中原聖乃の研究ブログ

研究成果や日々の生活の中で考えたことを発信していきます。

水草刈り取りの見学

2018-10-25 11:17:22 | びわ湖

 

昨日は、琵琶湖の水草刈取り作業を見学に行った。先日長浜ドームで開催されたびわ湖環境ビジネスメッセに行き、滋賀県ブースや水草にかかわるさまざまな企業のブースをお邪魔して、ながながとお話してしまったのですが、今回は実際の水草刈取り作業の見学です。やはり現場では作業している方とも少しですがお話できて、よかったです。かかわっている皆さんに詳しいお話を伺うのはこれからで、昨日は本当に作業見学のみ。

 なぜ水草刈取りを視察するかというと、私が所属しているオープンチームサイエンスプロジェクトは、異なる立場にある人が特定の環境問題をかかわりながら解決していく方法論を確立することが目的で、昨日は水草環境問題について、まずは除去作業の見学をさせていただいたのです。簡単にいうと琵琶湖の水草問題とは、水草が増えて環境が変わってしまったことから派生する様々な問題をいいます。水草が増えて、ちぎれて湖岸に打ち上げられると悪臭を放つし(悪臭問題)、水草が増過ぎて貝が減ったかもしれないし(資源の枯渇)、水草が増えて、船のスクリューが絡まって危険になるかもしれないし、水草が増えて処理すべき廃棄物が増えているし(廃棄物問題)、立場やライフスタイルによって同じ問題を異なる問題としてみてしまうのです。

昨日お邪魔した水草刈取りの現場は、草津の琵琶湖博物館そばの湖岸。規模の大きな水草の刈り取りは7~10月の間に行われています。水草を刈り取る機械は、、、というか水草刈取船ですが、スクリューがなく、船の側面に車輪のようなものがバタバタと水面の水を掻いて進んでいます。これはスクリューにすると水草が絡まってしまうためです。

今日出ている水草刈取船の名前は、スーパーかいつぶりⅡとⅢです。余談ですが、この名前を聞いただけで、私の胸は高鳴りました。というのも、かいつぶりは私が世界で一番好きな絵画、宗達の「蓮池水禽図」の中に描かれているのですから!お聞きしてみると、この近くには、いつからあったともわからない自然の蓮田があったそうです。山口県岩国市のレンコン畑の中の一軒家に高校生まで住んでいた私は、おお、接点が!、と思ったのもつかの間、おととし、なぜか突然消滅してしまったんだそうです。宗達はここに来て描いたのかもしれない、土でも拾って帰ろうか、と余計なことを考えつつ、視察を続けます(笑)

さて、この水草刈取船は水草の繁茂しているところで刈り取りをしますが、刈り取った後は、少し離れた船(漁船)まで運んでいきます。漁船はスクリューで動いているので、水草が絡みつくため、水草刈取りの現場まで行けないのです。そして漁船が陸揚げ場所に運搬します。そこからはたい肥にする場所まで運んでいき、完全にたい肥になるのには2年かかるそうです。そこで、もっと早く短時間でたい肥にする研究も進められています。

水草刈取船が水草を取っているすぐそばには、たくさんの水鳥がいます。逃げないのです。水草刈取船の名前に「カイツブリ」という鳥の名前がついているので、水鳥たちが親鳥だと思ってついてくるんだそうです。またまた~(笑)と思いつつ、でも担当の方が面白いことをおっしゃいました。「そういえば、京都とか都会に行くと、スズメとか鳩とか、すぐ近くまで来ますよね。でも、ここではスズメとか鳩とかは人間によって来ませんから。」確かにそうです。私は日本では感じたことはないけど、ワシントンのカフェに座っていると、スズメがケーキ皿のすぐ近くまで寄ってくることがあります。それは人がえさをやるからだと思います。でも、日本では、とくに地方では「舌切り雀」という昔ばなしにもあるように、スズメとか鳥は農作物を荒らす人間の天敵で、人間が鳥を攻撃してきたのでしょう。だけど、都会ではスズメなど鳥は人間に攻撃されようとも、食料がないので、人間のつくったものに頼る必要があるのでしょうね。私も実は同じことをずっと思っていたので、同じことを考えている人がいるとは、とちょっと嬉しくなりました。人間がどう接するかによって、動物も植物もそれによって影響を受けるだろう。カラスも昔から人間に攻撃的だったとは限らないと思います。刈取り現場は、琵琶湖の南湖ですが、北湖には先週白鳥が飛来したそうです。思いのほか多くの水鳥たちが住んでいるようです。

琵琶湖の水深は深いところで、北湖で100メートル、南湖で8メートルだそう。水草は南湖に多く繁茂しており、沿岸、湖の真ん中、決められた範囲があり、そこで刈り取りが行われている。浜のすぐそばでは、ヨシの保全が行われていた。

興味深かったのは、刈り取りの現場の監督さんが観光客に、「水草を刈るなんて!自然を破壊してる!」と言われたのだそうです。これはグアムとも同じで、グアムの米軍で働いている人の家族の中には、現地の自給自足の暮らしが若干残るグアムの人が釣りをするのを見て、「魚を略奪している。自然破壊をしている」と言う人がいるのだそうです。人間の介在しない自然など存在しないからこそ、人間が何らかの方策を講じて守らなければならなくなった自然。。。ローカルな生活文化には、自然環境を守ろうとするなんらかの仕組みも埋め込まれているのですが、そこは、よそものにはなかなか見えないところです。

