中原聖乃の研究ブログ

研究成果や日々の生活の中で考えたことを発信していきます。

空のうんこ kibween al

2015-12-16 18:03:00 | マーシャル諸島の紹介

すみません。いきなり「うんこ」だなんて。 

マーシャルに住み始めてしばらくたった時、雨上がりの地面に生えた苔を指して、「サト、これはね。マーシャル語では「空のうんこ」というんだよ」と教えてくれました。マーシャル語では、kibween alです。kibweenがうんこで、al が空。マーシャルの人は、「雨の後だけあるよ。だからこれは空から来るんでしょ」私は、「違うよ。これは、もともと地面にある苔だよ」と言ったのですが、結局私も苔の元がどこから来るのかよく知らないので、うまく説明できませんでした。

ただ、この写真は日本で最近撮ったものです。

ウィキによると、これは日本語では「イシクラゲ」というバクテリアの一種なのだそうです。雨が降ると増殖し、晴れると干からびるという簡単な原理で生き延びています。もっと驚くのは、日本では酢の物などとして古くから食されていたそうです。なんと中国でも食材として珍重されてきたそうなのですが、近年では乱獲を防ぐため、採取や輸出が禁止されたそうです。この驚くべき事実をマーシャルの母に伝えると、「マーシャルでも薬として食べるよ。幼児に与えるのよ。」食べてるの見たことないけど。。。

日本語のイシクラゲは、クラゲに似ているという外見的特徴から名付けられているんですね。視覚的なネーミングで単純です。関西人が「まんまやんけっ!」と言って嘆きそうなネーミングです。マーシャルではどうかというと、空がしたうんこが地上に落ちてくるということで、とても物語的です。さすがにマーシャルの人も、空がうんこしているとは思っていないですが、空から来ているとは思っている人はいるようです。そういえば、マーシャルの人たちは雨が降ると外を歩きません。雨が降ると離島では学校も事実上のお休みになることがあります。傘をさして歩くという習慣がないからだと思っていたのですが、違うかもしれません。もしかすると雨に当って体が冷えるのはよくないので、雨降りの外出を控えさせるために空から汚いうんこが降ってくるという「空のうんこ物語」が創られたのではないかと私は想像しています。

いまのマーシャル諸島では傘もカッパもあるし、なにしろ空がうんこしているとは本当は思っていないのだから、外出したらいいのにとは思いますが、日本人だって神社の鳥居や狛犬におしっこをかける人はいませんし、不法投棄が頻繁に行われるところに祠を建てると激減するそうです。マーシャルの人が雨降りの日に外出しないのは、祟られるとは誰も思ってないのに祠におしっこをかけない日本人と同じ気持ちの動きなのかもしれません。

雨にあたって体が冷えると大変。風邪をひいて仕事の効率が下がるかもしれません。そんなときこう思うのも悪くありません。「空からうんこが降ってるな~。出かけるのや~めたっ」

 


ワシントン滞在超過日記―空港からのアクセス編

2015-12-12 13:46:01 | 研究報告

  

ワシントンには空港が三つありますが、国際線はダレス空港とロナルドレーガン空港の二つ。ダレス空港へは電車がないので、タクシーかワシントンフライヤーと言われる乗り合いバスが都心部との主なアクセスになります。ワシントンフライヤーは空港から都心部へはそのまま乗れますが、帰国時ホテルに迎えに来てもらうにはネット予約が必要です。これまで何度か利用したので、入国・帰国時ともに今回は路線が伸びて便利になった地下鉄のシルバーラインを利用することにしました。シルバーラインは都心部から空港近くまで伸びています。シルバーラインの終着駅から空港まではバス(写真)で15分です。

 帰国便は土曜日の朝11時。つまり9時までには空港に到着しなくてはいけません。30分の余裕を見ると、7時には地下鉄に乗ろうと思っていたら、なんと土曜日の地下鉄は7時ごろが始発なのです(「ごろ」は重要)。ごろというのは、正確な時刻表はどこにもなく、来た電車に乗ることになります。ちなみに時刻表はこれ。「時刻はおおよその目安です」と書いてある!!でも考えてみたら、なにがなんでも運行時刻を守ろうとすることで、約10年前の福知山線の脱線事故なども起きるわけだし、人間なんて脈さえ正確に打ってくれれば、5分や10分遅れたからって言ったってどうってことないのだから、これでいいのかも知れません。


