うわっ。。今月は書きっぱだな。
なんか天国と交信してる感じ。
キヨシローが亡くなってから7年だよ。早いね~ほんと。
命日にあたる日NHKでは毎年キヨシローの放送してますね。
そのカリスマ性は老若男女、時代を越えてみんなから愛されてます。
僕が最後にキヨシローを見かけたのは、確かビギン企画のうたの日だった。
キヨシローのユニークさってのはほんとチャーミングでね、
この日も那覇空港から会場のある沖縄市民会館まで、
自転車で行く!という暴挙に出たわけだ(笑)
焦るビギンとキヨシローのマネージャーさん。
特にマネージャーさんは頻繁にキヨシローと連絡取り合ってて、
「いまキヨシローさん浦添です!」みたいな声が廊下で聞こえてきてね、
ヒヤヒヤしながら落ち着かない感じで廊下を行ったり来たりしてた。
遅れた後、やっとキヨシロー到着で、当時ワールドカップだったのかな?
日本サッカー代表のユニホーム姿に、サッカーボールのヘルメットという出で立ちで
そのまま自転車でステージに登場した。
そりゃーもーやんややんや大騒ぎでね、盛り上がった。
キヨシローはハミングバードをオレンジのアンプにぶっ込み、
恐ろしい爆音!!!わはは、もはやそれはアコギの音じゃないのよ。
ヒーヒーハウリングしてるし、本人ジミヘンのつもりだし(笑)
ほんとにキュートな人なんですよ。
特にイマジン素晴らしかった。
日本語でこんな説得力のあるイマジンを歌える人ってそういない。
もうイマジンはキヨシローの曲になってしまった。。。という感じでしたね。
確かヨーコもキヨシローのイマジン聴いてえらく感動したんだよね。
キヨシローとは何度かすれ違ったり、隣に腰掛けて話を聞いてた事はあるんだ。
鬼のような静かな人ですからね、全然喋んないだけどね。
それはRCの頃からそうだった。
この日も相変わらず静かでね、一言「頑張って!」と声を掛けたら
ニコっとシャイな笑顔を返すだけ。
でもいま考えれば、その笑顔も僕の宝物だね。
1周忌にオキナワでキヨシローのイベントをお願いされて、
THE WALTZで参加したこともあった。
あっ、実は87年頃かな?
RCの前座の話がWALTZに来た事があった。
結局無しになっちゃったんだけど、もうメンバー全員ビビってましたね(笑)
その頃のRCの勢いって正に空飛ぶ鳥もってな感じで半端なかったからね。
まぁーそうなるわな。
それからまた、キヨシローのボーヤーからスタートして
亡くなる最後のステージまで相方として一緒だった
三宅伸治さん率いるMOJO CLUB とWALTZがジョイントしたりね。
その流れでタイマーズのリハーサルにお邪魔したり、
その節々で色々縁があったりしたんだ。
キヨシローの曲や歌手としての凄さは説明するまでもないけど、
とにかくオリジナルな世界観だよね。
あれは世界中探してもなかなかないんだよ。
日本語の美しさを初めてロックに乗せた人だし、
よく思うんだけど、日本のロックを発明した人だね。
それまでの日本のロックって英語コンプレックスからか、「さしすせそ」が「しゃしぃしゅしぇしょ」だったからね(笑)
82年、チャボが加入して快進撃のみどりの広場のRC。。凄まじかった。
ある意味どんな外タレのライヴより凄かった。
日本語でこんな最高なロック出来るんだってね。
その時の”スローバラード”は僕の永遠になった。
「あの子の寝言を聞いたよ ほんとさ 確かに聞いたんだ」
ってとこの美しさたるや。。この世のものとは思えなかった。
泉谷しげるさんも言ってたけど、「忌野芸術」だよね。
寝言を聞いたことを、こんなに熱く切なく歌える人がいるなんて。
奇跡に近いんだよ。大の大人がさ。
普通大人はさ「だから何?寝言がなんだよ?」ってなるんだよ。
ピュアネスっていうのかな?
敢えてその寝言の内容は明かさず、寝言を聞いた事だけを伝える感性ってね。。
これはちょっと過去から現在に至るまで、聞いた事ない表現なんだ。
日本、そして東京の誇りですかね。
今の音楽って全部喋っちゃうからね。。あからさまに。
みどりの広場のRCとサムのハーレムスクエアーがなければ
僕は歌ってなかったと思うし、
この二人のソウルは、僕に歌を歌わすのには充分だった。
感謝キヨシロー!感謝サム!
天国で二人一緒に僕の”踊ろよR&B”で踊ってくれ!
またねー YEAH!永遠のSOUL MAN!
オレも頑張るよー
サムTを着てご満悦なキヨシロー