青森市子育てサポートセンター

「子育てをしている保護者のみなさんのお役にたちたい!」という熱い思いで、活動に取り組んでいます。

鳴海先生の子育てQ&A(サポセン通信10号より)

2017-05-30 14:55:13 | 子育て相談(Q&A)

児童心理治療施設「青森おおぞら学園」施設長 鳴海明敏さんが答えて下さいます。

 「チャイルドラインあおもり」で子どもの声を電話で受ける活動もされている鳴海さんのお話は、とてもわかりやすく、私たちの疑問や質問にいつもやさしく寄り添ってくださいます。

Q 小学校3年生の息子は人見知りで、一緒に遊びたくても声をかけられず、思っていることもなかなか表現できません。息子の態度や表情で、悩みがありそうなのですが、私も上手に聞き出せません。どのように聞けばよいでしょうか。

 

A息子さんのことを、とってもよく理解されているお母さんだなあと思いました。その息子さんが、何か悩みを抱えている様子、なんとか手助けしてあげたい、でも、どんな悩みなのか分からないので、何をどうしてあげたらいいか分からない。それで、どのように聞きだせばいいのか、いい方法を知りたいということですが、このご相談を受けて、私が最初に思ったことは、「方法は、教えようと思えば教えられるけど、親は、子どもの成長のチャンスを奪ってはいけない!」ということでした。

困っている人を見たら助けたくなるのは人情ですし、ましてそれが我が子となれば、親の心は穏やかでは居られないと思います。でも、ちょっと待ってください、“いらないお節介、余計なお世話”という言葉もあります。私は、困難や課題の前に立ち尽くすことは、子どもが人として成長するために、とても大きな意味があると思っています。子どもが成長するチャンスだと思っています。

立ち尽くした後で、前に進んで困難や課題にむしゃぶりついていくことを選択するのか、それとも、振り向いて誰かに助けを求めるのか、私はどっちを選んでもいいと思っています。「どちらかに、決断するまでの時間」にこそ意味があると思っています。外側からからは見えませんが、子どもは、この立ち尽くしている間に、目の前に立ちふさがる困難や課題の大きさについていろいろ思いを巡らせながら、自分の力を見極め、自分にはこの課題をクリヤするだけの力があるのかということを、自分一人で見極めようとしているのですつまり、「自分のことを自分で決め、その結果を自分で引き受ける力」を育んでいるのです。まさに、人間として成長している瞬間なのだと思います。

私が子どもの頃、家の近くに水門があって、川から水を取り入れていました。その水門部分の幅(1m~2mくらい)を飛び越せるだろうか、ということが小学校高学年のある時期、私が直面していた課題の一つでした。勇気を出して飛べば、飛び越せそうな気もしますが、失敗して水に落ちてしまいそうな気もします。全力で走れば飛び越せそうな気もします。飛び上がる角度も関係がありそうです。あまり高く飛び出し過ぎれば、距離が伸びずに落ちてしまいそうです。着地したとき足首をくじいたり、膝をすりむいたりはしないだろうか怖かったし、自分には勇気がないのではないか、クラスメイトから臆病者といわれるのではないと心配もしました。

結局、私は飛び越えることにチャレンジしなかったのですが、今でも、この課題を一人で抱え続けた自分を懐かしく思い出します。

子育て四訓では、「少年は、手を離せ、目を離すな」と言っています。「手を離す」とはどういうことでしょうか。「目を離さない」とはどういうことでしょうか。

それぞれの生活の中で、十分時間をかけて見つけて欲しいと思っています。

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鳴海先生の子育てQ&A(サポセン通信8号より)

2017-05-30 14:39:30 | 子育て相談(Q&A)

 児童心理治療施設「青森おおぞら学園」施設長 鳴海明敏さんが答えて下さいます。

「チャイルドラインあおもり」で子どもの声を電話で受ける活動もされている鳴海さんのお話は、とてもわかりやすく、私たちの疑問や質問にいつもやさしく寄り添ってくださいます

Q 小学校高学年男子の母です。子どもが何事にも無気力な感じに戸惑っています。学校の先生に相談したところ、学校では気になる様子はないとのことですが、何か違和感をおぼえ心配です。

 以前紹介した「子育て四訓」では、「少年は手を離せ、目を離すな」「青年は目を離せ、こころを離すな」となっています。小学校高学年は、少年から青年の移行期ですから、親としては「子どもとしっかり繋いできた手を離すけど、目は離さない」という姿勢が出来ていて欲しい時期ですが、さて、皆さんは如何でしょうか?

 質問の文章からだけでは、「無気力」ということがどんなことなのか、うまく理解できませんでした。友人関係の悩みでしょうか、もしかしたらいじめられているのかも知れませんね。いじめで自殺した少年のニュースなどが気になることでしょう。また、何らかの障がいが表面化してきたのでしょうか。精神的な病気の徴候でしょうか。心配し始めると本当にたまらない気持ちになるでしょうね。

 私はこの質問を読んで、以前ある新聞に掲載された「投書」を思い出しました。地方から都会への引っ越しに伴う転校で、転校先の学級に上手く溶け込めず、だんだん暗い表情で帰宅するようになった小学五年生の娘さんとお母さんのやり取りについて書かれていました。

 そのお母さんは「娘の一大事とばかり、悩みを追求し、対策を立てアドバイスをした」そうです。するとそのうち、娘さんの口数が少なくなり、学校のことを報告しなくなってしまったのだそうです。不審に思ったお母さんが、学校では嫌なことがもうなくなったのかと聞いてみたら、娘さんから、嫌なことがなくなった訳ではないが「お母さんに打ち明けると、うるさいから。あんまり言いたくなくなった。」という答えが返ってきたそうです。

 一生懸命に知恵を絞ってアドバイスしていたお母さんは、そこで途方に暮れてしまいます。皆さんならどうされるでしょうか?父親に登場してもらう、担任の先生に相談する、専門家に相談するなどいろいろな対応策はあると思います。

 しかし、このお母さんがとった行動はそれのどれでもなく、自分がどう対応すればいいのか、どうして欲しいのか、教えてくれるように娘さんに頼んだそうです。すると娘さんから、「お母さんは、話を聞いたら、ただ黙って私を抱きしめて欲しい。」という答えが返ってきました。お母さんは、「それから何回、娘を抱きしめたことでしょう。何も言わず、一抹の寂しさは胸におさめて、ぎゅっと赤ちゃんのように」抱きしめることを続けたそうです。娘さんは半年ほどで元気に学校へ通い始めるようになって、無事に卒業したということでした。

 私は、このようなお母さんの行動が、「手を離すけど、目は離さない」という姿勢の具体例だと思います。さらにここには、青年期の親に期待される「目を離すけど、こころは離さない」という姿勢につながっていく、大事なものが含まれているように思います。

「女の子だからこんな展開になったので、男の子だったらちょっと抵抗があるかもしれませんね。でも、男の子だって、お母さんにぎゅって抱っこしてもらったら嬉しいんですよ。」

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