中原聖乃の研究ブログ

研究成果や日々の生活の中で考えたことを発信していきます。

ぜんそく患者、病院たらいまわしに立ち向かう、の巻

2020-04-24 09:24:12 | 自己紹介

なんとこんな時期に咳喘息の発作が出たようだ。。。始まりは、4月半ば。なんだか人と話したり、笑ったりすると咳き込んでしまう。咳き込むと楽なのだが、こんな時期だからこそ、咳き込むとコロナの疑いがかけられ、再び地球研立ち入り禁止(先月末部署すべてが封鎖されてしまいました)になりかねない。とはいえ、いま病院に行くのはリスクが高いので控えていたが症状は悪化するばかりなので、17日(金)に意を決して病院に行った。

朝一番、まずはA病院。自転車で病院の玄関先まで行ったが、コロナ貼り紙があったので、遠慮の意味を込めて貼り紙に書かれてあるこの病院の電話番号に電話をする。案の定、咳き込んでいる患者は診察できないと断られる。熱がないこと、持病のぜんそくであることを告げたが、診察できないとの一点張り。事の重大さに初めて気づいた私は、最近解禁になった電話での診療をと何度も食い下がり、ようやく、診療なしで玄関先での薬の受け渡しなら、と承諾してもらえる。いつも使っているオルベスコの処方箋を書いてもらった。名古屋のかかりつけ医では2個処方してもらっていたが、ここでは1個だけしか出せないという。待つこと10分、玄関先に看護師さんが出てきて下さり、1個ゲット!

しかし、これから続くコロナの流行のなかで発作が起こったらと思うと大きな不安に駆られてしまう。ちゃんと診察してくれる病院を探すことにする。B病院の前につくが、同じく「お知らせ」があったので再び電話。全く受け付けてもらえない。かかりつけ医に行くように促されるが、1年半前に京都に転居してから喘息の発作は一度しか出ておらず、手持ちの薬で間に合っていたので、病院には行っていなかった。するとかかりつけ医に電話をし、その時に確かに受信したことを・・・・と話が長くなってきた。だいたい、咳喘息の発作とふつうのぜんそくの発作、花粉症のあとのぜんそくは症状が微妙に違うし、私としては診察してほしいところ。家に置いてきてしまったお薬手帳には確かそのときのシールを貼った記憶があるが、前の医療機関に連絡まで必要なのかと思うと、だんだん頭に血が上ってきた。それにコロナの蔓延により規制が緩和されて初診でもオンラインや電話診療ができるようになったはず!かかりつけ医を探しているのか、万が一の時の薬が欲しいのか、もはや自分でも目的が分からなくなり、「こういう風に診察を断られるということがあるのは残念ですし、問題提起させていただきます。ただ、いろいろアドヴァイスしてくださったのですが、私の今の問題として、もし診察していただけないとしたらほかの病院をあたる必要があります。診察していただけるのでしょうか。それともしていただけないのでしょうか。」と、聞く。ようやく、そのとき見ている患者が帰った後に、診察してくださることになる。待合室にも診察室にも医師以外誰もいなかった。10時過ぎなのに、こんな時期だからなのか、病院に来る人は少ないようだった。診察というより、話を聞くだけで聴診器を当てることもなくあっという間に薬を出してもらえることになった。やばい患者だと思われたらしい。。。ここはかかりつけ医にはなりそうもないことだけははっきりした。

 しかし問題はここからだった。処方してもらった「オルベスコ」が、近所の薬局にないのだ!喘息治療薬がコロナに効くというニュースを聞いたが、それが私がいつも使っている「オルベスコ」で、3月初旬から品薄状態が続いていたのだ。知らなかった。。。京都市内の薬局に電話しまくり、なんとか見つけたのだが、薬局間での郵送はできないので、そこまで取りに行く必要があった。そうこうしているうちに、近所の薬局から、なんとかお願いして回してもえらました、という連絡が入る。

