私が今の職場で働き続けられるのは、規定ではあと15ヶ月
一応半年くらいは雇用条件を変えずに延長できるそう。
で、この先 今の会社で働き続けるために 雇用契約の見直しをしました。
5月までの契約は日額計算で、出勤すれば8時間分の報酬が保証されていて
例えば1日2時間しか働かなくても8時間分の報酬が頂けます。
欠点は、毎日目いっぱい働いた月に 働いた~!という実感があっても
あまり給料が増えないという事と、仕事しなくても8時間は帰れない点。
でも、今までは 年金の繰り下げ受給を選択している事情もありまして
年金繰り下げを選択した場合 在職老齢年金制度の限度額以内の収入でないと
繰り下げで増額される予定の額が減らされるという事らしいです。
だから、収入的には不利だけど今まで日額計算の雇用契約を続けてきたんです
その限度額が25年4月からは月52万円に増額されて
厚生年金の報酬比例部分+標準報酬月額+ボーナスの1/12 の合計が
52万円を超えると減額の対象になります。
私の今の場合、その計算では1ヶ月の給料が42万円を超えると
限度額を超えてしまうんですよね。
繰り下げに関しては、年間収入で判断されるらしいから
合計で 52×12=624万円以上が対象になるって事でしょう。
普通、65歳超のジジィのアルバイトの給料が42万円超えるなんて・・・
って思いますよね
でも、去年の実績では 6月までの給料の平均は月35万円ほどだけど
年の後半は給料が50万円近いって月もあったんです。
この月が最高じゃなかったけど 写真手元にこれしかありませんでした。
今年も前半の給料の平均は低めに抑えることが出来たので
それで計算すると 後半は月の給料の平均が49万円以下ならOKってこと
そんな訳で、今年の6月から 雇用契約を
今までの日額計算から、時給計算の契約に変更したんです。
日額契約の基本日給÷8を基本時給と考えると
時給契約の基本時給は約30%アップになるけど
短い勤務の時間保証が無くなる分を考慮すると約20%アップになると
先に時給計算の雇用契約に変更した職場の仲間からも聞いていたし。
ということは今の状態と比べ 49÷1.2=約41万円程度の仕事量で
年金増額カットを避けられるという事になります。
実際に去年はそれ以上の仕事をしている実績があるので
逆に少し休みを増やせることになりそうです。
で、今年は良いとして来年は超えるんでは? という話になる訳ですが
実は、来年26年4月からは その在職老齢年金の限度額が
62万円に増額か、またはそもそも在職老齢年金の制限が無くなるとの事
合計62×12=744万円だからね、さすがにその額超える事は無いはず。
という事は 今のタイミングで雇用契約を変更するのが最適って事です。
で、もうひとつ 会社側に話を聞いたところによると
年齢制限で退職したあと、そのままずっと雇用を継続することは不可能だけど
年2回の繁忙期(盆と正月)は 3か月程度の短期契約で働けるらしい
会社側としても、訓練無しですぐ仕事が出来る人は来るのは有難いとの事。
まぁ、それも70歳までらしいけど
繁忙期の短期雇用の場合は 結構良い時給での契約が出来るので
今までの繁忙要員の実績を見ると 月30~40万円程度の稼ぎになるはず。
ずっと横浜に住んで働き続けるのは 私的にも不可能だけど
長崎に移住したあと年に2回程度なら「出稼ぎ」という形で
横浜に働きに来るのは充分可能だし、
受給できる年金のうち、厚生年金は68歳から受給する予定ですが
国民年金のほうは それからさらに5年ほど繰り下げ予定です。
年金収入以外に年200万円を超える労働収入があれば
年金を満額受給する必要は無いし
そのとき受給してるであろう 繰り下げした一部の年金を加えれば
充分生活出来るというより、その後の繰り下げに備え貯蓄も出来ますからね。
一応、これが私の完全リタイヤ計画なんですが
まぁ、今のまま平穏にいく事を願うばかりです。
この予定では継続雇用をリタイヤするのは 27年3月末
繁忙期の短期雇用は6月からなので 4、5月は働かなくても良い期間で
「良かった探しツーリング」のたまちゃんの再雇用が終わるのが27年4月末
私は、4月中は長崎でゆっくり過ごせるけど
5月、GWが終わってから 3週間は一緒にカブツー行けるって事だし
日本一周は無理だけど 関西より西の西日本方面なら大丈夫
今からワクワクするなぁ~
このブログで書いている 私の生き方を見て、
妬みを持つ人がいるのは当然だと思います。
実際、前に勤めていた会社でも 私が持つ環境を妬んで
嫌がらせを続けていた馬鹿な奴らも存在したし
毎日受けてきた嫌がらせを考えるとそいつらをこの手で地獄に送りたいくらい
私も大人ですから、さすがに直接はやらなかったけど
退職する際に、実質的にその会社での未来を完全に潰してやったけどね。
で、私が手に入れたこの環境だけど
他(例えば親とか)から与えられたものではなく 自分で獲得したものです。
私、父親がいない環境で育ちました
正確に言うと、私の誕生日の3か月前に父親が行方不明になり母子家庭でした
で、その母親も私が13歳の時に病死
今私が持っている環境は その後、自分一人で判断して手に入れたものです。
離婚も経験したし、私が親という立場での父子家庭も経験したしね。
その行方不明だった父親には30歳過ぎてから初めて会いました
会ったといっても 父は腐乱死体だったから遺骨引き取っただけだったけど。
その私の人生も そろそろ最終段階
馬鹿な奴が考えたテレビドラマより ずっと面白かった人生だったので
後悔はしていないし、このまま計画通り最後まで生きていきたいだけ。
という、アルバイトジジィのひとりごとでした。
長い文書、最後まで見てくれてありがとうございます。
そうそう、このブログサービス あと半年で終了するので
そろそろ引っ越しを考えないとね。