著者の鎌田慧氏は、社会的弱者の視点に立ったルポルタージュを数多く執筆しているジャーナリストです。
本書は、その鎌田氏の若き日の実体験の紹介であると同時に、現代の若者に対する熱きメッセージのプレゼンテーションでもあります。
1960年代、日本の高度成長期の製造業の現場は、過酷な労働環境下にありました。鎌田氏は、自ら工員としてそれら工場の労働現場に入り込み、その実態をレポートしました。
たとえば、北九州工業地帯の中核事業所である八幡製鉄所では、タコ部屋とも言われる「労働下宿」に入り、自ら最も危険な作業に従事しました。
(p119より引用) 「製鉄所で、ケガ、いうのはないよ。ほとんど死ぬからね」
というのが大高さんの口ぐせだった。
不景気になると「ドヤ街」の安宿に人々が流れ込んでいきます。一度「市民社会」からこぼれ落ちた人びとが、もとの生活に戻ることは極めて困難です。
(p127より引用) 世の中に貧しさが多ければ多いほど、不自由に生きなければならないひとがふえる。どんなあぶない仕事をおしつけられても、生活するためにはそれを受け入れざるをえないからである。
一週間で鎌田氏は労働下宿から逃げ出しました。連日の苛烈な肉体労働。さすがに、想像を超えた劣悪な作業環境を目の当たりにし、健康上持たないと感じたのでした。
そして、次に取り組んだのは、自動車工場でのコンベア労働の実態報告でした。行先は、当時生産性向上運動を強力に推し進めていたトヨタの本社工場です。そこでの仕事は、一日中、部品の組み立て。全く同じ作業を毎日毎日ただ繰り返すのです。
(p144より引用) 「ストップウォッチとコンピュータが相手だから、人間が疲れるのはあたりまえだよ」
ぼくたちの動作は、技術者がストップウォッチで計って、ギリギリのスピードに計算されたものだったのだ。その日、どんな車種のものをなん台、どんな順序でつくるかは、コンピュータによって指示される。機械の指示に息もたえだえとなった人間がはたらかされる。コンベアの中には、なんの自由もない。
機械のように正確で単調な仕事を、人間が機械の指示によりやらされる。「トヨタ生産方式」の現場です。
現在では、鉱工業におけるかなりの作業は無人化・ロボット化が進んでいるのでしょうが、当時は、こんなふうに言われていました。
(p220より引用) コンピュータやロボットは科学の発達をあらわしている。近代化、合理化といわれ、日本が明るい社会にむかって進んでいるようにいわれたりしている。しかし、人間の命を救うためには、その科学技術の発達はさほど役立てられてはいない。・・・
「月に石をとりにいく技術はあっても、人間を救うために技術は使われていない」
と三井三池の犠牲者の家族はいった。
よりよい労働環境実現のために活用できる科学技術の成果は、それこそ山のようにあるはずです。それを使うかどうかという「意思」の問題であり、「人間の尊厳」に対する価値観の問題です。
(p230より引用) こころの底からのギリギリのことばに対して、高学歴や権力のことばは役にたたない。
人間らしく生きることを求めてこころの底から絞り出す声、著者が、実際の作業現場で働く人々から教えられたとても大切な気づきです。
ぼくが世の中に学んだこと (岩波現代文庫) 価格:¥ 1,050(税込) 発売日:2008-05-16 |