中原聖乃の研究ブログ

研究成果や日々の生活の中で考えたことを発信していきます。

イバイの食堂事情

2016-03-29 07:38:50 | マーシャル諸島の紹介

首都マジュロには数え切れないほどの食堂がありますが、イバイには3軒しか食堂がありません

 一番のオススメはフィリピン料理La Boujieです。

チャーハンとバナナルンピアと牛肉ルンピアが美味しく、インタビュー先に手土産に持って行っても喜ばれました。ルンピアとは春巻きのことのようで、なかなか覚えられずルンバイとかルンピニーとか言って注文したりしていたのですが、何度も行くので店員さんも「はいはい。ルンピアね」とわかってくれるようになりました。

 他にTriple J というお店もあります。ここは10年ちょっと前は海の見える二階にレストランがあったのですが、一回の奥まったところにレストランの場所が移動しあまり面白くありません。提供される食事もファストフードが中心で、ハンバーガー・ラーメン・チャーハンが中心です。甘いものを食べたくてケーキを注文したのですが、あまりの甘さにトッピングのオレオは残してしまいました。。。

 もう一軒はEnno という台湾料理のお店です。ここは夕方からやっているので、今回は時間が取れなかったので行けませんでした。ただ、美味しい(Enno)というお店の名前の割にはマーシャル人の評判はよくないようです。

首都マジュロにはたくさんの中華料理店があるのですが、イバイでは初めての中華料理なので仕方がないのかもしれません。 ごくまれに料理好きのマーシャル人がいて、キムチ、巻き寿司、豚の内臓を血で煮込んだもの、アドボなどの外国料理を作ります。フィリピン人の友達から教えてもらったんだ、という話はよく聞くのですが、なぜか中国人、台湾人、韓国人から料理を習ったという話は聞きません。中国料理は世界で一番美味しいはずなのに、なぜマーシャルではそれほど流行らずに、フィリピン料理のほうが受け入れられているのか?その理由はもちろん、中華料理よりもフィリピン料理の方が気候的にマーシャルに近く、食材の共通性があるという点もあるでしょうが、マーシャル人との関係性も影響しているように思います。 中国人はマーシャル人との付き合い方が間接的、もっというと上下関係を思いっきり持ち込みます。マーシャル人は、計画性をもって完璧に仕事をする、、、ということはあまりなくゆっくりとマイペースに仕事を進めるのですが、そういうマーシャル人を中国人経営者は管理しようとしているのがあからさまです。例えば、中国人商店の中には数台の監視カメラをつけているお店もあります。風呂屋の番台のようになっているところもあります。レジ打ちをするマーシャル人をはじめ店内を常に監視しています。そして中国人経営者は座ったまま、あるいは立ったまま、無表情で掃除や陳列の指示を出したりしています。

 フィリピン人経営者はちょっと違います。マーシャル人と一緒になって働くし、掃除もするし、レジ打ちもするし、一緒に冗談を言い合って笑っています。先日食堂で面白い光景を目にしました。裕福そうなマーシャル人のおばあさんとお孫さんが入ってきて、手の除菌剤のポンプを何度も押していました。マーシャル人の店員はその音は聞こえていたでしょうが、背を向けてアイスボックスの中の氷を黙々と割っています。そこを通りかかったフィリピン人経営者が、「あれなくなってるんじゃないのか?」と聞きました。するとマーシャル人店員が後ろを見もせずに「ええ」。適当な対応をして経営者にプチ反発してるんですね、きっと(笑)。ところがそのプチ反発に対してフィリピン人経営者は真っ向方から対抗してくるんです。両手でマーシャル人女性店員のほおを掴みキスでもするのかと思ったら、顔を除菌剤のある方にぐっと向けて、「あれだよ~。見えるかな~。わかったかな~。取っ替えてね~。」お店にいた数人のお客さんとスタッフ、苦笑! マーシャル人女性定員の面目丸潰れというところですが、生活と仕事を共にしながら、明るく精力的に働くフィリピン人はちょっとだけ受け入れられているんでしょう。 そういえば、マーシャル人と話していて「フィリピン人の友達が」というフレーズはよく聞くのですが、「中国人の友達が」というフレーズは聞いたことがないんですよね。


マーシャルの数学

2016-03-29 07:30:03 | 研究報告

途上国はどこもそうでしょうが、マーシャル諸島の教科書はアメリカで使われているもので、もちろん英語です。機械的な計算は英語でもできるでしょうが、方程式、平方根、三角関数ともなると、母語以外で理解するのは大変です。大抵の子供達は小学校の「割合」や「分数」で挫折していきます。。。

