ダダのミシン屋日記『ジャノメミシン米沢店です』

ジャノメミシン米沢店の店長のブログです。
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障害を持つ人の世界

2006年07月01日 01時49分51秒 | ヤットくんの話

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障害をもつ人の世界


「障害があるの? 大変ねぇ。」大体の人はそこで終わってしまいます。

わざわざ突っ込んで、「どういう状態なの?どんな生活なの?」と聞くことも相手に「気を使い」あまり出来ないのが普通です。

でも、そこから一歩踏み出してみませんか?障害を持つ人、子供たちはまだまだ助けが必要です。

障害を持つ子供たちは、障害児同士で友達と遊ぶことが、とても難しいです。
それは、それぞれが違った障害で、コミュニケーションが取れない子や、体が動かせない子や、言葉が話せない子、その状態で、相手と一緒に目的を持って何かをして喜ぶ、なんてことは、まず大変なのです。

もし、障害を持たない子が、たまたま好きな遊びが同じで、一緒に遊ぶことが出来たら、それは、その障害児にとって、誰かと一緒に、一つの事をして喜ぶ、素晴しい体験になります。

もちろん、言ってもわからなかったり、ちょっと変なことをしたり、おかしな所があるかもしれませんが、それをわかってあげられるのが、障害を持たない子供達、私達だと思うのです。


放っておけば、障害児はどんどん孤立していきます。

自分から「人と積極的に関わっていこう!」なんて思える障害児はとても少ないからです。

それに加え、生活や学習の面で、一緒にするのが難しいと判断され、別の学校や学級、施設に行ってしまうからです。

一生を施設の中で過ごす、社会とかけ離れた存在に成ってしまうのは、とても悲しい、と私は思います。

例え、嫌がられても、おせっかいだと思われても、どんどん障害児に関わって、一緒に何かをしたり、相手をわかろうとする気持ちが、とても大切だといつも思っています。

おせっかいは、そんなに悪いことじゃないし、わかろうとする気持ちがあれば、きっと相手の障害を持つ人にも、通じると思うのです。


養護学校にいる私の知っている男の子は、とても友達がほしい様子でした。

毎日何度も発作が起き、情緒不安定で、家では悪さをして、いつも怒られてしまい、学校では、やはり、一緒に遊ぶまで行く友達が出来ない状態に見えました。

嫌がることをわざとやってしまったりして、友達も離れてしまいがちな彼ですが、とても寂しいのです。

理解するのは大変ですが、それを出来るのが私たちだと思います。

どんどん関わっていくことで心が開き、もしかしたら、相手のことを考ええてくれるようになるかも知れません。

そこまで行かなくても、不安定な部分が少しでも良くなれば素晴しいことです。

重度の体の障害を持つ子は、定期的に整形の手術をしなくてはならないのが現実です。

体が変形してしまい、骨や内臓にまで影響し、命に関わるからです。

ほとんど動けない子も大勢います。

その子たちは「何のために生まれてきた?何のために生きているんだろう?」そう思わずにいられないと思います。

ずっと孤立して、大人に成っても施設の中で生き続ける一生ならそうですが、もし、多くの人と関わって、いろんな刺激を受けて、喜びを見つけて生きるのなら、素晴しい人生を生きることが出来ると思うのです。


手術の後の痛み、リハビリの大変さ、ただ生きる為に「何で、こんな苦しい辛い、痛い思いをしなくちゃならないんだ。」手術の後の、親の心からの叫びを、もっともっと多くの人に知ってもらい、応援し、励まして、障害児と親だけの、辛い孤立した世界にならないように、なるべく多くの人が、意識して、遠慮しないで言葉をかけたり、聞いたり、手伝ったり、何でもいいから関わって行ってほしいと願っています。











かみさんが




書いて学校の父兄や、あちこちに配布している文章です。


軽い方だけど、ヤット君は障害児です。


「障害児は養護学校や専門の施設へ」って風潮はまだまだ有るし、重度の障害児はそちらに行かざる得ないのが現実です。


ヤット君の存在が障害児と普通の子の架け橋に、もしかしたら成れるかも知れないですね。



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31 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (tor*ha*u2*tan*)
2006-07-01 02:37:00
ランダムからです。子供を育ててる今の私なら「何かできる事はない?」と聞けるでしょう。そして娘も「一緒に遊ぼう」と声をかけると思います。お母さん・おとうさん頑張ってください。ヤットクンが普通に生活できますように☆
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Unknown (があやん)
2006-07-01 06:57:00
履歴から伺いました。大人が教えるのではなく、子供同士触れ合って学んでいくことってたくさんあると思います。そのきっかけは大人が作っていかなければとも思います。私の友人は障害がある子に勉強を教えているのですが、授業についていけない子は養護学校の方が本人のためだと言います。でも、学校で学ぶことって、はたして勉強だけなのか?と私は思うのです。勉強だけじゃなく、もっといろんなことを学ぶ場であるのではと。奥様、頑張っていらっしゃいますね。これを読んだ方が一歩踏み出してくれるといいですね。
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Unknown (笹丸)
2006-07-01 08:37:00
そうかあ、奥さんって強いですね、自分の信念を貫ける方なんですね。私の父も養護学級の教員を何年かしていました。その数年で、確実に父の性格は変わったように思いました。普通学級でキリキリしていたのが、グンと丸くなりました。障害児と関わるって、そういうことかも、と思います。
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Unknown (×点)
2006-07-01 08:48:00
娘が総合学習で養護学校との交流をしました。それぞれ違う障害を持った子の中で、どんな風に遊んだら負担にならないか、など考えながら交流してきたようです。戸惑っていた子も最後は仲良くなって帰って来たそうです。学校単位でも交流を考える必要性を感じました。
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Unknown (chiromi)
2006-07-01 09:43:00
初めまして。ランダムから来ました。私の通っていた小、中学校では、障害児との交流が当たり前のような日常でした。そこで、彼らの突飛な行動、言動に物怖じしないようになれました。でも、「大変ね」と声をかける人も少ないように感じてしまいます。悲しいけど。。私に出来ること…、もう少しあるんじゃないか?と考えさせられました。一緒にがんばりましょう。
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Unknown (ゆかり゜ヽ(?∀?。)ノ゜.:。)
2006-07-01 11:37:00
私のようなものが軽々しく話してはいけないと思うんですけど障害を持った方、その家族の方のストレスは大変なものだと思います。こう少し世の中の方たちが障害を持っている方に目を向けて理解をしてくれる社会になればよいですね。
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Unknown (sou*h*sou*hi1*14)
2006-07-01 15:09:00
私も結婚前は福祉関係の仕事をしていたので、せしおさんのブログを読んで考えることが沢山ありました。一人ひとりがきちんと向き合えば、壁をとりはらうことができると思います。そんな日が少しでも早くくることを願ってやみません。
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Unknown (せしお)
2006-07-01 18:25:00
があやんさん。ありがとうございます。勉強だけを考えればヤット君は学校の中で足手まといかもしれません。ヤット君の存在は、今学校の中で子供たちに良い影響を与えていると思います。
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Unknown (せしお)
2006-07-01 18:27:00
笹丸さん。そうですね、同級生の中からは「ヤット君ばかりずるい」って言葉も出ることあるようですが、多くの子供たちは優しさを学んでいるように思います。
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Unknown (せしお)
2006-07-01 18:29:00
みーさん。私も若い頃は障害者に偏見の目を持っていたと思います。青年団時代に、障害者の方と飲み明かし、その経験が私の偏見を取り去ってくれました。
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