中原聖乃の研究ブログ

研究成果や日々の生活の中で考えたことを発信していきます。

ロスアラモス

2017-06-11 13:51:14 | 核開発

ロスアラモスというのは、1942年に核兵器開発都市として無人の大地を開発してできたかつての「核秘密都市」です。ここはどこの都市にもある、暴力・貧困・犯罪とは無縁のきれいに整備された町でした。中央には池がありたまたま日曜日だったので、家族連れで遊んでいます。町には映画館、スーパーマーケット、博物館、食堂などがあり、ロスアラモスの食堂で働く人はすべて白人でした。また有機野菜など体にいい食材を専門に扱うスーパーマーケットもあります。アルバーカーキーのホテルのフロントスタッフ(グアテマラ移民二世)に話すと、あそこは別世界で、全員が博士号を持っているんだ、と言っていました。(嘘です)

写真はロスアラモスを見下ろすハイキングコースあたりから撮った写真です。左が誰でもはいれる居住地区。土日以外はサンタフェから公共の通勤バスがあります。大きな橋で結ばれた右の部分がロスアラモス国立研究所施設群です。ここには入れません。現在でもアメリカの核開発の最先端の研究所で、核開発研究だけではなく、実際に核兵器が作られており、様々な基礎研究もおこなわれています。ロスアラモス国立研究所とソコロという町にあるニューメキシコ工科大学はどうやら協定を結んでいるらしく、徹底した少人数エリート教育機関であるニューメキシコ工科大学を卒業すると就職には困らないそうですが、ロスアラモス国立研究所に就職する人もいるのでしょう。そういえばニューメキシコ大学にも立ち寄ったのですが、、、子供にロシア語を話している女性がいたので、思わず声をかけてしまいました。そうしたら夫が物理学者で家族で来ているんだとか。地方の単科大学だと思ったら、、、すごいです。

ロスアラモスにはオッペンハイマーの家も残されています。

 


サンタフェ

2017-06-11 13:34:23 | 研究報告

サンタフェ

 超おそブログ。3月29日サンタフェで行われた応用人類学学会で発表した。今回はいろいろあり、美術館博物館をいろいろ教えてもらっていたが、ひとつも行くことができなかった。。。中学から短大までずっと美術部で絵を描いていた私にとって、残念なこと極まりない。ネイティブアメリカンの博物館もあるらしかったけど、行けずじまい。。。

 なのでホテルと学会会場の往復で通った場所のレポートをします。

 サンタフェというと宮沢りえちゃんのヌード写真集があるので、日本では知らない人はいない場所ですが、私は、砂漠の真ん中の廃墟となった町だから、ヌード写真が撮れたんだと思っていました。で、アメリカのことだから、そんなところに広大な研究施設でもあり、学会でもするのだろうと。ところが日本で外国人講師にサンタフェに行くという話をすると、目を輝かせてみんな「いいな~」というのです。どうやらアメリカ人にとってサンタフェは心ときめく場所であり、ノスタルジーを感じる場所であり、アメリカの歴史を感じる特別の場所となっているようなのです。

学会が行われたのは、ラ・フォンダ・ホテルと言う老舗のホテル。面白かったのは、明らかに学会に来ている研究者の普通の、、、あるいはカジュアルな格好の人たちと、パーティドレスのような服で優雅にお食事をしている方々と二極化していることです!そして高級そうな犬。南洋黒真珠カラーの巨大なプードル、ホルスタインの様な犬、まあ、どれもこれもあまりお目にかかったことはなく、毛並みがつややかで、しつけが行き届いています。私より食費は高く、また高い教育を受けているのではないか(笑)なんとこのラ・フォンダ・ホテル、1942年に始まった核兵器製造計画マンハッタンプロジェクトに従事した人々の憩いの場になっていたそうです。そう、「サンタフェ」はなんと核兵器開発の拠点であったロスアラモス国立研究所から車で一時間のところなのです。ロスアラモス国立研究所は今でも核兵器を作り続けています。

サンタフェには、電車でやってくる労働者が最初に降りた駅や、米国人スパイがソ連のスパイに核兵器製造の秘密を渡した橋などそのほかいろいろ残っています。でもその橋は結局正確にはわかりませんでした。これかも?

 サンタフェはダウンタウン地区とグアダルーペ地区の二つに分かれています。このグアダルーペ地区のダウンタウン寄りに日本でいうと職業安定所の施設があります。ここには、先住民やヒスパニックが朝早くから集まっています。みんな仕事を探しに来るのです。職業安定所に職を求める登録をしながら、一方で、日雇い労働者を確保するためにやってくる人を、路上で待っているのです。多くはものを運んだり、掃除をしたりする仕事だそうです。交渉が成立するとそのまま車にのって働く場所に行くのです。

グアダルーペ地区には、超高級ではなく適度によいレストランがいくつかあり、ダウンタウンよりもむしろ混んでいた。私のお気に入りは Radish & rye というレストランで、当日予約はなかなか取れません。なにがいいかというと、ひとつは、フレンチでもイタリアンでもなくアメリカ料理なところ。イタリア人やフランス人シェフを雇うのではなく、自分たちの料理「アメリカ料理」を厳選した食材を使って自分たちで作る!いいじゃありませんか!また、契約農家から食材を取り寄せ有機野菜でやっているところ。サラダがすごくおいしいです。アメリカでこんなに新鮮な野菜を食べたのは後にも先にもここだけ!高いので行けたのは二日だけ。一日はラムのパテ。もう一日は、ポークチャップ。おいしいです!ローカルな食材を使ってるのよ!と言うので喜んで食べていたのですが、ふとサンタフェ周辺は乾燥地帯で若干牛や馬を育てていただけだし、来る途中は先住民族の土地で立ち入り禁止になっていたけど、と不思議に思い聞いてみると、「〇〇はデンバーからです」「〇〇はコロラド州から来ます」って。100キロ以上は離れているんじゃないでしょうか(笑)。地産地消の範囲も広い。広いアメリカ!

サンタフェのダウンタウンのはずれには、第二次世界大戦中の日系人強制収容所がありました。ここはひょんなことから知り合いになった方に連れて行ってもらいました。今はそこに碑が建って、公園になっており、地元の人が犬の散歩やウォーキングに来ています。ここに収容されたのは、ビジネスで成功している人や教師だったらしいです。そういえば私にもハワイに移民した親戚がいますが、収容所には入らなかったと聞いていますが、そういう理由だったのですね。豆腐屋は収容所に入れるまでもないのか。ウィキペディアから拝借した写真には、収容所建物がたくさん見えます。まさに碑があるあたりから撮られたようです。同じ形の山が移っています。

サンタフェというのは、先住民族の文化を残しながら、スペイン人が入植し、白人によって観光地化され、核開発により発展(?)した町のようです。もうちょっと調べればいいのでしょうが、、、聞いた話だけ。