俺はもう十分に生きてきました。
楽しい事、哀しい事、嬉しい事、苦しい事、十分に経験させてもらいました。
でも、もう少し生きていたいんです。
彼女を連れて旅行に行きたいから。母の人生を見ていてやりたいから。
酸素ボンベの助けを借りて息をしています、杖をつきながら歩いています。
格好悪いです、女性にはもてません。死んじゃおうって思いました。
でも、もう少し生きていたいんです。
彼女は20代、結婚してすぐに乳房をとりました。それが原因の一つになって離婚されました。
骨に悪い細胞がうつっています。肺にもうつっています。
抗がん剤をやりました。放射線もやりました。胸にははっきり傷跡が残っています。長くてきれいな黒髪が抜けました。眉毛も抜けました。
歩くと激痛が走ります。車椅子を使います。咳がでています、呼吸が苦しいんです。
一緒に死のうって言いました。生きていてもしょうがないって言いました。
でも、今、もう少し生きていたいって言うんです。
一緒に旅行に行きたいから、もう少し生きていたいって言うんです。
母は84歳になりました。まーるく、小さく、小さくなっていきます。
自分の呑んだ薬が分かりません。山ほど卵を買っています。山ほどポテトチップスを買っています。
うまく歩けません。部屋の中を這って移動をしています。自分でおむつをすると言っています。
でも、生きていてもらいたいんです、もう少し、生きていてもらいたいんです。
いやならやめればいいんです。好きになる事は他にあります。
できないなら、できることをやればいいんです。できることは他にあります。
嫌われるなら話さなければいいんです。話のできる人は他にいます。
物語は一つではありません。いくつもいくつも物語は創れるんです。
生きようよ! 生きていようよ! いつでもみんなすれすれのきわどい所で生きているんだよ。
俺でよければ話してください。いつでもどこでも話をします。メールを下さい、コメント欄でもゲストブックでも、知らせてください。必要ならば這ってでも飛んでいきますから。
“こころ萎える”前に話してください。“心の目”を持って“心の耳”を持って話を聞きますから。
先生、校長先生、教育委員会の皆さん、その他の偉い皆さん、“心の目や耳”を持って話を聞きませんか?それぞれご自身にご家族はいませんか?お子さんはいませんか?もし、ご自分のお子さんだったら、同じ返事ができますか?同じ意見が言えますか?
意地悪をしようって思ったら、誰かの悪口を言おうって思ったら、一度考えてみませんか、“もし、自分が同じ事を言われたら、同じ事をされたらって”
いじめ自殺の連鎖がひろがっています。これからも起きるかもしれません。哀しすぎます、いろいろ経験できるのに、いろんな物語を創れるのに。
お願いです、みなさん声をあげてみませんか、takuさんの記事に“心の目”と言うのがありました。少し意味は違いますがみんなで“心の目や耳”を持って声をあげませんか。所詮俺のなど、若い皆さんが見てくれるかは分かりません、でもみなさんが、日本中のみなさんが声をあげてくれれば、いつかどこかで誰かが話してくれるかもしれません。“こころ萎える”前に、首にロープをかける前に。
みんなで話を聞いてやりませんか、父親になってやりませんか、母親になってやりませんか、姉になってやりませんか、兄になってやりませんか、友人になってやりませんか。
もう教育評論かも心理学者もカウンセラーもおかしなコメンテーターもいりません、日本中のみんなで話を聞いてやりましょうよ、そして言ってやりましょうよ。
“生きようよ!!”って。
楽しい事、哀しい事、嬉しい事、苦しい事、十分に経験させてもらいました。
でも、もう少し生きていたいんです。
彼女を連れて旅行に行きたいから。母の人生を見ていてやりたいから。
酸素ボンベの助けを借りて息をしています、杖をつきながら歩いています。
格好悪いです、女性にはもてません。死んじゃおうって思いました。
でも、もう少し生きていたいんです。
