この本を読むと、「『意識』して行う」というヒトならではの行為のウェイトが予想以上に少ないことに驚かされます。
逆にいうと、大半の行為が「無意識」のうちになされているのです。
私たちの脳は、そういった「無意識」の行為を見事にコントロールしています。
たとえば、(普通に)歩くとかボタンをとめるとかの行為は、こうしたら次はこうやって・・・といった段取りをいちいち意識して意図的に手足や指を動かしているわけではありません。簡単な「会話」ですら、確かに反射的にやりとりしています。
また、脳は、「記憶」についても、意識せずして自律的に素晴らしい処理を実行しています。
(p188より引用) 記憶というのは正確じゃダメで、あいまいであることが絶対必要。
・・・もし記憶が完璧だったら、次に僕と会ったときに、着てる服が違ったり、髪に寝癖がついていたりしたら別人になっちゃうんじゃない。
・・・だから脳はそういう特徴を抽出してるんだ。完全に覚えるのでもなく、また完全に忘れちゃうんでもなく、不変の共通項を記憶しているんだ。
いわゆる「抽象化」「汎化」という処理です。
この抽象化・汎化の程度は、絶妙です。
確かに、寸分違わず記憶しそれが個体識別の根拠だとすると、時間や場所を隔てたものはほとんど「別物」と判断されてしまいます。同一物(同一人物)が別物(別人)と判断されない程度の適度な「汎化」という処理を「意識せずに」しているのですから驚きです。
(p192より引用) 記憶があいまいであることは応用という観点から重要なポイント。人間の脳では記憶はほかの動物に例を見ないほどあいまいでいい加減なんだけど、それこそが人間の臨機応変な適応力の源にもなっているわけだ。
こういった「抽象化」「汎化」が、概念や行動にひろがりとゆとりを与え、その結果、「適応力」「応用力」といった「変化に対応する柔軟な力」を産み出しているのです。
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