現職官僚(その後退職)が著した一種の告発本としてちょっと話題になった著作です。
官僚は、その身分保障によりそれぞれの専門分野における長期的視野に立った政策立案が期待されています。ただ、安定した処遇故の組織防衛意識の蔓延、柔軟性・機動性の欠如等の機能不全を理由に、近年の「政治主導」とのかけ声とともにその役割は相対的に弱体化しつつあります。
著者は、その中央官僚の実態を、自らの実経験を踏まえつつ顕かにしていきます。
官僚主導の政策としてよく引き合いに出されるのが「増税」です。この国民に大きな負担を強いる重要政策の議論においては、政府のビジョンやシナリオの欠如は致命的です。
(p39より引用) 成長によって企業や個人の収益や所得が向上し、結果として税収を増やす―それが本来のやり方である。もしくは足りないぶんを補うための方法であるべきだ。
ところが、日本政府が進めようとしているのは、そういう成長の可能性をいっさい示すことなく、「とりあえず」増税するということにほかならない。増税で財政を再建しようとしているのである。
仮に増税により財政赤字が若干なりとも減少したとしても、それに続く成長戦略がなければ、再び債務が増加するのは当然の成り行きです。消費税増税で国民の消費意欲を減速させておきながら、法人税を抑えれば企業活動は活性化し業績は向上、日本経済は成長を取り戻す・・・、そんな単純なシナリオを信じる人はどこにもいないでしょう。
さて、ご存じのとおり民主党政権は「政治主導」を最大のスローガンとして掲げました。
(p95より引用) 民主党は、「政治家がすべてやること」が政治主導だと考えた。官僚たちの上に立つのではなく、同じレベルに立って、あたかもライバルであるかのように競い合い、打ち負かし、「官僚を排除すること」が政治主導だとはき違えた。
官僚を「従」の立場において、うまく活用するという発想がなかったのです。その結果、民主党の(というか個々の閣僚の)政治判断は迷走します。
この点についての著者の評価は辛辣です。
(p98より引用) 民主党は所詮、その程度の能力しかない議員の集まりにすぎなかったと僭越ながら結論づけせざるをえないのだ。「人のやることにケチをつけるのは得意だけれど、いざ自分が当事者となったら、知識も判断力もまったく足りない人たちの集まり」なのだと・・・。
ちなみに、こういった現実を早くに見切ったのが仙石由人官房長官(当時)だったといいます。
さて、本書は官僚の世界の内部告発的内容ではありますが、著者は、この民主党に対するコメントにあるように、、同時に「政治家」も舌鋒鋭く糾弾しています。
(p215より引用) 消費税に踏み切るのが責任ある政治家だとの誤解があるが、そうではない。・・・既得権グループと闘える政治家こそ真の政治家なのだ。消費者と闘って増税することが政治家の本分などということは本来あってはならない。
とはいえ、官僚を糾す力を持っているのは、やはり政治家なのです。そして、その政治家たちを動かすのは「国民の強い意志」なのだ、と著者は結んでいます。
官僚の責任 (PHP新書) 価格:¥ 756(税込) 発売日:2011-07-16 |
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