今回どこの家庭でも子供達がわたしに数学を聞いてきました。私は中学校までは数学が大好きだったので、今回も小学校高学年(エレメンタリースクール7年生)の数学は教えられたのですが、高校(ハイスクール10年生)は苦戦しました。ちょうど三角関数のところで、私は基本がかろうじてわかるというレベルで、応用問題はなんのことだかチンプンカンプンでした。これをマーシャル諸島の子供達は母語ではなく英語で学んでいくのです。

先生もわからない問題が多数あり、そういう箇所は飛ばして進めるので子供達も大変だと思います。やはり、数学でもどの教科でも言葉を一つ一つマーシャル語に置き換え、理屈をマーシャル語で考えるようにすることが必要だと思いました。

そういえば、明治以前の日本には「家庭」という言葉がなく、洋書の翻訳などではカタカナで「ホーム」とされていたようですが、「家庭」という言葉を作り普及したのは明治後期になってからです。その他、いろいろな言葉一つひとつを日本語に置き換えていったようです。私たちは、平方根、三角関数、方程式などという「母語」で楽に考えられます。それができるのは、和算を捨て西洋の数学を導入した頃、明治初期の日本の知識人のおかげなのですね。日本の学力が英語圏以外では比較的高い位置にあるのも納得できます。そういえば、ひいき目かもしれませんが、日本には数学や物理学などに優れた研究者が多いようにも思います。

マーシャル諸島の教育を母語で行う必要性を訴えている人もいるようで、ぜひ実現してほしいと思います。


マーシャル諸島調査記録 3 サソリに刺される!

2016-03-26 22:35:37 | 研究報告

 

全く知らなかったのですが、なんとマーシャル諸島にはサソリがいます。マーシャル語があるので、最近の外来種ではなく少なくとも100年以上前からいたのでしょう。

家に帰りバックパックの中のノートをガサガサ探していると、チクっという痛みがあったんです。どちらかというと鋭い痛みだったので、バッグの中の仕切りのマジックテープが切れて刺さってしまったかなあと思ったのですが、しばらくたつと腫れてきたのでクネルと呼ばれる蟻の仕業かと思いました。しばらくしてまたバックパックに手を突っ込んでガサガサとノートを探すと、今度はなにやら生き物が肌に触れた感触があり、またもやチクっと痛みがありました。今度はさすがにおかしい!巨大な蟻か?と思い、娘さんに確認してもらいました。携帯を使って中を見ていた娘さんが、突然バッグを投げ出し「ひや〜〜〜〜!!!ママ〜〜〜〜っ。スコーピオンが〜〜〜〜〜〜っ!」

スコーピオン???、、、なにそれ?星の名前かあ〜? 奥さんが私のバッグから物を一つずつ取り出して確認すると。体長3センチくらいのサソリが!えっ?私は死んでしまうのですか?と思いつつ、奥さんの顔をみると冷静だったので、多分死ぬことはないと判断しました。サソリなどという単語は、学部時代に読んだ本で冷戦を2匹のサソリに例えた部分で読んだのが最後、何年もお目にかかったことがありません。それがスコーピオンだったかどうかも忘れてしまいましたが。なんと奥さんは強く、トイレットペーパーで掴み、そのまま捻り殺してしまいました!!!実はこんなに小さい。うふっ。

そんなに頻繁に現れる生き物ではないらしく、マーシャル人に話すと病院に行ったかどうか聞かれます。病院に行かなかった私に君は強いなあ、と感心するのですが、きっとマーシャル人もサソリに刺されたくらいで病院に行く人はいないと思います。巨大なおでき「面疔(めんちょう)」が顔の中心にできても放置しておくほどですから。

マーシャル諸島でサソリに刺されても驚かないでください。あとあとまでかゆみが残る蚊よりも、症状は軽いですから。


マーシャル諸島調査記録 2 イバイの船事情

2016-03-26 22:26:18 | 研究報告

 

当初の予定では、2月23日に首都からイバイ島に移動し、25日にはイバイ島から調査地であるメジャト島に渡る予定でした。

マーシャル諸島には国内線としてエアー・マーシャルという国内線があるのですが、今回は当初から移動に使う予定はありませんでした。エアー・マーシャルは、飛行機の調子が悪かったり予約人数が少なかったりすると、フライトキャンセルになるので、イバイ島から船をチャーターするつもりでした。ところが、船の数も限られているので、大手メディアならまだしも一人の日本人のために船を使うというのは、いくら燃料費や人件費を払うからといっても難しかったようです。なかなかよいお返事がもらえませんでした。写真の船が教育省の船。小さいのでメジャト島までの一往復で1700ドルとお安いが、夏の季節はともかく今はこんな小さな船では航海は難しい(撮影は2013年夏べたなぎの日)。

