少年倶楽部・旅・絵日記

流離いの・・・

下町のジャン・ギャバン

2008-10-31 16:06:41 | マイ・フレンド




16年前の丁度今頃、萩の花も金木犀も終わって、紫式部やホトトギスが色づく頃のこと、普通の大工なら朝8時仕事開始なのだけど、訳あっての俄か大工の我々、昼メシを食ってからの13時開始です、それを路地の向こうから伺うようにして見てた白いズボン、白い上着、白い帽子を斜に被ったオジサン、今、思うと、シューチャン、御歳56才の秋のこと、顔や身体のあちこちに、さも今まで仕事をしてた、と言わんばかりに、白い粉をつけて、「いよっ、なにかい、こんどはカラオケかい・・?」という、「バーカ、ランジェリーパブだよ・・」というのが、初対面、初会話、台東区谷中3丁目、道具と雑貨の店を造る時のオハナシ、相手のオジサンは麺、餃子の皮、ワンタンの皮をそれぞれ、粉を練る機械、延ばす機械、麺にカットする機械、3台の機械を使って朝早くから仕事に精を出してた、三和商工の修造さん、この頃はまだ、兄のシローさんが健在で、シュウチャンと奥さんのカツエサンは工場長の立場、ったって、製造は二人だけだけど、銀座の天龍の餃子の皮や六本木の支那そば・大八のメンを卸してたくらいだからたいしたもの・・・、名前の無い雑貨屋も放送作家のジュンチャンに「かなかな」という名を考えてもらっての開店は11月の2日、当時はなにもかも様子がわからずに、とりあえず、11時出勤の小生、掃除をして、水をまいて、開店なのだけど、昼間ってのはとんと客の気配がなく、ケヤキの古材で作った囲炉裏でお茶ばっかり、でした、そのときはいつも、天性の人懐っこさからか、コーヒータイムの常連というか、昔っからの仲間のような間柄になっていました、もう一人、紙きりのうまい、野村酒店のオジサンもいました・・、相変わらずのバカッパナシです、店先の床机に座っては、「いよっ、お出かけかい ?」、誰彼かまわず路地のメンメンに声をかけるシュウゾウ、まるで、映画の寅さんのようでした、・・・そういえば、しゃべるとボロが出るので、みんなで「黙ってると、日本のジャンギャバンだよ・・」とからかったこともしばしば、まさか、路地裏に道具と雑貨の店「かなかな」なんて、当時流行り始めた和の雑貨を扱う店が出来るとは思うはずもなく、シュウゾウ、店に毎日何度も入り浸りです、谷中といえば谷中生姜くらいしかイメージのない我々には路地のこと、人の関係、街の行事、いろんなことを、黙ってても教えてくれる神様のようでした・・、おかげさまで、その年は小生や家人の知り合いの客も多く、毎日が閉店後囲炉裏を囲んでの宴会状態、毎晩、隣の床屋・松竹のオバサンの糠漬け、シュウチャンのカミサンのカツエさんにご飯を炊いてもらい、の、で、千代田線最終の常連でした、店のシャッターを下ろし、翌朝のゴミ出しをお願いし、じゃあ、またね、と言うと、「サイツエン」とかるく敬礼をするシュウゾウ、・・・また、翌日は、シュウゾウ、4時に起きて麺&皮の製造で、夜になると、また、何事も無かったかのように我々と飲み始めるのでした・・・、そして、また、朝4時起床、・・当時は正月の3日間とお盆の3日間だけが休みだったようです・・、そうそう、開店以来、毎正月、かなかな、3日からの営業で、その時は丁度、谷中七福神の谷中巡りで、賑わっているので、かなかなのチラシ撒きです、シュウチャン、Yタカ君、あっちのほうが人が多いよ、と、二人三脚のチラシ撒き、でした・・、佐渡の石臼の水槽の掃除と水替え、植木の手入れ、掃除、ゴミだし、重い荷物の運び、なにか、男手が欲しい時、面倒くさいことはみんなシュウゾウにお願いしてきてしまったようです、町内でも、面倒くさがらず、なんでもやってくれるシュウゾウ、便利屋で、重宝、お気に入りだったようです、おかげさまで、道具と雑貨・やなか「かなかな」も日本のバブル崩壊直後に始めた店ですが、まあ、それなりに、谷中の土地に根を下ろし、いまや、そのての店では、老舗(?)と言われるほど・・??

3年前の暮れのこと、シュウゾウ、前からの働きすぎ(自宅の隣の工場の床はコンクリで体が冷える)、と飲みすぎ(?)、坐骨神経の方からか、右足が動かなくなり、日医大に入院、しばらくして、工場閉鎖、機械は「横浜ラーメン博物館」へ、そして、また、何ヶ月かたって、今度は黄疸がひどく、緊急入院、退院したものの、一向に良くなる気配無く、この10月、再度入院、16日20時31分、とうとう、元気な姿を見せることなく、・・・残念です、「横丁のジャンギャバン」、某宗教学会の誰かが、山田修造さんの人となりを、語った際、「東京神田須田町生まれ、昭和42年結婚、多彩な趣味の持ち主で、マッチ、バック、芸能人の色紙、時計等の収集、サイクリング等々、・・」と語ってたようだけど、どれもこれも、ネ、ちょっと、怪しい・・・、最後に会話を交わしたのは9月末、いつものように、勝手にシュウチャンとこの玄関を開け、「宅急便です、シュウチャン元気?」「うん、あとで行くよ・・」でした、写真を撮りに行ったのですが、このとき、シュウチャン、熱があって、居間で横になっていました・・・、あれから、3週間、減らず口もきくことなく、一人、旅立っていきました・・・、胆管ガン、享年72歳、

まったくの他人なのに、平気で「バカ」「鬼」と言い合っていたシュウチャンがいなくなって、初めての営業日、「なんだか、私のほうが、寂しくなっちゃって・・・」とは家人、シュウゾウ、ほんと、あっけなく逝っちゃって・・・、バカだねえ・・・、「こんどゆっくり飲もうゼ・・」と言いながら、ここしばらく飲んでいませんでした、臥龍山、あ、須坂の酒です、・・もう一度、みんなで、臥龍山飲んで、バカっパナシ、したかったなあ・・・、そういえば、オデン屋の白ポチャのフジコ、シュウチャンの葬儀に来てなかったゼ ! ・・・還暦近いジジイを泣かせるんじゃないヤイ !!

無邪気、天真爛漫がそのまま、72歳になったような人でした・・、合掌 !!

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2 コメント

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久しぶり、 (yama)
2008-11-03 11:10:50
デンちゃん、久しぶりです、元気ですか・・??
シュウチャンのワンタンの皮、絶品でしたよね、そして、餃子の皮、麺、・・・カンスイ極少なめのタマゴを使った皮、麺で超美味でした・・・、・・の皮の冷やしワンタン、美味しかったなあ・・、

たまには飲もうぜ !!
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合掌 (北村伝次郎)
2008-11-02 01:58:27
初めの頃、かなかなにお邪魔してお土産にワンタンを戴きました。美味かった。

山さんが、自分の家の様に出入りするのを見て家族同様の付き合いなんだと思いました。

ご冥福を祈ります。
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