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昭和からの遺言 (倉本 聰)

2016-06-04 23:04:48 | 本と雑誌

 気になる著者の気になるタイトルの本なので手に取ってみました。

 著者の倉本聰氏は、ご存知のとおり代表作「北の国から」で有名な脚本家ですが、最近は富良野を拠点に環境保全活動にも取り組んでいらっしゃるそうです。本書は、その倉本氏が80歳を迎えたのを機に「昭和」を語ったエッセイです。

 倉本氏にとっての「昭和」は、戦中・戦後の時代でした。その記憶は「戦争体験」と切っても切れないものでした。
 戦後、池袋の廃墟で、倉本少年は愚連隊とやくざの喧嘩を見ました。愚連隊の一人がやくざに刺されて目の前で絶命しました。


(p48より引用) ブーゲンビルから生き延びて帰った
伯父貴にある日その話をしたら
伯父貴はしばらく黙っていたが
そのうちボソリと小さく呟いた
何が原因で殺し合いをしたのか
その原因が判っててやったなら
そういう連中はむしろ羨ましい
わしらの戦場に理由なんかなかった
敵さんに個人的憎しみもなかった
あったのは常に悲しみと絶望
軍規と敵兵への絶え間ない恐怖
殺らなければ殺される
只それだけで
わしらは憎くもない敵と斗った


 徴用された兵士たちはそうだったのです。そうやってボロボロになって戦い抜いた末の終戦。戦後、一面の焦土と化した瓦礫の世界からの復興。


(p123より引用) もう一度本気で考えてくれ給え
重機も金も体力もなかった あの敗戦の日
先人たちはどうやってエネルギーを奮い
一ヶの瓦礫に挑戦したのか
その一歩が重なって今があり
その上で我々は今生きている


 敗戦直後の絶望の中で、先人たちは、なぜ最初の瓦礫を運ぶことに挑戦できたのか、そして気の遠くなるような苦行をやり遂げたのか、倉本氏はこう続けます。


(p124より引用) 多分彼らは己れの空腹より
家族の空腹を考えていたのだ
己れのことより愛するものの
命と暮らしを必死に思ったのだ
だから何とか 力が出たのだ


 この先人たちの愛の上に、今の自分たちがあることを改めて考えるべきだというのが、倉本氏の心からのメッセージでした。
 それに比して、今「平成」。


(p121より引用) スマホが出来て人が遠くなった
ツイッターが出来て悪意が増えた

 「あとがきに代えて―深さの記憶」の章の一節です。


(p187より引用) 昭和。
あの頃のスピードが俺はなつかしい
あの頃全てがもっととろく
とろいなりにゆったり深かった
大したことは考えちゃいないが
やっていることが何となく深かった


 「昭和」という時代は、同じ感覚・似たような体験で人と人とが繋がっていたのです。今よりずっと深いところにひとりひとりの生活の礎が築かれていたのです。


昭和からの遺言
倉本 聰
双葉社
コメント
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