しましましっぽ

読んだ本の簡単な粗筋と感想のブログです。

「真実の行方」 1996米

2006年01月26日 | 映画
大司教惨殺事件で逮捕されたのは、彼の侍者のアーロンという青年だった。
血まみれで逃げたアーロンは、事件の事を覚えていないと言う。
弁護士マーティンは、事件の話題性から無償での弁護を申し出た。
あどけないアーロンの表情を武器に無罪を勝ち取る作戦を立てる。
しかし、アーロンの精神分析を担当したアーリントン女医が面接をしていると、
いつものアーロンと違った人格が顔をのぞかせる。

 
弁護士と検察官はともに事件の本質を明らかにするより、自分の利害を考えて行動している様で、裁判とは、このようなものなのかと思ってしまう。
事件そのものが置いてきぼりされている様な印象をうけたが、それがアーロンの二重人格で様相が変わっていった。
多重人格については、ダニエル・キースの小説でも有名で、そんな話になるのかと思っていたら、最後に映画らしい、大ドンデン返しが待っていた。
結構、面白かった。
しかし、アメリカの映画で裁判の場面を見ていてよく思う。
大事なのは真実ではなく、陪審員を納得させられるかと言う事。
弁が立つ(口が上手いともいえるかも)方が有利なのは何か違う気がするが。
政治家もそうかも知れない。演説が上手かどうかに当落や、人気が掛かっている気がする。

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 「私が殺した少女」 原   | トップ | 「炎の鎖をつないで」 ビヴ... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

映画」カテゴリの最新記事