小林氏の思索は観念的なものではありません。
現実・事実に立脚しそれを蔑ろにはしません。
(p186より引用) 善とは何かと考えるより、善を得ることが大事なのである。善を求める心は、各人にあり、自ら省みて、この心の傾向をかすかにでも感じたなら、それは心のうちに厳存することを素直に容認すべきであり、この傾向を積極的に育てるべきである。
これは、56歳の作「論語」から「善を得る」についての言葉です。
頭による「理解」より「実感」や「実行/実践」を重んじているように思います。
また、58歳の作「無私の精神」の中で、小林氏は「実行家」についてこう語ります。
(p194より引用) 実行家として成功する人は、自己を押し通す人、強く自己を主張する人と見られ勝ちだが、実は、反対に、彼には一種の無私がある。・・・有能な実行家は、いつも自己主張より物の動きの方を尊重しているものだ。現実の新しい動きが看破されれば、直ちに古い解釈や知識を捨てる用意のある人だ。物の動きに順じて自己を日に新たにするとは一種の無私である。
ところで、「実行」の小林氏の考え方は、氏が31歳の時の作「作家志望者への助言」においても垣間見ることができます。
(p37より引用) 心掛け次第で明日からでも実行が出来、実行した以上必ず実益がある、そういう言葉を、本当の助言というのである。・・・
実行をはなれて助言はない。そこで実行となれば、人間にとって元来洒落た実行もひねくれた実行もない、ことごとく実行とは平凡なものだ。平凡こそ実行の持つ最大の性格なのだ。だからこそ名助言はすべて平凡に見えるのだ。
実行できない助言は助言とはなり得ません。実行できなければ結果の実体がないからです。結果を生まない言は、空ろ言に過ぎません。
小林氏が評価するのは、前へ前へと掘り進めていく思索です。
それは、過去に提示された課題の解決ではなく、新たな問題の提示です。
63歳の作、著名な数学者岡潔氏との対談をまとめた「人間の建設〈対談〉」においての小林氏の言です。
(p215より引用) ベルグソンは若いころにこういうことを言ってます。問題を出すということが一番大事なことだ。うまく出す。問題をうまく出せば即ちそれが答えだと。この考え方はたいへんおもしろいと思いましたね。いま文化の問題でも、何の問題でもいいが、物を考えている人がうまく問題を出そうとしませんね。答えばかり出そうとあせっている。
これと同じ趣旨のことを、78歳の作「本居宣長補記Ⅰ」においても語っています。
こちらでのワーディングは「問いの発明」です。
(p236より引用) 答えを予想しない問いはなかろう。あれば出鱈目な問いである。・・・取戻さなければならないのは、問いの発明であって、正しい答えなどではない。今日の学問に必要なのは師友ではない、師友を頼まず、独り「自反」し、新たな問いを心中に蓄える人である。
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