イバイに着いた時に仕入れた、メジャト島のソーラーのメンテナンスに船が出るらしいという噂は、実は台湾人のビジネスマンがマーシャル語でチーベンベンと呼ばれる「ナマコ」を採取している現場(メジャト島)に取りに行くために船をチャーターしようとしていることがわかりました。しかもこのメジャト行きの日程は全く予定がないとの返事でした。

そして着いてみるとクワジェリン環礁では、なんとミサイル迎撃実験が行われている最中で、環礁内のほとんどが航行禁止になっていました。さらに悪いことに、ミサイル実験失敗のため実験期間が延長され、メジャト島行きは今回は絶望的かと思われました。。。

ところがよいこともあるもので、なんとイバイの病院がメジャト島の子供達への予防接種のため船を出すというのです。そして、2月27日(土)、夕方6時に予防接種の話を聞いて、一時間後滞在先の家の子供達や近所の人に手伝ってもらい荷造りを行いました。まずはプラスチックコンテナを買って、米・ショートニング・コーヒー・紅茶・洗剤・シャンプーなどを買いました。ほとんどがお世話になる家庭への贈り物です。子供達に感謝しつつ夜8時家路につきましたが、昨日からおかしかった喉が急激に痛み始め、どうやら風邪をひいたようです。さては旦那さんがごほごほやっていたけど、風邪がうつったか。ビタミンCを飲み気をつけていたのですが、イバイの風邪は強力です。その夜は熱が出て、鼻水は出るし咳は出るし頭は痛いし最悪です。翌日日曜日も結局教会へは行かず、午後も家でベッドを借りて寝ていました。日曜日夕方、ミサイル実験は終わったようでした。そして麻黄湯が効いたのか、メジャト島への執念が効いたのかわかりませんが、なんと月曜日の朝は気分爽快。朝8時、早速病院関係者に船の出発を確認に行きました。

 

ところがよいことはそう続きません。今度は滞在しているイバイ島の燃料が尽きてしまったので船を出せない状態に。その日のうちに燃料を積んだ船がマジュロを出港し、翌日にイバイ島につき燃料を陸にあげてから船に移すのだそうです。3日(木)には行けるかもしれないとのことでした。ところが何日経っても燃料を積んだ船がマジュロを出航したという話は聞きません。

またレディーEというエニウエトク自治体所有の船をロンゲラップ政府がチャーターして、2月中にマジュロを出航してメジャトとロンゲラップに向かい食料と水を供給する予定でしたが、風が強いため出航できずにいるようです。実はこの船は、私がマーシャルに行く2週間ほど前に、ロンゲラップ政府が船をチャーターして食料を運ぶ予定があるが、私が行く頃にはもう出航しているはずだと聞いていた船です。

そうこうしているうちに、3月6日(日)になりました。もうメジャト行きはほとんど諦めていた夕方、滞在先の家庭に知らない男の人が訪ねてきました。私は家の中にいたのですが、「え?誰?」「サト?」という声が聞こえてきました。なんと彼はメジャト小学校の校長先生で、首都マジュロとスカイプミーティングするために、メジャト島からイバイ島にやってきたのでした。私の滞在先は、彼の奥さんのお姉さんの家なのです。どうやってきたのだろうと思ったら、なんとメジャト島に常駐しているナマコ採集の中国人ビジネスマンの小さなエンジン付きの船でサント島まで来て、そこからイバイから来ていた教育省の船の帰りの便に乗ってイバイに来たのだそうです。はっきり言って海は大荒れ。よくこんな時期に小さな船を出したなあと思います。ジャンプしながら来たので腰を痛めたそうです。ビニールに包んでバックパックに入れてあった書類はビショ濡れ。日を当てて乾かしていました。それもそのはず外洋はこんなに荒れている。

翌々日ミーティングの終わった彼は、クワジェリン軍事基地から小さなジェット機に乗って基地のあるロイ・ナムール島に行って、近隣のサント島で待機している中国人所有船に乗って帰るそうです。ちなみにこの小さなジェット機はアメリカ軍が飛ばしており、パスポートさえあれば外国人でも乗ることができます。私も以前一度利用しましたが写真撮影は全面的に禁止されているので残念ながら写真はありません。小型ジェットはすざましい轟音を発するので耳栓を貸してくれますが、耳栓をしないと鼓膜が破れそうです。彼にアルバムをみせるとすごくいいと言ってくれたので、アルバムと個人に渡す大きく引き伸ばした写真を彼に託しました。

