中原聖乃の研究ブログ

研究成果や日々の生活の中で考えたことを発信していきます。

文化人類学学会での発表

2018-06-03 00:19:13 | 研究報告

久しぶりの学会発表。弘前で開催されている文化人類学会の一日目に、「ビキニ水爆実験の認識」について発表する。写真は弘前大学からみた岩木山。実は昨日の昼間にレジュメができて、飛行機に飛び乗り、青森のホテルに泊まり、今朝はぎりぎりまでパワポの準備。実質昨日からのパワポ準備で、今回は荒っぽい発表になってしまった。ただ、題材は面白いと言ってもらえて、コメントもいくつかいただいたので、ありがたかった。この一部を、来年出版予定の民博共同研究の成果にする予定。

初めて聞いている方にとっては、わかりにくいというコメントもいただいたので、今度から経緯もちゃんと話さないと、と思う。ごめんなさい。今回は発表を、てんこ盛りにし過ぎました。

今回の発表の言いたかったことの一つは、知識の無意味化ということ。

アメリカによる核実験の被害を受けて避難せざるを得なかったロンゲラップの人びと。現在は故郷を離れメジャト島で避難生活を送っている。

1999年、初めて長期滞在したメジャト島で、避難した当初、若者が海におぼれて死んだという話を聞いた。私は、気になりながらも、不運な出来事だったのだ、と単純に思った。

一昨年、当時の状況についてじっくりと話を聞いてみた。「(メジャト島に来てすぐのある日)大きな船が食料を運んできた・・・(地図をさしながら、このへんに、沖合1キロのところに)停泊していた。でも、海は大荒れで、流れは速かった。だから陸からは運搬用の小舟を出すことができなかった。一日待っても海は荒れたままだった。(でも一人の若者が)「よし、俺が行く」と言った。エバドン(メジャト島から3キロメートルのところにあるメジャト島を生活圏とする島)の男は止めたんだ。「やめろ、危ないぞ!リジブクラ(の岩)周辺は危険なんだ」。彼はラグーンに向けて泳ぎ始めた。」(2016年、男性、非被ばく者)

マーシャル諸島の環礁では、地形が複雑なので潮の流れは地域ごとに異なっている。人びとは、潮の流れに関する知識を環礁で共有して持っている。だから、違う環礁にいきなり移住しても、暮らすことができないのだ。

核実験による移住は、移住元で世代を超えて培ってきた知識を無意味化する。移住先の環境は全く異なるからだ。

こういう知識の無意味化は、核実験の被害としてどのように考えていくべきなのだろうか。核実験がなければ、いつまでもロンゲラップに住み続けていたはずで、潮の流れを知らないメジャト島に来ることもなく、事故は起こらなかったはずだから、やはり核実験の被害として考えるべきだろうか。それとも、核実験の被害と言えば、健康被害や環境汚染で、メジャト島でおぼれてしまったのは、知らない島にやってきたという自覚のなさ、あるいは注意力の欠如なので、核実験の被害とは言えないのだろうか。

私は、この被害を補償金を支払うことでカバーするべきとは考えていないが、核実験の被害と言えると思っている。でも、このことを説明する道筋がまだ見えない。