ちょっと前に横溝正史さんのエッセイを読んでいて、その中に松本清張さんの名前が登場していたので、久しぶりに本棚から取り出してきました。読むのは3~4回目かもしれません。
本作品は昭和32年から33年にかけて雑誌に連載されたもので、いわゆる“社会派推理小説”の先駆け的作品と言われています。横溝さんはそれより前、“怪奇的探偵小説”を世に出していたのですが、この清張さんが登場したころから日本の推理小説の潮目が変わったと感じたようです。
さて、この清張さんの代表作「点と線」ですが、改めて読み通してみると、一流のストーリーテラーとしての清張さんを印象付けた作品だと思いました。
プロットに役所の汚職事件を置いているとはいえ“社会派”というほどその内幕を抉った内容ではありません。また推理小説の謎解きとしても、移動手段の組み合わせや共犯者を使ったシンプルな“アリバイ崩し”です。とはいえ、映画やテレビドラマのように映像や役者の演技の力を使わずして「読み物」として読者を惹きつける筆力は流石です。
(p155より引用) 四分間の偶然の目撃は、もはや、偶然でなく、必然であった。安田の作った必然である。札幌駅の河西も東京駅の女中も、安田に作られた目撃者である。安田自身がこの情死事件には不在であるという証明のためにである。
札幌、東京の二つの駅でおこなわれた安田の作為の行末は、交差の点を九州博多の近郊香椎に結んでいる。すべて彼がそこにいなかった、という結像である。
ここまで考えてきて、三原は、安田辰郎がかならずそこにいたという自信を強めた。作為が加わっている以上、その結像は虚像である。実像は反対に転倒している。
やはり、時々、こういった原点に戻るのもいいですね。