久しぶりの養老孟司氏の著作です。
大ベストセラーだった「バカの壁」から、もう11年も経つんですね。本書でも、歯切れのいい“養老節”は健在です。
ここでは、その中からちょっと気になった指摘を、覚えとして書き留めておきます。
まずは「日本のシステムは生きている」という章から、日本における「思想」の位置づけについて語っているくだりです。
(p91より引用) 日本にとって必要な思想は、全部、無意識のほうに入っているのです。・・・
思想というのは一種の理想であり、現実に関与してはいけない。これが、日本における思想の位置です。現実を動かしているのは無意識のほうにある世間のルールです。
西洋社会においては、「民主主義」とか「進化論」といったプリミティブな思想が、人々の意識や考え方に通底している、それに対して、日本人にとっての「思想」は、現実生活においては“お題目”のようなものに過ぎないというのが養老氏の捉え方です。
(p92より引用) 日本では、変に思想が突出するとかえって危ないことになります。それが太平洋戦争につながったわけです。日本で思想が先に立って成功した稀有な例は、明治維新くらいでしょう。
日本人は「思想」の扱いに慣れていないのでしょう。いつもは重きを置かれていなくて意識もしていないものが、あるきっかけで最前面に押し出され自らに迫ってきたとき、その扱いに戸惑い、勢いある圧迫に完全迎合してしまうのです。
同じような日本人の特質を採り上げているのが「絆には良し悪しがある」という章です。
先の東日本大震災を契機に“絆”という言葉が人口に膾炙されました。この言葉で改めて認識された「日本的な共同体」ですが、昨今はその人間関係に煩わしさを感じる人が増えていたのが実態ですし、その流れは、震災があったとしても、大きな動きとしては逆流にまでは至っていません。
この点に関し、養老氏は「信用や不信のコスト」という点から興味深い評価をしています。
(p114より引用) 人を信用するとコストが低く済むのです。・・・相手を信用していないと、何でもいちいちたしかめなくてはいけなくなります。これは手間暇、すなわちコストがかかることです。・・・
日本人同士がお互いに信頼していた時代には、不信から生じるコストが低かった。そのことは案外、見過ごされやすいのだけれども、日本の成功の要因だったのではないかな、という気もします。
この指摘は首肯できます。が、これはメリット・デメリットある中での一側面ということでしょう。
白黒をはっきりつけないで物事を進めていくというやり方は、約束(契約)ごとに限らず、日本の“ものづくりの力”の源泉とも言われていた「すり合わせ文化」にも現れています。この評価についても近年はいろいろな議論があるところです。
そしてもうひとつ、「あふれる情報に左右されないために」の章で論じられているのが、「メタメッセージ」の弊害です。
インターネットの普及により情報過多となった今、養老氏が打ち鳴らす警鐘でもあります。
(p183より引用) メタメッセージとは、そのメッセージ自体が直接示してはいないけれども、結果的に受け手に伝わってしまうメッセージのことを指します。
たとえば、マスメディアで喧伝されるイシューは、繰り返し繰り返し見聞きされることにより、受け手は「それ以外に重要なことはない」と思い込んでしまうのです。
(p184より引用) 問題は、メタメッセージというものは、受け取る側が自分の頭でつくってしまうという点です。自分の頭の中でつくったものですから、「これは俺の意見だ」と思ってしまう。無意識のうちにすりかわってしまうのです。これが、とても危ない。
今はネット社会です。以前の比ではないような無数のメタメッセージが生れているのでしょう。だとすると、その弊害は計り知れません。
(p190より引用) 情報過多になり、知らず知らずのうちにメタメッセージを受け取り続けていると、本当に何が大事なのか、そのバランスが崩れてしまうように思えます。
もちろん情報が豊富になると物事をより深く知ることができるようになります。ただ、これも必ずしも諸手を挙げて歓迎すべきことではありません。養老氏はこう続けます。
(p200より引用) ものが詳細に見えるということは、それ以外の世界がぼけることにつながる。・・・特定のことがきちんとわかったということは、それ以外の部分はわかっていないこともまたわかった、ということでもあるのです。
この指摘はとても面白いですね。多くの人々は、あることが分かるとその周りのことも解明されたのだと誤解をしてしまうというのが養老氏の指摘です。
(p201より引用) 細部を調べれば調べるほど、全体は大きくなってしまうので、全体像からかえって離れてしまう
だからこそ、まず細部を議論する前に、まずはざっくとした「全体像」をイメージすることが重要になるのです。
この全体像は、時間軸・空間軸の広がりを意識したものでなくてはならないでしょう。こういった全体像が頭に入っていれば、様々な個々個別の断片情報がインプットされたとしてもこの全体像の中での位置づけ・意味づけを考えることによって、大きな方向性において判断を誤るリスクは激減します。そして、こういった全体像を多くの人々が共有することができれば・・・。
「ビッグピクチャを描けない」、これが、養老氏が指摘する日本人の大きな弱点なのです。
「自分」の壁 (新潮新書) | |
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