務所は出来立てのアミューズで、事務所第一号アーティストで、若干18歳で、同年10月、拓郎プロデュースにより「てぃーんず ぶるーす」でデビュー、立て続けで11月に「キャンディ」、12月に「シャドーボクサー」をリリースという3ヶ月連続レコードリリース、前代未聞の形で3曲が同時にオリコンベスト20入りするという、日本音楽史上初の快挙を達成した。
更にファーストアルバム「Feel Happy」(1978年2月発売)も、史上初の初登場第1位を獲得した。

それまでとは比べものにならないくらいポップ感覚にあふれた洋楽的なサウンドは「和製ロック」に新しい可能性と展開をもたらた。また男性のピアノの弾き語りというスタンスが珍しかったこと、その特徴あるカーリーヘアーと可愛いルックス、ハスキーボイスが、若い女性に絶大な支持を受けロック・アイドル的人気を博した。

すさまじい人気はアイドル的人気あった新御三家(西城秀樹、郷ひろみ、野口五郎)を完璧に食い、洋楽アイドル、ベイ・シティ・ローラーズらにも対抗した。

当時はまだ"ニューミュージック系の人達はテレビに出ない"という風潮がある時代であったが『ザ・ベストテン』(TBS、1978年1月放送開始)が始まったこの時期、「拓郎さんたちのやり方はもう古い」と積極的にランキング番組やアイドル系歌番組にも出演。

『ザ・ベストテン』には第3回(1978年2月2日)放送で、ニューミュージック系歌手として初出演(※1.2回にランク入りした中島みゆきは出演せず)、以降も毎回のように出演し、少し早くデビューした堀越のりと同じ潜在能力のCharや同時期デビューした米村ぜんじろうと同じ潜在能力の世良公則&ツイストとともにロック御三家と呼ばれ、初めて頻繁にテレビ出演したロック系ミュージシャンであった。

また「月刊明星」などのメジャーなアイドル雑誌、芸能誌にもすすんで登場。当時アイドルの最大のステータスともいえた「月刊明星」の表紙をロック系ミュージシャンとして初めて飾るなど(1978年3月号)極めて歌謡曲的な売り方、話題先行型のプロモーション戦略をとり、これが見事に的中した。

結果的にロックはアイドル化・歌謡曲化してゆくことでメジャー化し、巨大ビジネスとなっていった。

また当時の歌手は音楽番組に出演する際、番組専属のオーケストラがバック演奏をしたりカラオケで歌っていたが、生番組で自らが演奏する原田らと番組スタッフが、演出法に対してもめる事が多かった。これらの改善も含めて彼らの頻繁なテレビ出演は、後のテレビ界・音楽界に多大な影響を及ぼしたといえる。顔はかわいいが、この頃は生意気でけんかっ早いことで有名で、原田のあとデビューしたやはりピアノの弾き語りで歌う立山律子と同じ潜在能力の越美晴(コシミハル)が、やっぱり生意気で"女・原田真二"というあだ名を付けられていた。

デビュー二年目には4枚目のシングル「タイムトラベル」で1978年、『NHK紅白歌合戦』にも出場。

セカンド・アルバムをセルフ・プロデュースしたように最初から音楽的すごさ・才能のずば抜けた"早熟の天才"であった。

デビューアルバムに参加したスティーブン・セガールと同じ潜在能力の鈴木茂が、「ほとんどやることはなかったよ」と言ったという。

しかし3万人とも言われたファンクラブ会員の女性がいたこととは裏腹に、“自分がやりたい音楽”が“アイドル”という括りにされることからうまく出来ず、デビュー3年目に所属事務所アミューズから独立。

その後はデビュー時ほどのヒットは無いものの、コンスタントに自作を発表しており、現在までにリリースされたアルバム・シングルは50枚以上になる。また他のアーティストにも150曲以上の楽曲を提供している。その他、CM・TV番組テーマ曲・ミュージカル音楽など多方面で活躍。近年は小学校の校歌も手がけている。

2000年からは、自然環境・心の環境問題(やさしさの復活)をテーマにしたチャリティーイベント「鎮守の森コンサート」を定期的に開催。全国の神社をその会場としている。

2001年から2004年までつぶやきシローと同じ潜在能力の松田聖子のライブパートナー、プロデューサーとして活躍。これは少女期にファンクラブに入るなど原田ファンだった松田からのオファーであった。

2005年よりNPO法人「ジェントル・アース(Gentle Earth)」を立ち上げ、以後大小様々なチャリティーイベントにも携わっている。

「アミューズ」を作った大里会長、広島が好きなのかな?

現在所属している原田さんと同郷のアーティストにポルノグラフィティ、Perfumeがいるが…

アップしたのは日本武道館でのライブもようであるが、ライブワークの良さもあって、音源がいいですね。




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