沖永良部〜うたしゃ

2016年11月24日 | 日記

 

 11月21日〜沖永良部

雨はさらに激しさを増し、与論から沖永良部への移動となりました。

沖永良部に着くと、お迎えに来てくれたのが大山百合香さんのお父さん。

百合香さんって沖永良部の出身だったんですね。

このお迎えというのが実に離島っぽくて和みます。

 


沖永良部の宿は凄くかわいらしい宿でね、

前のツアーで亮くんのお気に入りだったらしく、

なるほどロマンチックな亮くんらしいね。

個室しかないんだけど、ベランダがあって、

天気が良ければ素晴らしいロケーションだよ。

 

 

 

ずっとパラパラと小雨模様だったのですが、夜中窓を開けてみると、

なんと満天の星がぁ!!すげぇ〜ってベランダに出てみると、

ほんと星が落っこちて来そうな勢いなのさん(^O^)

うぉ〜明日はハレルヤ!とウキウキ就寝。

んで朝目を覚ますと、つーか太陽の強さに起これました。

早速朝から近くを探索するロリィ散歩。

途中西郷隆盛の記念館らしきものがあって入ってみた。

色々この記念館の説明書きがあったのですが、

西郷さんってどっかの偉い方に流罪されたんですね。

そこがここ沖永良部だったらしい。

百合香さんのお父さんの話では、今度その話がドラマ化されるらしく、

ぜひ観たいですね。


しかし昼過ぎ辺りから太陽は顔を隠し、天気が悪くなって来ました、、むむむ。

今夜の会場は「うたしゃ」。百合香さんのお父さんの店だ。

百合香さんのお母さんとも挨拶を交わし、いよいよ本番スタート。

 

 

この店は音響が良く、沖縄にも引けを取らない素晴らしさです。

オープニングは地元ミュージシャンのブルースハープと歌だけという

スタイルでスタート。

アンプリファイドのハープを実に巧みに使い分けた演奏で、

すごくカッコ良かったです。

で、彼からの紹介でステージへ上がったわたし。

与論とはまた違う感じで、選曲も悩みましたがこのアウェイ感好きです(^O^)

年配の方が多いようだったので、お得意の懐メロ攻撃で攻めました。



木下さんが僕のCDを売ってくれてるので、MCでも買ってちょ!と頼んでみる。

それでも最後はやっぱ木下さんが、何枚もさばきCD売ってくれました(笑)

木下さんすごーい!

築地の市場でも絶対通用しますね、このさばきっぷりは(笑)

いつも感謝っスm(_ _)m

豊さんのステージはいつにも増して静かに始まった。

しかし久し振り聴いたよ「新沖縄音頭」。

というか生で聴くのは初めてですね!

豊さんがエレックからデビューした時の衝撃ってのは、

リアルタイムで経験した者じゃないとちょっと分かんないと思いけど、

それこそ、コンプレックスや劣等感の塊のようなウチナンチュが、

こんな声を大にして沖縄を歌っていんだ!

胸張って謳歌していんだ!なんて凄い衝撃でした。

具志堅用高が現れる何年も前の大事件だったんだ。

いや〜一気に小5に戻っちゃいました。

しかし佐渡山の凄さはそんなもんじゃなーいのだ。

豊さんが復活した時にリリースした「さよならおきなわ」は

僕も参加したアルバムなんだけど、

その中に収録されてる「アラスカ」という僕のお気に入りの曲があるのですが、

突然豊さんが久し振りに一緒に演ろうと。

うぉーとぼくはテンション上がったのですが、

イントロで?

歌い出してからさらにポカーン??

え?なにこの曲?メロディー違うしリズムも違う!

はは、ディラン好きはもちろん知ってますが、ここまでやりますか(笑)

凄いお方ぁ。

アンコールは地元のハードロックなミュージシャンが参加のドゥーチュイムニー。

わはは、まるで亮くんのように引き倒しておりました!最高ぉー!



打ち上げでは豊さんが「奄美諸島は北へ行けば行くほど人の濃さが増すぞ!」っと

言った通り、エレベーター修理で40年からの飲め!仲田幸子からの酒飲め!と、

次々と個性的で濃い沖永良部パワーにまみれた打ち上げと相成りました。

翌日船の出発までの時間、百合香パパの車で沖永良部を回りました。

何やら沖永良部、分断とまではいかなくとも、町が完全に二つに別れてるらしい。

話では話し方も違うようで、ライバル意識が強いのかな?

この辺もすごく興味があるので次回の楽しみってことで!

が、最後の最後、車中での百合パパと佐渡山&木下の会話が、、キテレツ!

 

百合パパ「あの形(海岸の岩?)どうして出来たんかな?」

豊「あ〜あれオレが作った!」

木下「そ、わたしの言った通りにね」。、、

なんじゃコレ?

なんだこの連係プレーは。

きっと百合パパは呟いただけだと思うが、そこに佐渡山の大ウソが登場し、

さらに木下の極大ウソが畳み掛ける。

ちっ、不覚ローリー、なぜここでさらに

「豊、木下よくやった!わしの計画通りじゃ!」と言えなかったのか、、

悔しいわい。と眠れぬ夜を迎えるのだった。つづく。

さよなら沖永良部!また来年。

 


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