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バイク好きオヤジのひとりごと

輪廻転生

2018年07月31日 | エブリィ
今年になって、複数の身内の人が亡くなった事もあり
宗教的なことを少し考える機会を持てました。

私を含め(?) 人がいちばん気になる事って
目に見えるもの(肉体)が自然に帰ることは見ることが出来るし
理解出来る事なんだけど、

心というか、今の自分の意識がどうなるか?って事
見ることが出来ない訳だし、その本人じゃないので解る人はいませんよね。

それが人間全ての恐怖だし、その恐怖から逃れる術として
「宗教」という考え方が定着することになったと思うんですよ


私の身内にも いわゆる「お寺」の住職がいます
だからはっきり言うんだけど、
今の仏教(日本で定着している「檀家とお寺」という制度)は
「宗教の布教」という本来の寺院の役目から かなりかけ離れています

ある時期から どういう経緯があったのか知らないけど
命が終わったときの儀式が 本来の宗教儀式とはかけ離れた形となり
お葬式=お金がかかる という認識が一般化していましたよね

誰が始めたか解らないけど最近「家族葬」っていう葬儀方法が増えて
そういう葬儀が一般化すると お寺の収入が減るわけで・・・

それって 日本の仏教界全体の危機だと思うんだけど
本来の宗教から考えると 正しい姿に近くなっただけのような気がします。


日本ではあまり気にしないけど
どの宗教を信仰しているか?って ものすごく重要な事で

例えば 第二次大戦中にナチスが大量虐殺した「ユダヤ人」
ユダヤ人の定義って遺伝的な事で判断される いわゆる「人種」ではなくて
「ユダヤ教」という宗教を信仰する信者という人
宗教、言語、文化が違えば別民族だから
そもそも生き方も善悪の判断基準も違う訳で・・・


そんなことは今の私には直接関係ありませんけど

ブッダの教えは 今の(いわゆる)仏教とはかなり違う形
でも 命や宇宙のことを考えるとブッダの教えを信ています。

あと30年ほど経てば 私の命にも終りの時が来ると思います
ブッダが説いた教えの中には、ヒンズー教と同じ「輪廻転生」があり
それにによれば 死という出来事は長い命の連鎖の通過点であり
その後、また新しい命を授かることが出来ます
それが どういう形なのかは解らないけど 次も精いっぱい生きなきゃね。


物理的な事や宇宙の事っって そういう環境にいないと気づかないけど
この先は「神の領域?」って思える場面に到達出来る事があります

運命ってことは信じたくないけど
この人生も限りがある命なのでね もう少し頑張らなきゃ
コメント
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