労働者のこだま(国内政治)

政治・経済問題を扱っています。筆者は主に横井邦彦です。

戦力の逐次投入は戦争の一番下手なやり方

2008-08-05 00:52:40 | Weblog
 先ほど発足した日本の“籠城内閣”は経済対策に本格的に乗り出すという。

 漁業で燃料費高騰に苦しむ人々へプレゼント。

 農業で価格低落に苦しむ人々にもプレゼント。

 中小企業で資金繰りに苦しむ人々へもプレゼント。

 等々、インフレと不況が併存するスタグフレーションへと突入しはじめている日本には、それこそ困っている人は山ほどいるわけだから、そういう人々に少しずつ政府の善意のプレゼントを配っていたら、それこそ税金はいくらあっても足りないし、本当にこういうプレゼントがそういう人々の苦境を救うのかも定かではない。

 というのは、これらの人々の苦境の原因はスタグフレーションというよりも、日本の産業構造のゆがみに根ざしている場合が、多々あるからだ。

 そういう日本経済のゆがみを矯正することなしには、これらの人々への日本政府の善意のプレゼントも実を結ぶことはないであろう。むしろ砂浜に水をまくようなものにしかならないのではないか。

 そしてそれ以上に経済的な危機はまだ始まったばかりであり、この危機がどの程度の深さをもっているものであるのかということを認識できている人はいない。

 経済学者といえども予言者ではないのだから、危機の全体像はまだだれにも見えないのである。ただ、日々発表される経済統計や経済ニュースが厳しい状況を伝えるのみであるが、この統計も一ヶ月も二ヶ月も前のもので現在の情況を伝えるものではなく、過去の情報を伝えるものでしかない。

 日々の経済は株式市場や外為市場、商品市場、などのそれぞれの市場に投影されているはずであるが、この“市場の世界”は思惑の世界でもあるので、経済状態をそのままきちんと投影しているわけではない。

 こういう時に、現象の一つ一つを取り上げて、あっちでも困っている人がいるからプレゼント、こっちでもプレゼントなどとやっているのは、あちこち出没している敵にに対して、小兵力を逐次投入して、各個撃破され、兵力を消耗させて
いるだけの無能な指揮官に似ている。

 90年代に日本政府はこのようなトゥー・リトル・トゥー・レイト方式で日本は財政赤字の山を築き、ついには国の財政も地方公共団体の財政も破綻させてきたが、この財政の逐次投入でえたものはあまり多くない。

 国家の財政状態はすでに破綻状態なのだから、このような方式は取りえないはずであるが、今回それをやろうというのは、どうせそのうち消費税を上げるのだから、少しぐらいバラマキをやってもいいのではないか、という甘い考えがあるのであれば、それは“取らぬ狸の皮算用”というものであろう。

 そもそもこの“籠城内閣”が国民から求められているのは、このようなことではないはずだ。日本の国民が今求めているのは、政府のささやかなプレゼントなどではなく、解散総選挙であり、自分たちの手でこの困難をどのように克服するのか選択したいということであろう。