3月7日(月)ある女性がヨットを購入し、それでメジャトにケジェラアンマンの航海(日本で神社などで車のお祓いをするのに近く、本格的にヨットを使う前に、今後の航海で沈まないようにおまじないをかける航海のこと)をするという噂を聞きました。早速確認に行くと、まだいつにするか決まっていないとのことでした。

3月9日(水)、燃料はマジュロから到着しないため病院の船は出そうになく、メジャトに行くヨットに荷物だけを載せてもらうことにしました。ヨット所有者と一緒に私の荷物が置いてある、病院関係者のところに行くと、なんとメジャト島近くのエバドン島で洗礼を待っている人のために、教会がクワジェリン地方政府の所有する皮革的大きな船船をチャーターし、エバドン島とメジャト島に行くそうなのです。(下の写真がその船。日本財団の寄付。この船をチャーターしてメジャト島を往復すると、一往復あたり3〜4000ドル。つまり調査で2週間滞在するために船をチャーターする場合、船員を2週間拘束するわけにはいかないので一旦帰って再び迎えに来てもらうことになり、6〜8000ドルかかる。)たまたまこの噂を聞きつけて、エバドン島に親戚のいるイバイ在住の人がスパムを届けて欲しいとこの家にメモを持ってきたのです。このお家の人は教会の指導者レベルの人たちなので、みんなが個人的に頼みにくるのでしょう。

この船は、私が帰国する翌日の3月11日(金)にエバドンに向けて出航することになり、荷物をその船に託すことになりました。

女性が個人で所有する船も、3月14日(月)以降で波が落ち着いたら、メジャトに向けて出航するようで。なんと私が帰国するのに合わせたように船がメジャトに向けてジャンジャン出ることに!

マーシャル諸島では11月から3月までを冬。4月から10月までを夏と呼びます。3月後半は波がそろそろ穏やかになり、船であちこち移動できる季節。温暖な瀬戸内地方で生まれ育った私にはあまりない感覚ですが、日本でも東北以北の人は、雪が溶け花が咲き始める4月は心踊る季節なのではないでしょうか。今のマーシャルがそんな季節なのだと思います。

私がメジャト島に行けずにイバイにずっといるので、あなたの調査はそれで大丈夫なの?と言われ、いや〜私はイバイの人と友達になれから嬉しかったよ〜。というと、いや私が心配しているのはあなたの仕事なのよ。学校から怒られない?と心配される!今度は私も真面目に、今回はイバイの人がメジャトから食料をたくさんもらっていることも分かったし、アメリカに大量に送り届けられていることも分かったし、マーシャルの食料は決して売り物ではなく、交換するものだということも分かったし、マーシャルの伝統的な食事を提供する食堂が少ないのも感覚的に分かったし、それはそれでよかった!というと、少し安心してくれた(笑)

長くなりましたが、イバイの船事情を紹介しました。


マーシャル諸島調査記録1

2016-03-25 15:29:32 | 研究報告

マーシャル諸島調査記録-1

2月17日から3月10日までマーシャル諸島で調査を行いました。

14年ぶりイバイに1週間という長期で滞在しました。16年ぶりに会う人もいました。14年という年月は私にとっては大したことないのですが、当時ものごころつき始めた年頃の子供から小学生だった子供たちにとっては大きく変化する年月でです。買い物先や道を歩いていると「サトか・・・?」と聞いてきたり、当時ほんの小さな子供だった子供達が、家庭を持ち、商店の店員として働いていたり、小学校の先生になっていたり。それぞれに頑張ってきたんだな〜、と思いました。

思い出されるのは、当時メジャト島の藪の中で用を足していたところ(島ではこれが当たり前なのです)、こっそり後をつけてきた子供達が急にはやし立てたのです。私は村の有力者に文句を言うだけでは気が収まらず、大人気なく、まるで鬼のように怒ってしまいました。「お前らなんか大っ嫌いだぜ〜〜〜〜〜っ!」翌日子供達は「サト。ごめんなさい。もうあんなことしないよ。まだ怒っているか」と謝りに来ました。謝りに来るなんて思ってなかったので、怒りすぎたことを少し反省しました。彼らは翌日から私の調査についてくるようになったのです。

もうどの子か特定できないのですが、あの子供達がお父さんや学校の先生かあ。。。(笑)