ちょっと旬を過ぎた本ですが、出張の往復で読みきれる程度のものということで選んでみました。
香山リカ氏の著作としては、以前「なぜ日本人は劣化したか」を読んだことがあります。そのときにも感じたのですが、香山氏の立論は、今ひとつ踏み込みに物足りなさが残ります。本書もまさにそうでした。
その中で、ちょっと書きとめておこうと思ったくだりをいくつかご紹介します。
2000年からそれ以降10年間ぐらいの若者の姿勢についてのコメントです。
(p78より引用) 2000年頃までは「その瞬間にやりたいことをやる」という若者の姿勢は、むしろ評価、肯定されていたはずなのに、その後の数年のあいだに、一転して当の若者の中でさえ、それを批判したり非難したりする動きが見られるようになったのである。「やりたいからやっている」「先のことなんてわからない。いまがあるだけ」といった発言やそれに基づく行動も、賞賛ではなくて侮蔑の対象となった。
私と香山氏はほぼ同年代ですが、私の感覚では、2000年ごろにおいても、香山氏が指摘するような刹那的思考や行動が評価・賞賛されていたという風潮は感じられませんでした。
まあ、私の記憶はともかくとして、「過去において賞賛し、現在においては侮蔑している人々」の側について、香山氏はこう続けます。
(p80より引用) 彼ら自身が刹那主義を脱してより長い目で自分や社会を見られるようになったのかというと、それは違う。逆に、彼らは寛容さを失い、さらに狭い視野でしかものごとをとらえられなくなっているからこそ、自分とは少しでも違う行動をする人たちの心を想像し、理解することができなくなっているのではないか。
香山氏は、この「視野を狭めた」要因として、一瞬の勝ち負けのみを問題にする新自由主義的風潮を採り上げているのです。
本書が話題になったのは、勝間和代さんの主張に代表される「がんばれば成果が出る」という自己啓発成功本のアンチテーゼとしてでした。
(p201より引用) 人生には最高もなければ、どうしようもない最悪もなく、ただ、“そこそこで、いろいろな人生”があるだけなのではないか。だとしたら、目指すモデルや生き方がどれくらい多様か、というのが、その社会が生きやすいかどうか、健全であるかどうかの目安になると言えるはずである。
当時は、こういう結論でも共感する人が数多くいたのでしょう。
しかし、今、未曾有の大災害「関東大震災」とそれに続く「福島原子力発電所事故」に苦しむ被災者の皆さんの姿を目の当たりにするとき、新自由主義的人間観は言うに及ばず、香山氏流の「そこそこの幸せ」という考え方ですら、場違いで現実感のないものに感じられてしまいます。
人知を越える苦難であるからこそ、人知を尽くして再び立ち上がらなくてはと強く思います。
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