福沢氏は、「政府」と「人民」との関係は一種の「契約関係」だと説きます。
(p23より引用) そもそも政府と人民との間柄は、前にも言える如く、ただ強弱の有様を異にするのみにて権理の異同あるの理なし。百姓は米を作って人を養い、町人は物を売買して世の便利を達す。これ即ち百姓町人の商売なり。政府は法令を設けて悪人を制し善人を保護す。これ即ち政府の商売なり。この商売をなすには莫大の費なれども、政府には米もなく金もなきゆえ、百姓町人より年貢運上を出して政府の勝手方を賄わんと、双方一致の上、相談を取極めたり。これ即ち政府と人民との約束なり。
人民は政府の庇護のもとにあるのでなく、政府が人民を保護するのは「政府の職分」だと言います。人民としては、やるべきことをきちんとやっている以上、なんら政府からとやかく言われるものではありません。
(p23より引用) 故に百姓町人は年貢運上を出して固く国法を守れば、その職分を尽したりと言うべし。政府は年貢運上を取りて正しくその使い払いを立て人民を保護すれば、その職分を尽したりと言うべし。双方既にその職分を尽して約束を違うることなき上は、更に何らの申分もあるべからず、各々その権利通義を逞しうして少しも妨げをなすの理なし。
人民は政府に対して卑屈になる必要は全くありません。堂々とその地位を主張すべしと訴えます。お互い様ということです。
(p24より引用) 固よりかく安隠に渡世するは政府の法あるがためなれども、法を設けて人民を保護するは、もと政府の商売柄にて当然の職分なり。これを御恩と言うべからず。政府もし人民に対しその保護をもって御恩とせば、百姓町人は政府に対してその年貢運上をもって御恩と言わん。
このあたりの福沢氏の筆は、普通の人々の頭にすっと入り、トンと腹に落ちる見事な言い回しです。
まさに、啓蒙家です。
氏は、厳とした権利意識に覚醒した人民が、日本の対外的な独立を全うする礎であると考えているのです。そして一般の人々に、早く目覚めて欲しいと心底願っていたのだと思います。
(p26より引用) されば一国の暴政は、必ずしも暴君暴吏の所為のみに非ず、その実は人民の無智をもって自ら招く禍なり。・・・故に云く、人民もし暴政を避けんと欲せば、速やかに学問に志し自ら才徳を高くして、政府と相対し同位同等の地位に登らざるべからず。これ即ち余輩の勧むる学問の趣意なり。
p.s.会社名を出すべきか未だ思案中なので頂いたコメントは一旦削除致しました。