こんなに水草が増えた原因は何なのだろう。。。ここで私はとても間の抜けた質問をしてしまう。「こんなに研究がたくさんあるのに、どうして原因がわからないんですか?」その答えが気が利いていた。「人間一人の心だってわからないんですよ。ましてや、琵琶湖はいろんなたくさんの要素が複雑に絡み合ってるんです。実験室で実験するわけにもいかないでしょう。いろいろ研究していますが、原因はなかなかわからないんですよ。」確かにそうだ。もうちょっと、科学的なものの考え方も身に着けてから質問しなくては。

琵琶湖について知らないことが本当に多く質問攻めにしてしまい、あっという間の2時間。予定を少しオーバーし、慌てて帰りました。帰り際「琵琶湖が好きになりそうです」と言うと、「もう、十分好きそうですよ(笑)、いろいろ回ってみてください」と言われました。そんなに買い被られると、、、もっと頑張りたくなります。

それにしても、25年も前に初めて関西に来た時に感じた水の不味さ!そして慣れていったか、浄水技術が進んだか、数年後には全く気付かなくなってしまった琵琶湖からの水のにおい。いまその水にかかわり始めている。きちんと向き合いたいと思う。


夏のマーシャル諸島調査の思い出

2018-10-10 18:12:48 | 研究報告

 昨日、来日されているアメリカ人ご夫婦に京都で1年半ぶりに会った。研究の話もできてそれはそれとして充実した時間だったけど、、、「どうしたんですか?お肌が・・・」と言われてしまう。実は今年夏のマーシャル諸島調査で、シャワーを浴びるのがつらいほど真っ赤に日焼けしてしまった。1ヵ月以上も経つので、自分ではだいぶ元通りになったなあ、と思っていたのだが、ただ単にこの色に自分で慣れてしまっただけのようだった。。。

 この夏日焼けした理由というのは、マーシャル諸島国内の飛行機移動で起こったロストバゲージだ。

 マーシャル諸島国内には、エアーマーシャルという国営の航空会社があり、今は確か18人乗りが一機ある。この一機の飛行機が、今日は、このあたりのいくつかの環礁(島)を結ぶルート、明日は違う方面のいくつかの環礁(島)を結ぶルート、というように、日替わりでマーシャル諸島の島々をあちこち飛ぶ。

私が乗ったのは、首都のマジュロ空港からクワジェリン環礁クワジェリン島空港を経て、クワジェリン環礁エレナク島空港に向かうルート。途中のクワジェリン島空港で半数が降り、わたしはエレナク島に向かった。エレナク島について、出迎えの懐かしい人々に会いおしゃべりをし、私の荷物を確認すると、、、ない!前に飛行機に乗ったとき、水と食料がなくおなかがすいて死にそうになったことがあり、手荷物は、財布、パソコン、カメラ、水、食料だけにした。そのほか、ケーブル、電池、充電器、服、洗面道具、漁労調査用道具、調査用書類など、、、すべてスーツケースに入れてしまっていた。もちろん、日焼け止めクリームも。

 荷物がないことをキャプテンに伝えると、「あ、黄色いスーツケースは、クワジェリンにおろしたかしら~?」「次にここに来る時に、持ってくるね~。」とふざけたことを言うので、「5日しか滞在しないし、調査道具が入っているので、いまからクワジェリン空港に行き、荷物を持って引き返してきてっ」、と言ったが、「じゃあ、1週間後に来るわ~」と飛び立っていった。。。滑走路にうずくまり、3分間動けなかった。

 事情を村の人に説明すると、「そうなんだよね。いつもなんだから。今回もあなたと、もう二つ荷物がなくなってるのよ」と。「まあまあ、まずはご飯でも食べろ」と言うことになる。国に一つしかない飛行機で、しかも18人乗りで、どうしてロストバゲージが三つも起こるんでしょうか???これは特殊な技能に違いない。

 8時にマジュロを出て、エレナクに着いたのが10時。引き潮だったので、ボートがサンゴを傷つけてしまうので、2時の満ち潮まで待ち、船でメジャト島に渡る。もちろん、迎えに来てくれている人は、夜通しご飯を炊いたりケーキを作ったりして準備をし、朝4時頃の満ち潮のタイミングで船にのって20分のエレナク島にやってきて10時まで待機する。

 カメラは、村の人のスマホを借りてなんとか記録できそうということがわかる。そして服もマーシャル人は「衣装持ち」だから大丈夫!という。Tシャツ、スカート、下着、すべて借り物で過ごすことになった。こんなんだったら、次回から服は次からはもってこなくてもいいかもしれない。ただし、日焼け止めクリームは売ってないし、島では誰も持っていない。

1週間後に無事に荷物が来る。漁労調査ができるのは次の日しかなかった。土砂降りの雨の中決行し、ますます、喘息が悪化する。しかも雨だから気分が乗らないのか、魚がほとんど釣れない。

私は、体調が絶不調のなか、翌日は再び嵐のなかをロイ・ナムール軍事基地に向かう。ロイ・ナムール軍事空港からクワジェリン空港までは、米軍が運営する無料の通勤用小型ジェット機があり、外国人もパスポートさえあれば自由に乗ることができる。

当初は5日しか滞在しない予定だったが、滞在を伸ばしたので、首都まで帰ることができず、クワジェリン空港から国際線に乗りグアムまで帰るしかない。それを国際線のユナイテッドに伝えると、160ドルの変更手数料を取られてしまう。エアーマーシャルに請求しようとしたが、村の人が無駄だというので、あきらめる。こんなこともあるよね、と言い聞かせるしかなかった。

あと数か月もすれば私の日焼けも落ち着くだろう。それといっしょに、くやしかった&面白かった調査の思い出も薄れていくのかな。