中原聖乃の研究ブログ

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マーシャル諸島と核実験

2015-06-15 05:49:15 | 核実験

 

 なぜアメリカはマーシャル諸島で核実験を開始したのだろうか。爆発装置が正常に作動するかどうかを確認するだけなら、それこそ付近に島のない太平洋上で行えばよい。しかし核実験の目的はもう一つある。それは、核爆発の環境への影響を見ることだ。

 ことの始まりは、1945年8月25日、ブライアン・マクマホン上院議員が、原爆を海軍艦隊に対して使用する実験を行うべきと示唆したことである。日本駐留のアメリカ陸軍広報官は、日本海軍の艦艇の使用を提案した。

 1946年7月1日、マーシャル諸島における最初の核実験クロスロード作戦「エイブル」がビキニ環礁で行われた。実際に爆破実験に使われたのは、アメリカンの戦艦「ネヴァダ」、空母「サラトガ」「インディペンデンス」戦艦「アーカンサス」、日本の戦艦「長門」、軽巡洋艦「酒匂」、ドイツの重巡洋艦「オイゲン」であった。ちなみに第二次世界大戦で破損した戦艦長門は、わざわざ日本からマーシャル諸島に曳航された。これらの船上には、ヤギ、ブタ、ネズミなどが実験のために載せられた。

 ビキニ環礁での核実験に先立ち、ビキニ環礁にいた167名は、東方300キロ付近にあるロンゲリック環礁に、米軍の手で移された。この人々は、直後に飢餓状態に陥り、米軍により別の場所に再移住させられ、現在でもビキニ環礁を離れた生活を送っている。

 ところで、最初の核実験が行われたとき、フランスの保養地カンヌでは、女性用のセパレートタイプの水着を「アトム」(原子が世界最小であるとされたことに由来する)と言う名称で売り出し、アメリカでは、ビキニという名称で売っていた。

 さて、この後1948年から、アメリカはビキニ環礁の西方400キロメートルにあるエニウェトク環礁でも核実験を開始し、現地住民は移住させられた。エニウェトク環礁住民は、その後故郷に戻り現在まで除染されたエニウェトク環礁で暮らしている人もいる。

 環礁という地形が核実験に都合が良かったことは間違いないだろう。ラグーンと呼ばれる島に囲まれた内海では、水深が深くても60メートルほどで、数十メートルの浅瀬となっており、沈没した船をダイバーがもぐって観察することができる。また、環礁には陸地もあるので、放射能の環境への影響も継続的な調査が可能だ。動物実験はもちろん生態系の異常や放射能レベルに関しても調査可能である。その他、軍は核実験後の土を使って、植物を育てる実験も行った。こうした環礁での核実験はアメリカの他に、イギリスがキリバス諸島クリスマス島で、フランスがフランス領ポリネシア(首都はタヒチ島のパペーテ)のムルロア環礁とファンガタウファ環礁でそれぞれ実施した。

 10年ほど前までは、環礁内に沈んだサラトガを見るダイビングツアーがあったが、今はビキニ環礁への飛行機のアクセスが悪く、ツアーは行われていない。

 

(参考文献)

前田哲男『非核太平洋・被爆太平洋―新編棄民の群島』筑摩書房、1991年。

豊崎博光『マーシャル諸島核の世紀1914—2004 上』日本図書センター、2004年。

 


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