中原聖乃の研究ブログ

研究成果や日々の生活の中で考えたことを発信していきます。

オーストリアの木材利用

2016-05-27 19:25:08 | 研究報告

 オーストリアは、ウィキによれば北海道と同じくらいの83,870㎢(日本377,972㎢)の国土に、836万人(日本は1億2711万人)が住んでいます。なんと驚くことに、アルプスという厳しい自然環境、そして日照時間の少なさにも関わらず、食料自給率は帝国書院ホームページによると、111%!驚くべき数字ではありませんか!日本は28%です。この農業国オーストリア、なんと、一人当たり名目GDP 39,634ドルと、日本(38,216ドル)を超えています。農業国でも立派に豊かな生活を実現できている、と数字からは読み取れます。

 エネルギー事情はどうでしょうか。

 近年、発電および熱源としてのエネルギーのうち、再生可能エネルギーの占める割合は日本では5%。一方オーストリアでは75%。うちバイオマスの占める割合は60%です。バイオマスとは「生物のかたまり」のことで、動物の糞尿や木材を燃やして調理や暖房に使ったり、発電をしていきます。

 また驚くべき数字を発見しました。ウィーンを取り巻くニーダーエスターライヒ州では、電力の100%再生可能エネルギー自給を2015年に実現しています。

http://irorio.jp/sophokles/20151112/276661/

全電力の68%をドナウ川に建設した複数の水力発電(もちろん小水力発電です)、残りの26%は風力発電、バイオマス発電(木材や動物の糞尿を燃料とする発電)は9%、太陽光発電は2%という内訳です。

 おそらく、木材や動物の糞尿は直接熱源として利用。そして太陽光発電の少なさは、太陽光発電パネルで使われるレアメタルの処分が近い将来問題になってくることから推進していないのだと思われます。素晴らしい国です!

 

 

 このような状況に至った経緯は、やはりエネルギー危機です。以前は、ロシアの天然ガスラインへの依存率が高かったのですが、ロシアがたびたびガスのヨーロッパへの供給をストップすると脅すため、なんとか外部に依存しないエネルギーを考えたこと。もう一つは、やはり、1976年のスリーマイル島原発事故やチェルノブイリ原発事故です。こうした巨大システムに頼らず、自国の資源を活用することを考えていったようです。ということは自国の森が豊かなのでしょうか。実は日本の森林率70%に比べてオーストリアは40%。決して森林が豊かではないのです。

 その秘密は国の政策にあります。政府主導で、エネルギー政策を「木材」を利用することに転換したのが、ほんの20年前。「森林官」や「森林マイスター」といった資格を設け、持続可能な森林開発を誰しもが行っていけるように「森林官」「森林マイスター」なとの資格を設けていったようです。以前は、森林産業は3Kでしたが、いまやおしゃれな産業に変わっているとか。

 さて、このオーストリア、私の滞在中に首相辞任劇がありました。移民を積極的に受け入れたことが国民の反感をかったそうです。確かに自国の資源で創りあげたこの国の豊かな生活を守りたいというのは、とてもよくわかる気がします。でもオーストリア版ビッグイッシュー(ホームレスの自立を促す新聞)を売っている光景に出合うと、残念な気持ちにもなります。

 

【参考文献】

藻谷浩介, NHK広島取材班『里山資本主義』角川書店、2013年。


ゼメリング鉄道

2016-05-27 18:42:21 | 研究報告

5月4日、ウィーンから隣国スロベニアのクルスコという町へ移動した。一部世界遺産の鉄道も通るので、素晴らしい景観を期待して。写真はウィーン中央駅。朝の駅はこの通り閑散としており、この人たちが新宿に来たら大変だろうと思う。

ウィーンを出てしばらくはぶどう畑が続く、ウィーナーノイシュタットを過ぎると森林業が盛んとなる。この国は木材をたくさん使っていることがわかる。家には暖炉があることが外観から見て取れる。薪が壁にそって積み上げてあり、暖炉の煙突があるのだ。