彼女は20代、結婚してすぐに乳房をとりました。それが原因の一つになって離婚されました。
骨に悪い細胞がうつっています。肺にもうつっています。
抗がん剤をやりました。放射線もやりました。胸にははっきり傷跡が残っています。長くてきれいな黒髪が抜けました。眉毛も抜けました。
歩くと激痛が走ります。車椅子を使います。咳がでています、呼吸が苦しいんです。
一緒に死のうって言いました。生きていてもしょうがないって言いました。
でも、今、もう少し生きていたいって言うんです。
一緒に旅行に行きたいから、もう少し生きていたいって言うんです。
母は84歳になりました。まーるく、小さく、小さくなっていきます。
自分の呑んだ薬が分かりません。山ほど卵を買っています。山ほどポテトチップスを買っています。
うまく歩けません。部屋の中を這って移動をしています。自分でおむつをすると言っています。
でも、生きていてもらいたいんです、もう少し、生きていてもらいたいんです。
いやならやめればいいんです。好きになる事は他にあります。
できないなら、できることをやればいいんです。できることは他にあります。
嫌われるなら話さなければいいんです。話のできる人は他にいます。
物語は一つではありません。いくつもいくつも物語は創れるんです。
生きようよ! 生きていようよ! いつでもみんなすれすれのきわどい所で生きているんだよ。
俺でよければ話してください。いつでもどこでも話をします。メールを下さい、コメント欄でもゲストブックでも、知らせてください。必要ならば這ってでも飛んでいきますから。
“こころ萎える”前に話してください。“心の目”を持って“心の耳”を持って話を聞きますから。
先生、校長先生、教育委員会の皆さん、その他の偉い皆さん、“心の目や耳”を持って話を聞きませんか?それぞれご自身にご家族はいませんか?お子さんはいませんか?もし、ご自分のお子さんだったら、同じ返事ができますか?同じ意見が言えますか?
意地悪をしようって思ったら、誰かの悪口を言おうって思ったら、一度考えてみませんか、“もし、自分が同じ事を言われたら、同じ事をされたらって”
いじめ自殺の連鎖がひろがっています。これからも起きるかもしれません。哀しすぎます、いろいろ経験できるのに、いろんな物語を創れるのに。
お願いです、みなさん声をあげてみませんか、takuさんの記事に“心の目”と言うのがありました。少し意味は違いますがみんなで“心の目や耳”を持って声をあげませんか。所詮俺のなど、若い皆さんが見てくれるかは分かりません、でもみなさんが、日本中のみなさんが声をあげてくれれば、いつかどこかで誰かが話してくれるかもしれません。“こころ萎える”前に、首にロープをかける前に。
みんなで話を聞いてやりませんか、父親になってやりませんか、母親になってやりませんか、姉になってやりませんか、兄になってやりませんか、友人になってやりませんか。
もう教育評論かも心理学者もカウンセラーもおかしなコメンテーターもいりません、日本中のみんなで話を聞いてやりましょうよ、そして言ってやりましょうよ。
“生きようよ!!”って。
昨日の休みは結局大工仕事の続きを一日やってました。月曜大工・腰が痛い
そらさんにつっ込まれましたので、灯油タンクの方まで屋根を延ばしまして、やっと屋根が乗りました。
外壁貼り付ければ、何とか出来上がりなのですが、もう一日は掛かりますね。
お昼に食べたのが「○ちゃん焼きそばバゴーン」
久々に食べました。
やっぱりバゴーンは美味い。
数あるカップ焼きそばの中でも私はこれが一番好き。
前は常にストックしてて、酒のつまみが足らないかな?って時にも重宝してました。
生めんタイプの、フライパンで作る、3食パックの焼きそばも、やっぱり○ちゃんのが美味いと思うなぁ
さて、雨さえ降らなければだけど、3日の文化の日に完成できるかな?
このバイクが世に出てもう30年程になるのですね。
「西部警察」で舘ひろしが黒いのに乗ってましたから、バイク好きでなくても見たこと有るかも?