 もう一つの私の問題、かかりつけ医を持っていないことも解決しておく必要がある。ぜんそくの発作は1~5年に一度なので、これまで発作がでたときにちょろっと病院にいって薬をもらっていただけだった。だから深刻な病気として考えたことはなかった。もしも日本でコロナの流行が拡大した中で大きな発作がおきたら、私は間違いなくほっとかれる。。。昼前からは、かかりつけ医探しに奔走する。C病院に電話してみる。すぐに来てくださいと言われるが、咳き込んでおり、待合室で待っている患者さんに不安を与えたくないので、オンライン診療を希望している旨を伝える。夕方の診療時間に電話での診療をしてくださることになった。メールで送られてきた問診表に記入して、保険証とお薬手帳の該当ページの写真とともに返信した。夕方になり、C病院に電話する。医師とは通常の診察のように話をし、ぜんめいを聞かせてくださいと言われる。ぜんめいとは、ぜんそく患者に特有のぜーぜー、という呼吸音だそうだ。電話口で息をする。「ああ~。ぜんそく出てますねえ」と言われ、「そうよ、これこそがオンライン診療よ~」と、なんだかほっとする。私が前に使っていた「オルベスコ」は古い薬なので、その新たなタイプの薬と、発作がひどくなった時の薬と、たん切りの薬と気道を広げる薬の4つを処方してもらう。電話での診療が終わると、自転車で指定の薬局に行き、薬を受け取り、薬代を診療費とともに支払って帰る。

 

A病院  初再診療288点 とりあえず、医者にも会わず、電話もなし、診療なしでお薬だけもらう。

B病院  初再診療368点 なんども断られ、顔も見ずに診療、、、しかもいちばん高い、聞いてみるべきだろうか。。。

C病院  初再診療214点 電話での診療、診療は丁寧。一番時間をかけて診療してもらったのに、一番安い!

 

 私と同じ経験をした人はきっと何人もいるだろうと思ってググってみると、神戸新聞にはこんな記事があった。

https://www.kobe-np.co.jp/news/iryou/202003/0013229179.shtml

 この記事によると、過去に通院したことがある病院にぜんそくの診察を希望したが、断られ、電話診療さえも、対象外として診療を断られ、市の帰国者・接触者相談センターに電話するように促されたということだ。もちろんそこに電話してもコロナではないので、診察してもらえるわけではない。別の病院に電話してもやはり断られたという。

 私の問題は、1年半前に転居して以来、病院には行っていないということで、かかりつけ医がいないことだった。

 おそらく多くの病院で、ぜんそく患者は、「かかりつけ医」ではないことを理由に断られている。そしてかかりつけ医であったとしても、咳が出ていると診療しないのだろう。もちろん、対面でないと症状を判断しづらいとの理由からオンライン診療さえも断っていることもありそうだ。

 ぜんそく患者の対面診療を断りたい気持ちはよくわかる。しかし、コロナ蔓延の中で規制が緩められたため、かかりつけ医ではなくとも初診からオンライン診療は可能だ。それを断るのは、地域医療を担う病院としてどうなのか。岩倉では「憲法9条を守れ」や「美ら海を守れ」というポスターやチラシを見かけることがあるが、「私の体も守ってよ!」と思う。

いま、ぜんそく患者は大きな不安の中にいる。17日金曜日はながいながい一日となった。

 

オンライン診療可の病院の情報はこちら→ https://doctorsfile.jp/search/ft104/

 

 

 

 

 


「被ばくコミュニティ形成」科研のお知らせ(研究代表者:中原聖乃 研究分担者:渡邉英徳)

2019-07-08 16:34:06 | 自己紹介

7月6日、東京でのキックオフ会合が無事に終わりました。これから4年間「被ばくコミュニティ形成」科研の研究を行います。

被ばくの被害は償いきれるのでしょうか?これがこの研究を始める問いでした。第二次世界大戦後、太平洋の島国マーシャル諸島は、アメリカによる核実験場となりました。核実験で人々が被ばくしただけではなく、放射能に汚染された故郷に戻れない人もいます。現在は補償金が支払われているものの、補償金への過度の依存や、生活習慣病の蔓延、アルコールやドラッグ問題など、核実験の間接的影響が続いています。 これまでは、アメリカの加害責任を問う研究が多く、私もそのような研究を進めてきました。しかし、加害者の責任を追及するだけでは、謝罪もないまま補償金の支払いだけで終わってしまうため、解決に至らないどころか、アメリカ―マーシャル諸島間に不信感をもたらしてしまったり、マーシャル諸島に新たな社会問題を生み出したりしています。