15分もすると登り坂になる。新緑の中をゆっくりゆっくり、うねうねと曲がりながら、登っていく。かなり蛇行しながら、ウィーンを出て一時間後、最高標高896メートルのセメリングに到着。セメリングからは緩やかな下り坂、ミルツツーシュラークは高級別荘地で、透き通るような美しさ。ウィーンは私の滞在中ずっと曇りか雨だった。どんよりとした日の多いウィーンの人たちはこの鉄道の開通を心待ちにしただろう。アルプスを抜けると次第に明るくなり違う空気を感じる。

オーストリア南部の都市グラーツでの乗り換えが8分しかないので急がないと、と思っていたら、私が乗っている電車が乗り継ぎ待ちをしたため3分遅れての到着。グラーツでは5分しかなく、私のチケットにはグラーツでのホーム番号が書いてないので、探さなくてはならない!急いでインフォに行き、ホームを確認したら地下を通って、別のホームに行かなくてはいけないらしい。「5分しかないから急げ!!!」と背中から叫ばれる。(待ってくれないの~~~~?)と思いながら、重い荷物を持って走って階段の上り下りをする!ちなみにグラーツは町全体が世界遺産に指定されていて、「エコプロフィット」という概念を生み出した町で、これがドイツに広がって、いまではドイツのほうが知名度が高くなっている。ちなみにエコプロフィットとは、企業活動をしながら、環境にも配慮するという企業経営のことを指す。だから本当はグラーツに宿泊することも考えていて、オーストリア大使館商務部に問い合わせをたが、一向に返事がないので、やむなく滞在中止となった。

さて、なんとか乗り換えに成功する。普段自転車やウォーキングで鍛えていてよかった。貧乏生活も悪くないもんだ(笑)。ただ、急ぎすぎて乗った車両が1等か2等かわからなかったので、同じくハアハアと息を切らしている若い女性に聞くと、「二等車だと思うわ。。はあ、はあ・・・」というので席を探す。またまた牧歌的な素晴らしい風景が続く。車内販売が来たので、コーヒーを頼んでみる。日本では決してこんなことはしないが、海外に出るとなんでも試してみたくなる。すると、電気コードを私の足元にあるコンセントに差し込み、コーヒーを入れている。常に電気を付けているわけではないところがなんとも、エコ。

また、スピールフィールド通り駅で乗り換え。乗り換えのホームで、「ねえ、あなた私と同じ電車に乗り継ぐんじゃない?」と声をかけてくるではないか?よく見ると、先ほど私が二等車?って尋ねた女性だった。乗り継ぎ時間が30分あったので、おしゃべり。日本から来た外国人がよくこんな複雑な乗り継ぎをしてるわねえ。私でも苦労してるのに、すごいわ!と言われる。確かにすごい。なるべく節約し、かつ、これからの研究の役に立つような、ドブロブニクまでのルートを考えた。電車の乗り継ぎはほんとうにほんとうに大変で致し方なくこんなことをしている(事務の方にも大変ですねえ。。。と憐れまれる)・・・とは言うものの、東欧のバックパック旅行には30年前からあこがれていたため、50歳になり夢が実現できて本当に幸せ♪まあ、ほんの一日だけの電車旅だけど・・・

この女性はあまり詳しくは書けないけど、ヨーロッパの西の方の出身で、両親がドイツに住んでおり、自身は東欧の大学で都市工学を学ぶ若い学生さん。トランプ氏や日本の首相の話をする。

 

途中バッハの生まれ故郷ライプニッツを通り、しばらくすると、スロベニアに入国。スロベニアの鉄道はハンドメイド。どこかの鉄道のおさがりなんだろうか?オーストリアからスロベニアへの入国にはなんのコントロールもない。

スロベニアの都市、マリボルを過ぎると、少しずつ貧しくなっていくのがわかる。気候はオーストリアよりも温暖なはずだけど。。。とにかく、壊れかけた家はあるし、家の作りが簡素なのだ。たとえば電柱一つとっても、木の幹をそのまま使ってあるところがある。家庭菜園がある家が多く、日本の田舎を思わせる。丘がうねうねと続き、その上には牛、羊、馬などを放牧している。緑が多く、スロベニアに入ると景色がグリーンになったような気がした。

