見聞知・録 福井県議会議員 西本正俊  

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ドイツ フライブルク 池田憲昭氏レクチャー 9月6日(土)

2008年09月06日 | 見聞知・録

フライアムト村から戻り、夜は本日のガイド通訳を務めていただいた池田憲昭から「ドイツの再生可能なエネルギー政策」と題して2時間レクチャーを受けた。

 池田氏は2003年から、環境関連の日独コンサルタント業をされている。
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つぎにレクチャーの内容を記す

 ポスト化石燃料時代の担い手として、再生可能エネルギーと原子力エネルギーが注目されている。これらの一方を選択するか、それとも両方を選択するのか、道は3通りあるといえよう。ドイツは現在、前者が5.6%、後者が12.5%であるが、2002年に脱原発宣言を出した。これは、石炭・褐炭の多くが国内自給できるため、原子力を切りやすかったという事情もある。

 1991年、キリスト教民主同盟の手によって「電力供給法」が制定され、再生可能エネルギーは、その地域の電力会社が買い取らなければならないとする制度が出来上がった。さらに、2000年には社会民主党の手によって法律が改正され「再生可能エネルギー法」となる。太陽光なら50セント、風力なら10セントといったように、価格が設定されている。これは15年くらいで回収できる金額とされており、太陽光はコストが高いため価格設定も高くなっている。また、再生可能エネルギーの買い取り価格を20年間保証する大胆な政策を打ち出して、保守的な農家が投資しだし、銀行もそれを後押して大きな成果を上げた。

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省エネもまた、重要なCO2削減の手段である。ドイツでは暖房が80%を占め、一世帯あたり月々3~4万円、年間50万円にも上る。日本では1980~90年代に省エネを進めたので、産業部門の省エネは世界トップレベルとなっている。しかし、民生部門が劣悪であるため、ドイツの省エネが参考になると思われる。

 特に寒冷なドイツでは暖房費が日本の4倍かかるが、これも再生可能エネルギーで大幅に節減でき、この政策が国民生活にも大きなメリットをもたらすことを知らしめた。

 また、再生可能エネルギーは、大企業の独占を打破し、地方におけるエネルギーの地産地消を実現するもので、なおかつ、省エネリフォーム市場や派生する複合ビジネスを創出し、新たな雇用も地方で生み出した。

 さらに注目すべきは、将来のエネルギー計画では、日本やフランスがエネルギー需要を右肩上がりに予測しているのに比べ、ドイツは右肩下がりでエネルギーの節約を明確にしている。

 EUでもかつて、電力を自由化したことがあった。たしかに一時期、電力の価格が下がったものの、電力会社が淘汰されることによって大企業4社の寡占状態となり、競争が働かなくなって電力価格は上昇している。

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ドイツ フライアムト バイオガスと風力発電視察 9月6日(土)

2008年09月06日 | 見聞知・録

ソーラー住宅などを視察後、午後からフライブルグ市近郊にあるフライアムト村を訪問した。ここは人口4300人の小さな村だが、この村の村長は大変有能な女性で、再生可能エネルギーで税収を上げて村を発展させている。フライアムトととは「自由自治」の意味で、現在もその精神を受け継いでおり、「石油産出国の言いなりにならずエネルギーの自立を目指す」方針を掲げている。この村は村で使う電気の140%の電気を自ら作っている。

 まず、4基の風力発電機があり、これらは住民の投資で作られている。また、150軒の屋根に太陽光パネルがある。バイオガス発電をする施設が3基、小型水力発電機が4基、木質チップを利用したコージェネレーション施設が70軒、牛乳をしぼったあと冷却するときの熱を使って暖房する農家が10軒ある。

 ここでは農家のラインボルトさんからお話をお聞きした。かつては牛100頭と豚を飼っており、肥料としてとうもろこしや牧草を作っていたが、狂牛病が発生してから経営が不安定になったため、牛や豚はやめてすべてバイオガスの生産に使うようになった。

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まず、トウモロコシを茎ごと収穫し、これを漬物のように漬けたあと、動物の糞尿を混ぜて45日間50℃くらいで発酵させ、さらに45日間発酵させてガスを得る。これを燃焼させて電力を作り、電力会社に売ることになる。バイオガスは1990年から作られていたが、法律が変わって買い取り保証が出来てから状況が変わった。法律では1kWあたり10セントで買い取ることになっている。これは10~15年ほどで投資が回収できる価格として設定されているもので、糞尿を混ぜない農作物だけのバイオガス発電であれば16セントとなっている。