7時に郊外のターミナル駅を出発するので、都心部は7時半すぎに走ることになります。このことを知ったのは帰国前日の夜。パソコンのネット接続が悪くワシントンフライヤーは今更予約できないし、もう一か八か地下鉄でいくしかない!と腹をくくり、念のため乗り換えなしで行けるシルバーラインのファラガットウェスト駅から地下鉄に乗りました。7時過ぎにはまだシャッターは閉まっていて、7時半にようやく駅の入り口が開きました。

終点からは10分の待ち合わせで空港行きシャトルがあり、15分で空港に到着、8時40分には空港に着くことができました。結局、タクシー、地下鉄、バスと予想外にお金がかかり、ワシントンフライヤーの方が安く快適だったようです。みなさんがワシントンフライヤーを勧める理由を、体で納得しました!

11月8日、日曜日早朝に日本に帰国。

今回の教訓、ワシントンの空港から都心部へはシルバーラインが便利。都心部から空港へはワシントンフライヤーが便利。以上、ワシントン超過日記、おわります。






ワシントン滞在超過日記-りす編

2015-12-12 13:38:57 | 研究報告

  ワシントンの街中ではリスが駆け回っています!日本人観光客はよくリスの写真をとっているので、ワシントン在住日本人と観光客日本人は区別できるそうです(笑)。だって、こんなにかわいい♪

 なぜリスがこんなにいるのか?秘密は木の種類にあります!リスは都会の残飯をあさって生きているわけではありません。リスはドングリを食べています。今回はじめて秋にワシントンに来ましたが、ワシントンには木が多いですが、ドングリのなる木もたくさんあることに気づきました。強い風が吹くと勢いよくドングリが降ってくるので、直撃されないように気を付けなくてはいけません。ただし、ワシントンに住んでいる人はリスを愛でません。むしろ、病気を運んでくるドブネズミと同じだとして嫌う人もいます。リスに餌を与える人はほとんどいないようで、寄ってくるリスはほとんどいません。

 

 それに引き換えスズメは人に寄ってきます。日本と違って餌をやるからだと思います。一回だけ見ました。昼間レストランのテラスでパンくずをやっている人を。バードウォッチングという習慣があることからもわかる通り、鳥は好きなんでしょう。ということは鳥インフルエンザはかなりの衝撃だったでしょうね。

 それともう一つ。ワシントンの人は落ち葉を掃きません。歩道の上に落ち葉が何層にも折り重なっていて雨の日は滑りそうです。なぜ落ち葉を掃かないのでしょう。リスのためでしょうか?面倒だからでしょうか?それとも、落ち葉は土壌の養分と考えているのでしょうか?

 

考えてみると日本ほど土壌が肥沃な土地はありません。放っておいても田畑はすぐに雑草がはびこり、数十年で森に返ります。アメリカはそうでもないのではないでしょうか。ヨーロッパもそうですが、起伏も少ないし、土壌は思いのほか肥沃ではないのかもしれません。落ち葉は土壌の養分と考えて、落ち葉をそのままにしているような気がします。

 こういう環境だからリスがいるんでしょうね。


ワシントン滞在出張超過日記―宿&食事編

2015-12-11 18:12:20 | 研究報告

 

もう一か月以上も前の出張について書くのはなんだか。。。という感じですが、とりあえず、情報として。

泊まったのはデュポンサークル駅。ここの駅周辺には、スタバやサブウエイなどのファストフードあり、様々なランクのイタリアンやフレンチあり、ギリシャ料理、中華料理あり。そして、北のほうに10分ほど歩いたUストリート沿いにはアジア系・アフリカ系料理が並ぶ。ドラッグストアーもありとても便利。その上日曜日には駅そばでマーケットが開催されてにぎわうので、そこもお気に入りの一つ。

