(明治大正史(世相篇)(柳田 國男))
民俗学者は、庶民の正直な姿を記します。
(上p136より引用) いわゆる、鉄の文化の宏大なる業績を、ただ無差別に殺風景と評し去ることは、多数民衆の感覚を無視した話である。
「鉄の文化」を賛美するというのは、ちょっと意外な感じもしますが、柳田氏の眼は、鉄道にも感歎の声をあげる多くの人びとを捉えています。このあたりが当時の事実としての正直な庶民感情であったのでしょう。
同じような視点で、「都市景観」についてもこう記しています。
(上p136より引用) 都市は永遠にここに住み付こうという意気込みの者が、多くなっていくとともに活き活きとしてきた。一つ一つとしては失敗であった建築でも、それが集まった所はまた別に一種の情景をなしている。あるいは片隅に倦み疲れたような古家が残り、もしくは歯の抜けたような空き地に入り交じり、それから見苦しいものをしいて押し隠して、表ばかりを白々と塗り立てた偽善ぶりを、憎もうとする者もあるだろうが、同情ある者の眼にはこれも成長力の現れであり、かつこのうえにもなお上品なる趣向を、働かせうべき余裕である。
これも実生活の正直な心持ちを感じさせる一節です。
柳田氏は、こういった現実社会の「実感としての生活」をいろいろな視点から描き出していきます。
その筆力も素晴らしいものがあります。
たとえば、以下のような一節はいかがでしょう。
(上p168より引用) 彼らが愛読していた雑誌国民之友は、夏休みで故郷に帰りゆく若い人に向かって、秋風に乗じて再び上京せよ、田舎を東京化するがために帰るなかれ、東京を田舎化するために帰れよ、と言ったことがある。しかもこういう気風も結局は無益であったのは、故郷は時として広い世間よりも早く変わっていたからである。町に寂しい日を暮らす人たちに、何の断りもなく田舎は進んだ。それが東京化ではなかったまでも、少なくとも心の故郷は荒れたのである。それを知らずに帰去来の辞は口ずさまれていたのである。
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