放送作家村上信夫の不思議事件ファイル

Welcome! 放送作家で立教大大学院生の村上信夫のNOTEです。

井上ひさしさんの思い出

2010年04月11日 07時07分02秒 | 人間って
青葉繁れる (文春文庫)
井上 ひさし
文藝春秋

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私家版 日本語文法 (新潮文庫)
井上 ひさし
新潮社

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モッキンポット師の後始末 (講談社文庫)
井上 ひさし
講談社

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 作家の井上ひさしさんが亡くなった。
 記事に触れられていないプロフィールについて、まず書く。
 (*以下、ウィキの記事と2冊の小説を参考にした)
 井上さんの高校は、東北一の名門校「仙台第一高等学校」在校中の思い出は半自伝的小説『青葉繁れる』に書かれている。
 1学年上級生に、俳優の菅原文太さんがいる。
 上智大学外国語学部フランス語学科在学中に、浅草のストリップ劇場フランス座を中心に台本を書き始める。当時、フランス座には、渥美清さん、谷幹一さん、関敬六さん、長門勇さんら、後に日本を代表する喜劇役者がいて、ストリップの幕の間にコメディーを見せていた。彼らとの出会いは、"井上ひさし"に大きな影響を与え、その様子は、フィクションも交え小説『モッキンポット師の後始末』に書かれている。
 
 色紙を求められると、「むずかしいことをやさしく/やさしいことをふかく/ふかいことをゆかいに/ゆかいなことをまじめに書くこと」が多かったと、ウィキに記述があったが、このことは、今回、初めて知った。

 駆け出しのころ、一度だけ、一緒に食事をしたことがある。
 もちろん何人かの一人。
 どうして一緒だったのか・・・。たぶん、当時、シナリオをみてもらっていた野村芳太郎監督に出版社の編集者の誰かを紹介され、そのまま連れて行かれたのかも知れない。
 その時、「食いたいわけではないが、自分の分が用意されていない時って、寂しくありませんか?」と、突然、井上さんが言い出した。
「ありますねぇ。外出から帰った時、皆のデスクの上に誰かの土産があるのに、自分のデスクにだけなかった時」
「自分以外に義理チョコが配られる時」
 わかるわかるなんて、話があり、その後、井上さんは、自分のことを話し始めた。
 当時、市川の一軒家に住んでいたそうで、2階が井上さんの書斎。
 ある時、原稿が一区切りし下の階に下りると、奥さんと娘たちがラーメンを食べていた。 別に、腹が空いていたわけではない。また、仕事中に「ラーメン、食べる?」と声をかけられても、緊張が途切れるので不機嫌になることを家族も自分もわかっているから、声をかけなくても不思議ではない。だが、
「理屈じゃないんですよね。なんだか、親父の僕だけ排除されたような・・・」
 ぼそぼそ、やや訛りのある話し方で、こんな風に言ったような気がする。井上さんが自分のことを僕と呼んだかどうか、だいぶあやしくなっているが ・・・。
「その通り!」などと声があがり、しばらく、いかに家庭内に親父の居場所がないか、自虐的自慢の話題になった。
 それから半年ほどして、井上ひさしさんは、奥さんの西舘好子さんと離婚した。
 離婚については、当時、相当報道された。
 改めて、2人の離婚を調べたら、1986年だった。

「ひょっこりひょうたん島」の井上ひさしさん死去
  (4月11日2時17分配信 産経新聞)

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20100411-00000513-san-soci

 小説「吉里吉里人」やNHKの連続人形劇「ひょっこりひょうたん島」の台本のほか、戯曲やエッセーなど多彩な分野で活躍した作家の井上ひさし(いのうえ・ひさし、本名・●=ひさし)さんが9日夜、死去した。75歳だった。葬儀・告別式は近親者で行い、後日お別れの会を開く予定。
 家族によると、昨年10月末に肺がんと診断され、11月から抗がん剤治療を受けていたという。
 井上さんは昭和9年、山形県生まれ。上智大在学中から浅草のストリップ劇場「フランス座」文芸部に所属し、台本を書き始めた。39年からは、5年間続いた「ひょっこりひょうたん島」の台本を童話、放送作家の山元護久とともに執筆、一躍人気を集めた。
 44年、戯曲「日本人のへそ」を発表して演劇界デビュー。47年に「道元の冒険」で岸田戯曲賞を受賞して、劇作家としての地位を確立した。奇想と批判精神に満ちた喜劇や評伝劇などで劇場をわかせ、59年には自身の戯曲のみを上演する劇団「こまつ座」の旗揚げ公演を行った。
 小説家としても、47年に江戸戯作者群像を軽妙なタッチで描いた小説「手鎖心中」で直木賞を受賞。絶妙な言葉遊び、ユーモアたっぷりの作風で多くの読者に支持され、エッセーの名手としても知られた。自他ともに認める遅筆で、台本が間に合わず公演が延期となることなどから、「遅筆堂」と自称していた。
 一方、戦争責任問題を創作のテーマに掲げ、東京裁判や原爆を主題にした作品も数多く発表。平成15年から19年にかけて日本ペンクラブ会長を務め、16年には護憲を訴える「九条の会」を作家の大江健三郎さんらとともに設立した。
 戯曲「しみじみ日本・乃木大将」「小林一茶」で紀伊國屋演劇賞と読売文学賞(戯曲部門)、「吉里吉里人」で日本SF大賞、読売文学賞(小説部門)。小説「腹鼓記」「不忠臣蔵」で吉川英治文学賞、「東京セブンローズ」で菊池寛賞など受賞多数。16年に文化功労者、21年に日本芸術院会員に選ばれた。

企業不祥事が止まらない理由
村上 信夫,吉崎 誠二
芙蓉書房出版

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一番、一番!真剣勝負
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日本放送出版協会

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村上 信夫
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