中原聖乃の研究ブログ

研究成果や日々の生活の中で考えたことを発信していきます。

新しい年を迎えました。

2020-01-13 17:35:18 | 日記

新しい年の始まりです。

ここ岩倉は、京都という都会にありながら、伝統的な行事が暮らしのレベルでたくさん残っています。京都市内はもちろん、京都周辺でもほとんどすたれてしまった愛宕信仰が残っており、おくどさん(かまど)も残してあるおうちが多いです。何軒か見せていただきました。こういう伝統をいまの暮らしに合うように活用できたら、と「入り人(いりびと)」の私は思います。でも住んでいる方は一様に「あんたよそもんやから、そうおもうかもしらんけど。しがらみとかあるし、大変やで~」とおっしゃいます。

今日は、町内でおこなわれたどんど焼きに行ってきました。愛宕さんと呼ばれる灯篭のそばでありました。すでに5人くらい集まっていたので、「おはようございます」とあいさつをしたのですが、みなもちろん知り合いらしく、???という感じだったので、私の自己紹介から始めました。

朝9時、持ってきたものをいろいろ重ねて火をつけます。しめ飾りやいらなくなった稲わらなどもあります。神のお皿やデパートの紙袋などもあります。私は、お正月飾りを職場に飾っていたので、今日は何年も前のお守りをふたつ持ってきました。でも本当は、お守りは節分の時に吉田神社に持って行くのが、このあたりの習わしだそうです

焼きながら、焼きミカンをいただきます♪

最後には焼けた竹をもらって、玄関の入り口の上に、今年の幸運を祈って飾っておくのですが、私のアパートにはおけるところがないので、玄関よこに立てかけておくことにします。

今日はこのあたりのあちこちでどんど焼きをやってるので、ときどきぱ~ん、という竹の割れる音が響きます。どんど焼きは、10~30件ぐらいの集落ごとに行うので、今日はかなりあちこちでやっているはずです。これは隣の別のどんど焼き。すごい煙です。

どんど焼きも済んだし、明日から本格的に仕事です。今年はびわ湖の水草の意見交換会も始まるし、マーシャル諸島のアーカイブも始まるし、本当に忙しくなりそうです。

愛宕信仰は、京都の愛宕山が起源の火除けの信仰で、江戸時代に全国に広まったそうです。私は愛宕小学校という名前の小学校に通っていました。敷地内には今でも神社の祠や相撲の土俵があります。小学校裏手には愛宕山があり、頂上には愛宕神社がありました。小学校の時はよく遠足で登りました。でも、米軍基地が拡張工事をし、その埋め立て用の土砂のために、愛宕山は見るも無残に切り崩され、今では病院、米軍住宅が建っています。

軍事は伝統や環境を一気に変えていきます。岩倉の場合は、子供と住むために都会に移り住んだり、相続税が払えなかったり、、、という理由で、どんどん家と土地が売られていきます。先日も、近所の家が2億円で売り出され、1億2千万円まで下がったところで売れていきました。アパートでも立つのだろうか、と噂になっています。典型的な地方都市に生まれ育った私にとって、岩倉の暮らしや伝統はとても新鮮に映ります。これを一つの「価値」として残す方法はないのだろうか、、、と「入り人」である私は思うのです。

 

 

 

 

 

 


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