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詭弁の王道 (論より詭弁(香西 秀信))

2007-04-14 19:02:18 | 本と雑誌

 ある主張が詭弁かどうかを問題にする前に、すでにその主張で用いられる物事の「名づけ」において、議論の前哨戦が始まっています。

 たとえば、テロリストが人質をとって法外な対応を要求している場合。主張の仕方、問いの立て方によって、yes/noや答え易さ/答え難さは大きく変動します。

(p60より引用) 国家の面子を守ることと、国民の生命を守ることの、どちらが大切なのか?・・・
 テロリストの卑劣な要求に屈しないことと、屈することの、どちらが正しいのか?

 これらの例は、問い自体、すでに相手方に都合のいい形に仕組まれているのです。

 また、議論の最中、「そういうお前だって同じことをやっているじゃないか」といって反論したくなることがあります。

 しかしながら、論理的思考では、「相手もやっている」からといって、それ自体で、自己の主張の「是」の根拠にはならないと言われます。
 この点について、著者は、この「お前も同じ」という反論に対し積極的な意味を認めています。

(p133より引用) 伝統的な論理学では、「お前も同じ」型の議論は、「論点のすり替え」という詭弁(虚偽)に分類されていた。・・・
「お前も同じ」型の議論は、このように、立証責任を本来負うべき側に与えるという機能がある。

 確かに、「論点のすり替え」は論点の変更ではありますが、それは、詭弁でも何でもなく、そもそも「正しい議論の順序に復することになる」という主張です。
 相手方も同じことをしているにもかかわらず、そのことを棚に上げて、こちらを非難するという首尾一貫していない態度を、まず正すわけです。

 最後に、なるほどと思った著者の指摘です。

(p23-24より引用) 町を行く人は、一見正しそうな考えをそのまま正しいと判断する。が、思想家は、一見正しそうな考えを疑い、それを試みに否定してみることで、その正しさを検証しようとする。・・・が、これはある意味で、論理的思考の欠点でもある。それは、一見正しいことを疑うことを教えるが、一見誤りであることにはそれ以上こだわらず、そのまま誤りにしてしまう。・・・一見誤りであること、誤っているように見えること、間違っていそうなこと、そこに正しいものを見出せることもまた真の思想家の条件の一つである。

 「マイナスの評価」と「プラスの評価」は、どちらも「評価」という点では「等価」です。
 しかしながら、現実の直感的な納得性では、往々にして「マイナス評価」の方が上になりがちだとの論です。

 心しなくてはなりません。

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価格:¥ 735(税込)
発売日:2007-02-16

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