 今回の宿はウィンザーイン(Windsor Inn)。バスタブなし、朝食別、壁薄い、駅から徒歩13分とあまりいいことないのですが、古民家風でスタッフが親切というところがよかった。あと別のラインの地下鉄のUステーション駅が徒歩10分と近く、アーカイブズⅠまで4駅というのは魅力。

ワシントンの宿は12月は安いが、11月はどこも恐ろしく高い。

宿はほぼバスタブがない。バスタブのある宿は、公文書館Ⅰまで地下鉄で13分のデュポンサークル駅ではウィンザーパークホテルWindsor Park Hotelと、ディストリクトホテルDistrict Hotelの二つだけ(体験済み)。ただし、どちらも建物は相当古い(古民家旅館)ので近代的なホテルが好きな人には向かない。ウィンザーパークホテルは、繁華街を通った先の住宅街にあるので、徒歩15分という距離が気にならず宿は静か。壁も厚く部屋も静か。ディストリクトホテルも徒歩15分。ホテルスタッフが白人がいるときはきちんとしているが、日本人の私だけしかいないと足をテーブルに投げ出したりしているので、やや不快。もしかすると、おじいさんが日本兵に殺された人かもしれないけど、、、いやいや仕事はきっちりしてほしいものだ。10年ほど前、公文書館まで13分のファラガットウェスト駅ではクラブクォーターズホテルに泊まった。清潔で高級感にあふれていたものの、バスタブがなかった。

 湯船は快眠のため必要。次回はじっくりバスタブ付きの部屋を探そうと思う。

事は、味が良いのは(あくまでもデュポンサークルで安い食事だけですが)、フレンチ「ビストロドコイン」とイタリアン「トマテ」。ビストロドコインはエスカルゴが美味しかった。生まれて初めていただきました。ただ、トマテのスパゲッティは味はいいけどちょっと茹ですぎ。

 

どこもそうですが、概して言えるのは味がよくないこと。お出汁(コンソメ)の味がほとんどなく、日本ではなじみのないピリピリする香辛料をたっぷり使う。たとえ味がよくても食材の扱い方が気になる場合があり、、、全般的に火を通しすぎ。ワシントンのレストランは高級な雰囲気はピカイチだと思う。洗練された身のこなしはさすが!ただ食事そのものの美味しさを追求する向きには、フレンチやイタリアンよりも、むしろ中華や各国料理だと思う。


ワシントン滞在超過日記-フリア博物館の宗達展 Making Waves Sotatsu

2015-12-11 18:02:03 | 研究報告

 11月初めのワシントン出張中、土曜日午後から日曜日午後早い時間にかけては、フリー。アメリカ歴史博物館、国際スパイ博物館、フリア美術館をはしご。ダンバートン博物館にも行ったがなぜか閉館。門には11時から開館と書いてあるのだけど。。。ここは第二次世界大戦中から戦後にかけての資料があると思うので、研究というより勉強になると思ったけどまた次回ですね。

 ちょうど出張期間中にワシントンのフリア美術館で宗達展が開催中!!!!ワシントンに到着した日、空港からデュポンサークル駅のホームに電車が入った時、わたしの目に松島図屏風の絵が飛び込んできた衝撃は忘れられません。地下鉄でホテルに来てよかった(涙)

 土曜日午後から行ってきました。初めて目にする松島図屏風は思っていた通り、力強く、落ち着きがあり、しなやかなのです。木に例えると「くすのき」。ケーキに例えるとガトーショコラ。別に例える必要はありませんが・・・日本でこれだけの作品が展示されたら押すな押すなの大騒ぎになるのですが、アメリカは空いてます。

 学芸員さんのギャラリートークに参加しましたが、講義型ではなく対話型です。

 トークではいろいろ面白いことを知ることができました。絵師である俵屋宗達は書家である本阿弥光悦とともに一つの作品を制作しているものがあります。日本では、共同制作とはされているものの、俵屋宗達は本阿弥光悦の陰に隠れているようなところ、つまり、宗達は光悦の書の作品の下請けとして「下絵(したえ)」を描いていたと言われることがあるのです。例えば本阿弥光悦の展示を全面に押し出した展覧会に行くと、絵の製作者である宗達の名前すらキャプションに書かれていない場合があります。今回のギャラリートークでは下絵ではなく、完全にコラボ作品であったことが強調されました。作品によって、時に絵が下になり、時に書が下になっていることからそのように考えられているそうです。なるほど!ただ具体的な説明はなかったので、どの作品でどう上になり下になっているのか調べる必要がありますが。