私はジダニ・モストというスロベニアの駅から東方のクロアチアの首都ザグレブ方面の電車に乗り換えて、今日のお宿クルスコに到着。西方に行くとイタリア方面に抜けていく。

私が乗った鉄道は、ウィーンからスロベニアのマリボル、ツェリエ、ジダニ・モスト、そして首都リュブリャナを通り、イタリアのトリエステを結ぶ鉄道として1895年に開通した。この鉄道はウィーンから30分を過ぎると登り坂になるが、この登り坂のあたり、グロッグニッツ駅からミュルツツーシュラーク駅に至るまでは、世界初の山岳鉄道「ゼメリング鉄道」で、1854年に開通している。自然環境に配慮し、景観を壊さないように建設されていることが評価され1998年に世界遺産に登録された。鉄道を遠くから眺めると石で造られたアーチ橋の美しさが際立つらしいけど、なにしろ私は電車に乗っているので、ほとんど見えない(笑)。古くからヨーロッパでは、森や山岳地帯は恐ろしいものとして敬遠されていたけど、18世紀の自然科学の発展により自然現象として解明され、自然は楽しむものになった。そして都市化や産業革命の公害から逃れる避難場所として愛でられていくことになる。こうして、ヨーロッパの人々の間でハイキングが流行りだした。この鉄道は、輸送網としても重要であっただろうが、ハイキングを愉しむ人びとの足として、そしてのちにはイタリアの太陽を求める人の足として機能していたのだろう。


ウィーンのおもろい見どころパート1

2016-05-13 18:46:21 | 研究報告

 

ウィーンは観光地以外でもいろいろと見どころが満載だ。一つは1970年代に建設されたものの、稼働されなかった原発「ツヴェンデンドルフAKW Zwentendorf」。

 ドナウ川沿いにある。見学ツアーも実施しており原発施設内を見学できる世界でただ一つの原発だ。ただこの原発の存在を知ったのは出発2週間前で、世界中からの予約が殺到して2か月前にはいっぱいになるため、今回は外から見るだけ。同じ施設内に太陽光発電施設やカフェもあり、説明を受けられたらよかっただろうに、と悔やまれる。だから、自分のフィールドだけではなく、常日頃から関連領域の情報を幅広く蓄積しておくことは本当に必要だと思った。ただ、ドナウ川もこの辺りは湿地帯が広がっているようで、鳥の鳴き声も聞こえる。少し離れたところには牧歌的な風景が広がっている。なんとも穏やかな風景。こういう空気を感じることができたのはよかった。

 

 ホテルの方に教えてもらった行き方は、Sバーンと呼ばれる国鉄(ÖBB, ウー・ベー・ベー)のスピッテラウ駅Spittelau Bahnhofから電車で30分のトゥルン駅Tulln/Donauで降り、バスに乗り換え30分。トライしようと思ったが、駅に降り立つと閑散としており、バス停には誰も待っていない。やはりここはタクシーで行くことにする。38ユーロで片道をおねがいした。なんとカードでの支払いもできた。グーグルマップで詳細な地図は印刷していたので、帰りは1時間くらいかけて最寄り駅まで歩こうと思ったが、サイクリングをしている二組以外は全く人がおらず不安になる。ここはタクシーに再交渉し、どこか近くのまで連れて行ってもらうほうがいいと判断。グーグルマップを一緒に見て、近い駅のうち田舎なのは「トラスドルフTrasdorf」という駅らしいので、そこに連れて行ってもらう。駅まではずっと牧草地が広がっている。

 この選択が大正解!

