科学者といえども思い込みに支配されることがあります。誤った直観が新奇の発想の邪魔をするのです。
(上p8より引用) 誤った手がかりが話の筋をもつれさせて解決を延ばしてしまうことは探偵小説の読者のよく知るところです。直観の命ずる推理法が誤っていて運動の間違った観念に導き、この観念が何世紀の間も行われたのです。
ガリレイの時代に至るまでの誤った観念は、アリストテレスの「力学」にある「運動体はこれを押す力がその働きを失った時に静止する」というものでした。
(上p8より引用) ガリレイの発見は直接の観察に基づく直観的結論は誤った手がかりに導くことがあるから、必ずしも信用が置けるものではないことを私たちに教えたのです。
新たな思想は古い観念から脱却するものですが、同時に、古い観念を説明しきるものでなくてはなりません。
(上p86より引用) 科学の上で大きな進歩の見られるのは、殆んどいつも理論に対していろいろな困難が起り、危機に出遇った際にこれを脱却しようとする努力を通じてなされるのであります。私たちは、古い観念や、古い理論を検討してゆかなくてはなりません。過去にはそれでよかったものの、同時にその検討によって新しいものの必要を理解し、かつ前のものの成立する限度を明らかに知ることが大切です。
アインシュタインの相対性理論の場合も同じ過程を辿りました。
すなわち「誤った直観」から脱却し新たな理論を立て、その新たな理論により、過去の思考の適応範囲と限界を明らかにしたのでした。
(下p45より引用) 古典力学では、時計が動いていてもそのリズムを変えないということを、暗黙のうちに仮定していました。そしてこのことは甚だ明瞭であって、わざわざそれを言いあらわす必要もないと思われていました。しかしどんな事柄でも明瞭過ぎるということは本来ないはずであります。もし私たちが十分に注意深く考えてゆこうというのであるなら、従来は当然のことと見なされていた仮定でも、物理学においてはこれを立ち入って分析してゆかなくてはなりません。
一つの仮定を、それが単に古典物理学の仮定とは異なっているという理由だけで不合理と見なしてしまってはいけません。・・・
動いている時計がリズムを変えるばかりでなく、動いている物差の棒もまたその長さを変えると考えてもよいのでしょう。その変化の法則がすべての慣性系に対して同じでありさえすれば、差支えはないわけです。
(下p48より引用) ここに相対性理論と古典力学とで根本的に相違しているところの最初の事柄が見られるのです。・・・すなわち、もし光の速度がすべての座標系で同じであるならば、動いている棒はその長さを変え、動いている時計はそのリズムを変えなければならないのであって、かつこれらの変化を支配する法則は厳密に決定されます。
古典力学は、一つの慣性系で小さい速度の場合という特殊条件で成立する考えです。一般相対性理論は、光速まで想定した異なる慣性系(座標系)においても成立するより汎用的な理論です。
私たちは、シンプルな考えの方が汎用的だと考えがちです。
しかしながら、物理学の世界では、古典力学の方が一般相対性理論よりシンプルです。それは、古典力学が想定している世界が、一般相対性理論の汎用性を支えるパラメータのいくつかが特殊なケースであるからなのです。
物理学はいかに創られたか―初期の観念から相対性理論及び量子論への思想の発展 (下巻) (岩波新書 赤版 (51)) 価格:¥ 777(税込) 発売日:1963-10 |