 西洋では文字を芸術作品とすることは少ないようで、こうした背景も二人の共同作品を絵画作品としてみていく傾向があるようにも思えます。

 宗達の活躍した時代は長い間続いた市民革命の後。作品が海外流出するのは明治維新後。戦国時代も明治維新もギャラリートークでは「市民革命(civil war)」と説明されました。どちらも一般市民とはほとんど関係ないんですけどね(笑)

 松島図屏風は、1906年に北斎の屏風とともに購入されています。このときの価格は松島図屏風5000ドル、北斎の屏風は2500ドルです。今回の展示ではこの時のレシートのコピーも展示されていました。これ、コピーじゃなくて、本物を展示するほうがいいと思うけど。。。本物のレシートは美術史をやっている人には、絵と同じくすごく価値があると思います!

 明治以降日本の絵画作品が海外に流出していきますが、日本美術に関心を示す外国人と課税されて苦しむ寺や生活に困窮する華族や士族などの利害が一致した結果だそうです。海外での日本美術の評価が急速に高まるにつれ、日本国内でも美術品の保護が考えられるようになります。宗達が日本で評価され始めるのは、戦後しばらくたってからで、それまではほとんど見向きもされなかったそうです。いまだに日本の旧家の蔵からはすごい作品が発見されることがありますが忘れられたままだったんでしょうね。ちょっと前『なんでも鑑定団』の番組を見ていたら、すごい屏風が出ていました。もう本当に驚きです。(だれの作品か忘れてしまったのですが、検索したら曾我蕭白でした)

 今回の展示はアメリカ国内の美術館はもちろん、日本とドイツからも出品されていました。たいへん大掛かりな展示。

 今回、尾形光琳と酒井抱一の松島図屏風も展示されていました。光琳は幾つか松島図屏風を描いているようで、今回のは個人蔵!光琳も抱一もデザイン性があり、まるで着物の図柄のようです。やっぱり、宗達の絵はすごいぞ。今回写真をとったのですが、バチバチと10枚以上撮ったあとに「お客様、お写真はお控えください」と。この美術館は写真撮れたはずだけど・・・と思って、しかも写真禁止マークがないので聞いてみると、「あそこに」と。あそこって、、、右から入ってキャプション読んで作品見て、大きな作品の向こうの左側にあったら気づかないじゃないですか。入り口につけてくれないと。「もうだいぶ撮っちゃったんですけど」というと「大丈夫ですよ~」って。本気で禁止する気あまりないな(笑)

それに、ギャラリーショップの宗達の技法「たらしこみ」が「たらしきみ」になってる!宗達ファンとしては訂正以外に道はない。早速訂正したところ、すぐに修正してくれた。

 宗達は京都では俵屋という扇子屋を経営し、扇子の絵を描いて一般の人に売ったり、寺の屏風絵など大きな作品もあります。様々な種類の作品を制作していたと考えられています。しかし晩年になると京都を離れ、加賀で仕事をします。だから金沢にも宗達の作品はあるのですが、晩年の活躍はあまり知られていません。

 今回のお土産は、40ドルもするずっしりと思い図録と、松島図屏風が描かれた靴下。靴下は日本では滅多にお目にかかれない代物。デジカメの性能がよくなり公文書館での資料収集はコピーではなくデータに収めるので、今回の調査で重いものは何もありません。この図録が一番重い! ただ、驚いたのは、図録を買う人がなんと多いこと。ギャラリーショップで買い物をしている人のうち、半分が図録を買っていきます。でもこの図録、、、金沢(Kanazawa)が(Kamazawa)になってる。どこですか釜沢って!

 

 ワシントンでも古い町ジョージタウンで、北斎風の波の描かれた壁を見かけました。北斎の絵あまり知らないのですが、これ何か有名な絵のコピーですか?それにしても、ナイス!