 また、余熱で水を温め、近隣の14軒の農家と学校に有料で供給もしている。そのための700mのパイプラインは自分で投資した。さらに、残りかすも近隣農家に肥料として分けている。この発電設備一式への投資額は9000万円、国に保証された売電売り上げは20年間で3億2千万円である。いまでは酪農をやめられ完全な発電業に転換されている。

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つぎに、住民の投資で作られた風力発電基地を訪れた。先述のエアハルト・シュルツ氏も投資家のひとりとなっており、シュルツ氏からお話をお聞きした。

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風力発電施設のうち2基は、2002年に142人の投資家が集まって420万ユーロ(約6億円)をかけて作った。この2基で昨年620kWの電力を生産し、これは2000世帯分の電気にあたる。

 1kWを9セントで買い取ってもらえるため、2基で57万ユーロの収入となる。20年間経てば投資額の350%が収入として入ることが予定されている。

 4基すべてをみると、全部で4年間で6000万kWの電気を作っていることになる。風がやんだり施設が故障すると止まるが、これまで98%の稼働率であった。雷が年間で50回程度落ちるのであるが、壊れることはほとんどない。一度だけ電気関係の修理が必要であった。

 欧州議会では2020年に全電力の13%を。2030には23%を風力発電で賄うよう目標を立てているが、ドイツではすでに14%を風力発電で賄っている。

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ドイツ フライブルク ソーラー住宅視察  9月6日(土)

2008年09月06日 | 見聞知・録
フライブルグの旧市街地視察のあと郊外を訪れ、ドイツ環境自然保護連盟の設立者の1人でもあり、30年来ソーラーエネルギーにたずさわっておられるエアハルト・シュルツさんの説明を受けながらソーラーパネルを利用した家、集合住宅、駐車場などを歩いて視察した。

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1976年、フライブルグでは、ヨーロッパで最初のソーラーメッセを行った。この地には1992年までフランス軍が駐留しており、その跡地を市が買い取って宅地開発している。その中には、30家族分の電気を作るソーラーガレージや、自分たちが使う以上の電気を発電しているプラスエネルギーハウスがある。全国的なディスカウントストアである「アルディ」も、この地域の空間とあわせるために太陽光パネルを設置した。

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ソーラー住宅は、ローフ・ディッシュというソーラー建築家が個人でファンドを組んで作ったものである。屋根一面に太陽光パネルを設置するのはもちろん、ひさしを長くして夏には窓に太陽光が入らないように、冬には太陽が低いため光が入るように設計してある。北側の窓は小さく、断熱材も分厚くするなど、細かい配慮が見受けられた。

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国の法律により54セント(=80円)の20年間買い取り保障がなされている。電気の購入価格は22セントであるので、年間3000~6000ユーロの安定的な収入が得られる仕組みになっている。さらに、購入価格は石油・天然ガスの高騰によって20年後には40~50セントになるとも予測されるため、将来的にはソーラー発電は割安になると思われる。

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ドイツ フライブルク都市政策視察  9月6日(土)

2008年09月06日 | 見聞知・録
ドイツは、ヨーロッパ中部にある連邦制の共和国である。人口8200万人。環境都市として世界的に有名な町のひとつであるフライブルグを歩いて視察した。

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ガイド通訳は、当地で再生可能エネルギーや「黒い森」の林業行政を学んでいる池田憲昭氏で、まず氏からこのまちが空襲で唯一残った大聖堂を中心に中世の街並みを再建する英断を激論の末下した当時の市議会の業績を聞かされ、同じ政治家として深く感銘を受けた。廃墟のまちを近代的に改造するか、それともまちが誕生した900年前の姿に再生させるかの議論で、後者が僅差で勝利して現在の繁栄があるとのことであった。

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また、高度成長の後、商店街の反対を説得して経済一辺倒から環境思考へとの大変換を実施はしたのも議会であった。その結果、フライブルグ市の環境交通政策は旧市街地を面として歩行者専用となり、市民は路面電車か自転車で街中にアクセスするため、結果滞在時間や立ち寄り軒数が増えて商店街の売り上げが伸びたそうで、私たちはこの事例を見て議員として議会が負う後世への責任を改めて痛感したのである。

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また、空き家ばかりで「廃墟通り」と呼ばれた裏通りを再生するために、市がいったんこれを買収して、一階は店舗・二階は住居という条件付で民間に売る方式で見事に再生させた現場も目の当たりにした。

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