このバイクが世に出たとき、私はまだ中学生。
他にこんなデザインのバイクは無かった。
どこのメーカーも今で言うネイキッドタイプのバイクしか無かった時代です。
友達3人集まって、バイク雑誌を眺めていてショック受けましたね。
このデザインには・・・
かっこいい~~~
「俺このバイクに乗る!!!」
って宣言した。
当時のバイクの免許制度知らなかったからなー
友達は
「免許取れないぞー」って・・・
当時は、バイクの大型は試験場に何回も通わないと取れなかった。
特に山形県の試験場は取れなかったらしい。
「んじゃ、これー」と指差したのがGS650Gこれも大型免許が無いと乗れないの知らなかった。
「ばーか、これも大型取らないと乗れないぞ!」って・・・知らないんだもの・・・
これも黒いの舘ひろしが乗ってました。
「ハンス・ムート」デザインの「SUZUKI KATANA」(ジウジアローじゃないよね?)
憧れたなー、かっこよかったなー
今でもやっぱり欲しいバイクです。
購入予定は無いけど、ネットオークションなんかたまに見ちゃいます。
入札しそうに成りますが、グッと我慢です。
やっぱりカッコイイ「KATANA]
結局、高校卒業して買ったのは、これ↓今じゃ当たり前だけどタンクにメーカー名が斜めに入って「KATANA」っぽい。
これはこれで気に入ってたけど・・・
でも、いつか乗るさ・・・
私の夢の一つだもの
「KATANA」に乗るの・・・
「画像は全てネット上からお借りしてます。」
画像はネット上からお借りしてます。
よく来ていただいてる方はもうご存知でしょうが
私はキノコが嫌いです。
でもね、子どもの時から嫌いな訳じゃない。
子どもの時は食べていた。
嫌いに成った。
食べなくなったのは本当、極最近のことなんですよね。
実家ではキノコ作ってました。
ナメコ、シイタケ、平茸、何か殆ど自家用にですけど、栽培してたんです。
でも、家の近くに作っていると、通りすがりのキノコ採りの人に盗まれる。
それで、物凄い山奥に作ってたんです。
自転車でいけるところまで行って、後は獣道の様な山道を小一時間かけて登った所に作ってました。
小学校4年生位から、毎週今時期の日曜日はその山奥にナメコを採りに行くのが私と母の仕事だった。
それがすごく嫌だった。
ナメコ、食べるのは嫌じゃ無かった。
好きでも無かったけど・・・
触るのは嫌だった。
あのヌトヌトが駄目(>_<)
母は「採らなくて良いから、着いて来てくれるだけで良いんだ。」
って言ってた。
やっぱり山奥ですから、女一人で行くのは恐かったんだろうな?
嫌々だったけど、早く終わらせて帰りたいから、採ったサ・・・
山奥過ぎて手が洗える沢水すら流れていない。
採り終わって下山する道。
足を滑らせ無いように捕まる木の枝が、ヌルッ!。
服にヌメリが着かない様に、不自然に手を広げて歩いている。
ようやく手が洗える川までたどり着いてホッとするけど、ナメコ臭さは石鹸で洗わないと落ちない。
ナメコ臭いのも嫌だけど、日曜日なのに友達と遊べないのが嫌だった。
あ、そうそう、そのナメコ臭い手で、昼飯食べるのが嫌だった。
毎週毎週その山奥に行かされ続けた。
何で弟じゃなくて俺?(今思えば弟は小さすぎた。)
何で姉じゃなくて俺?
ある時、親父に宣言した。
「俺はもうナメコは食わないから、採りに行かせるな!ナメコ好きなのは父ちゃんだから、母ちゃんかわいそうだから自分で採りに行け」って・・・
そんな山奥に作って、自分じゃ採りに行かない親父に反発した。
そんな山奥に母を一人で行かせる親父に反発した。
宣言しても、やっぱりナメコ採りに行くのは母。
母がかわいそうで、やっぱり一緒に行ってはいた。
ここから私のキノコ嫌いは始まった。