マーシャル諸島の被ばく者側からも、補償金を獲得するために、疾病、生態系の変化、補償金の少なさ、アメリカに理解してもらえることばを選んで被害を語ってき...ました。しかし、研究する中で気づいたのは、被ばく者の中には、こうした語り口とは異なる語りをしている人がいる、ということでした。例えば、汚染された故郷を離れて暮らすことの不便や不安があります。不慣れな避難地の潮流を知らないために漁労中に遭難してしまったり、地域独特の毒魚に関する知識がないために、間違って食べてしまったり、自分たちを守ってくれるデーモン(霊的存在)を故郷に置き去りにしてしまったことの罪悪感だったり。

この研究は、償いきれない被害に向き合う方法を多くの方とともに模索していきたいと考えます。そのために、被ばく者の声に耳を傾け、理解し、さらにそれを社会に発信するツールを作り、このツールを用いて、次のように研究を進めていきます。

① 被ばくや暮らしに関する写真、映像記録などを使って、人びとの記憶を喚起し、被害者ではない人たちも含めて、被害を共有していくワークショップを日本とマーシャル諸島で開催します。

② 被ばく当事者がインターネット上に書き込みをし、それを閲覧した人たちと被ばく者が、互いに被害観を語り合うことのできるウェブシステム「マーシャル諸島アーカイブ」を作ります。アーカイブは、アクセスする人たちが更新し発展させるとともに、随時改良していきます。アーカイブを通じて、新たな「被ばくコミュニティ」を形成する後押しをしていきます。

正式名称:科研費補助金基盤研究(C)「写真着彩技術と対話を活用した持続可能な被ばくコミュニティ形成の応用人類学的研究」


マーシャル諸島との出会い

2015-04-18 08:37:50 | 自己紹介

  

 写真は、私が撮影したマーシャル諸島に住む私の家族です。この家族と出会ったいきさつは……  私は、短大(東洋大学短期大学観光学科)卒業後しばらく働いたのち、大阪外国語大学外国語学部二部英語科に社会人入学しました。会社の終業とともに電車に飛び乗り、2時間の授業を受け、土日は語学の予習や宿題のレポートをこなす楽しい日々でした。このころ結婚もしていました。そういえば家事もしていました。  

 学部ではアメリカ外交史のゼミに入り、米ソの核軍縮交渉史を卒論にまとめる予定でしたが、夏休みにうっかり前田哲男先生の『非核太平洋 被爆太平洋―新編 棄民の群島』(筑摩書房 1991)に出会い、マーシャル諸島の被ばくについて勉強したくなりました。そこで、神戸大学大学院に進学することにしました。

 実はここからが苦しい日々の始まりでした。まわりは頭のいい人ばかりなのです。おまけに年齢制限で、助成金獲得もままなりません。学振は一歳オーバー……この頃「お若く見えますね」という言葉に「そんなの何の役にも立ちません」と思うほど、心はすさんでいきます(笑)。

 そんななか、マーシャル諸島へフィールドワーク(現地調査)を行くことはとても楽しかったです。このときお世話になったのが、写真上中央のクリスチーナ、私のマーシャルでのお母さんです。残念ながら病気で亡くなってしまいました。2004年には名古屋の大学に非常勤講師の職を得られたので、名古屋に転居しました。塾講師を掛け持ちしながらの研究生活のなかで、2007年には念願の博士号を取得しました。

  2018年9月まで名古屋の大学で非常勤講師として、「文化人類学」「国際社会問題」「平和学」「異文化コミュニケーション」などを講義していましたが、2019年9月より京都の総合地球環境学で研究員として働いています。