運転手さんによると人口300人くらいの村というので、どんな田舎かと思ったら、タクシーを降りるなり田舎の香水の香りがあたり一面漂っている。どうやら酪農の村らしい。でも、その村の景観のなんと素晴らしこと!どこもかしこも手入れされていて、ゴミは全く落ちていない。また散らかってもいない。あちこちの家で薪がきちんと積み上げられている。しかも、田園調布か芦屋かというような庭の手入れの行き届いた牛舎付きの家が、続いている!田舎の香水がなければきっと間違えます!

 しばらく散歩するとカフェがあったので、ご飯を食べることにした。カフェにももちろんネオンの看板とか、のぼりとかありません。

 地元の年配の方が何人も入っていて、楽しそうにおしゃべりをしている。私が入ると、めずらしそ~にこちらを見るので、「グリスコット」と覚えたての南ドイツ語で挨拶をしてみると、戸惑いながら「グリスコット」と返ってくる。ひっきりなしに、パン、チーズ、ハムを買いに来るお客さん。中には、ケーキを10個買っていく人もいて、何のイベントがあるのだろうと思ってしまう。フロアスタッフは二人で、本当に忙しそう。奥のキッチンではコックさんもいるようだ。こんなに田舎でこんなに繁盛しているのはいったいなぜなのか。ちょっと聞いてみると、代々ここに住み、このカフェも家族経営なのだそうだ。

 カフェの裏手のお手洗いに行くと、そこには牛舎と素敵な庭が広がっていた。この庭も観光客やカフェのお客に見せるためではなく、あくまでも自分たちの家の庭なのだそうだ。アンビリーバブル!ここには「限界集落」という言葉はないのか?!カフェと酪農でどのくらいの収入があるのか聞きたかったが、それはあまりにも失礼なので、あきらめる。。。ここにある資源を使い、昔から住んでいる人が生活しているのだろう。

 一方、やはりウィーンから電車で30分のプレスバウムという大変美しい村は、トラスドルフとは対照的だ。プールや子供の遊び道具があったり、犬を連れた夫婦連れが散歩していたり、、、生活しているという感じはなく、明らかに別荘地となっている。

 ウィーン近郊の村で、別荘地になるか、地元の人の村になるかの違いは、山と川にあるように思える。起伏に富み川が流れているような谷あいの村は、別荘地となっていくのではないか。起伏に富む山あいは、木材を切り出し、家畜を飼うとしたら牛よりもヤギや羊のはずだ。木材は別荘を購入した人が薪として使ってくれるため、もう遠くの街まで運ばなくてもいいし、ヤギや羊がいたらそれも景観の一つになる。一方広々とした平坦な土地が続いているような場所は牛の酪農の場所として使われていくのではないか。牛は村全体が田舎の香水を漂わせるので、別荘地には・・・向かない(笑)

 帰国後今日ドイツ方面に詳しい方に聞くと、オーストリアは地産地消ということを大切にするのだそうだ。だからウィーンでも市街地のすぐそばに広大な農地が広がっているのかあ。オーストリアは本当に素敵な国で生活を大切にしていると思った。私も今週末はしばらくご無沙汰していたちゃんとした食事を作ってみようと思った。

 そして、写真整理をしながら、カフェの裏手の庭の入口に書いてあったドイツ語を翻訳機にかけてみた。大きな文字は翻訳できなかったので、名前なのかな?小さな文字は・・・「施設に入ってください」入ってよかったの?ちょっとは予想してたけど(笑)

(入り口にはドイツ語が二行書かれていました。一行ずつ翻訳すると、上は「施設に入ってください」となったのですが、二行まとめて翻訳機にかけると、、、施設内立ち入り禁止となりました。やっぱり入らなくて正解でした。)

 


ブティックホテル・シュタッドハレ

2016-05-11 05:03:41 | 研究報告

この宿は2009年に営業を開始した、環境配慮型の宿。壁は蔦がはわせてあり、熱を遮断できるそうだ。最も古い棟は130年前に建てられたもの。

ホテルは三棟からなっており、そのうちの一棟はパッシブハウスとなっており、ほとんど冷暖房が不要となっている。必要な電気も自給を目指している。エネルギーを生んでいるのは壁一面に貼られた太陽光パネル。そして地下水を使った温度差発電だ。悪天候が続いたり、宿泊客が多いときは自給はむつかしいそうだが、天気が良かったり宿泊客が少ないときは、逆に生み出した電気を売っている。だから年間を通してならすと、プラマイゼロなのだそうだ!

また地下水はフィルターでろ過してホテルで使う水にもなっている。

提供される食事も、すべてオーストリア産、有機農法の野菜を使っている。残念なのは無農薬ではないこと。まあ、それはしょうがない。野菜がとてもきれいでフレッシュだから(笑)。チーズもハムも野菜も、どれも美味しく腹12分目まで食べる!これが夕食だったら太ってしまうが、朝食なので、心おきなく食べることができる。

とくに、クリームチーズ、カマンベールチーズ、バターが美味しく、少し酸味のあるパンにつけていただくとまた格別!この酸味のあるパン、大好きです。

 

朝食は、複数のパン、シリアル、ヨーグルト、複数のチーズ、複数のハム、はちみつ、フルーツ、サラダ、卵、10種類以上のハーブティー、それにケーキ!いつもお腹がいっぱいになり、ケーキはついに食べられませんでした。

屋上に広がるラベンダー畑ではミツバチを育てており、取れたはちみつは朝食で提供されるだけではなく、お土産品として販売されている。

朝は鳥の鳴き声とともに目覚め、中庭もこの通り素敵。とはいうものの、5月初めのウィーンは日本で言うと3月半ばの気候。朝はすごく寒いので、中庭で仕事、、、とは行かない。残念ながら眺めるだけ。


チューリッヒ空港からウィーンへ

2016-05-10 13:00:44 | 研究報告

 クロアチアで行われる学会に参加するため、チューリッヒ&ウィーン経由で向かいました。初めての海外での学会発表、しかも場所はヨーロッパ!

 チューリッヒ国際空港からウィーン国際空港までは約1時間半。ウィーンに近づくと、ウィーンの森上空を通過。ウィーンの森の中央を走っているアウトバーンはオーストリア西部のリンツ方面へと続く。ウィーン近郊にはぶどう畑や牧草地が広がっている。いまは菜の花の季節。そしてウィーンの森は単に保護されているだけではなく、利用されていることが上空から眺めるだけでよくわかる。飛行機はなんとシェーンブルン宮殿のまさに建物の真上、ウィーン中央墓地の上を通っていく。なんてラッキー!

 

 

 定刻の夜7時半にウィーン交際空港に到着。空港はとてもシンプルでわかりやすい。荷物もすぐに出てきて、20分程度でウィーン市内行きバス乗り場(vienna airport linesという名前のリムジンバス)に到着。ウィーン西駅(WestBanhof),ウィーン中央駅 WineHbt, など様々な行き先があり、私の宿のあるウィーン西駅行きバス8時5分発に乗る。所要時間30分。ところが印刷したはずの宿への地図がみつからず、5分の道を30分もかかってしまう。というのも、途中ケーキ屋さんで道を尋ねるとすごく嫌そうな顔をして、それでもああ知ってる、あそこだよ、と教えてくれる。しかしそれは方向が90度違っており、お店の人の悪意を感じてしまう。ただ後で気づいたが、私の服装はカーキ色のひざ下のスカートにレンガ色のカーディガンとベージュのスニーカー。はっきり言って、とても奇妙な格好だ。黒いパンツに黒い革靴、そしてベージュのセーターにスカーフなんかをして、トレンチコートをまとっていたら、対応は違っていたと思うけど(笑)。そういえば、ウィーン国際空港でも、オーストリア航空のキャビンアテンダントの方を呼び止めて荷物の受け取り場所を聞こうと思って呼び止めたけど、「急いでいるの」と足早に去っていった。今思えば、服装がまずかったんだなあ~、と思う。ヨーロッパはとにかく服装で人を判断するところがあり、落ち着いたシックな格好をしなくてはいけないのだ。

 30分迷って9時にウィーンの宿「ホテル・シュタッドハレ」に到着。